七月 19

インタビュー:高田みどり

近年再評価されている日本を代表するアヴァンギャルドパーカッショニスト / 作曲家がキャリアや制作アプローチについて語った

By Mark "Frosty" McNeill

 

舞台女優として活動することもあるミステリアスな日本人作曲家 / パーカッショニストの高田みどりは、40年以上に渡りミニマリズムに独特のひねりを加えた音楽活動を続けてきた。

 

1980年代初頭にMkwaju Ensemble名義(Mkwaju / ムクワジュはスワヒリ語で “タマリンドの樹” を意味する)でアルバム2枚をリリースしたあと、高田はソロ活動を開始し、1983年にアルバム『Through the Looking Glass』をリリースした。このアルバムは2017年に再発されると世界各国で絶賛され、同時にこれまでの作品が再評価されるようになった高田は、ミニマルミュージックシーンの中で自分の才能に相応しい地位を獲得することになった。

 

Red Bull Radioの番組『Fireside Chat』からの抜粋となる今回の記事の中で、日本を代表するアヴァンギャルドアーティストの高田は、長い音楽キャリアの礎となった幼少期や型破りなマテリアルを使った演奏アプローチなどについて語っている。

 

 

出身を教えてください。幼い頃のあなたにとって音楽はどのようなものだったのでしょう?

 

わたしは敗戦からまもなくして東京で生まれました。人々は貧しかったですが、当時はそれが普通でしたね。誰もが同じ状況でした。

 

 

当時、自分の中で心の平静のようなものを求めていた感じはありましたか? 人間は想像力を使い、夢の世界に入り込むことがあります。

 

わたしは昔から想像力豊かでした。小さな頃から心ここにあらずで(笑)、脳内の別世界で遊んでいました。

 

 

その想像の世界に音楽的な要素はあったのでしょうか? それともなかったのでしょうか?

 

音楽的な要素はありませんでしたが、母が毎日ピアノを演奏していました。彼女はピアノ教師でした。父は高校教師で、のちに大学で教えるようになりました。父は英文学を教えていたので、本を沢山受け取りましたね。

 

 

お母様はピアノで何を演奏していたのでしょう?

 

ショパン、バッハ、ベートーベンなどです。毎日わたしのベッドのすぐ横でピアノを演奏していたのでうるさく思い、毛布をかぶっていました(笑)。

 

 

それであなたもピアノを演奏するようになったのでしょうか? ピアノの世界を積極的に探求していましたか?

 

探求はしませんでした。ピアノは最初、母から教わりましたが、いつも反抗していたので、他の先生のところへ連れて行かれました。演奏を始めたのはそれからです。

 

 

 

"様々なマテリアルを使って演奏してきました。ガラス、石、鉄、植物の種や木の葉を使った時もありました"

 

 

 

プロとして演奏を始めたのはいつでしたか?

 

大学卒業後、プロミュージシャンとして働き始めました。多くの芸術家や彫刻家と仕事をしましたね。彼らのサウンドインスタレーションを担当していたんです。1970年代から1980年代にかけては、サウンドとアートのコラボレーションが数多く行われていました。

 

 

彫刻作品とのコラボレーションでは、どんな作業で探りを入れ始めるのでしょうか? 彫刻作品とのコラボレーションではどのようなツールを使うのでしょうか?

 

色々ですね。ガラス製のボウルを叩く時もあれば、マレットや鉄の棒で彼らの作品を叩く時もあります。

 

湖畔に置かれていた高さ3~4mほどの大きな鉄の彫刻と一緒に演奏した時は、湖を挟んで反対側のボートの上にスピーカーを積みました。彫刻作品を叩くと、ボートのスピーカーからそのサウンドが鳴るようにしていたので、スピーカーのサウンドは湖一面に広がったあと、水によって柔らかくなって戻ってきました。湖を渡るサウンドは、湖面のわずかな波にぶつかることで柔らかくなるのです。非常に美しい瞬間でした。

 

 

そのようなコラボレーションを重ねていた頃、あなたはすでにサウンドや音楽の世界に没頭していました。没頭するきっかけになった瞬間、サウンドの持つパワーに気付いた瞬間はあったのでしょうか?

 

以前のわたしは、即興演奏に自信がありませんでした。なぜなら、譜面に書かれている音楽の演奏を学んできたからです。ですが、そのような瞬間は確かにありました。

 

音楽が脱構築を迎え、フリージャズが台頭していた時代にジャズミュージシャンと演奏した時です。それまでもわたしは様々なマテリアルを使って演奏してきました。ガラス、石、鉄、そして植物の種や木の葉を使った時もありました。自然に存在するものを使っていたのです。ジャズミュージシャンとの演奏で、そのアプローチと音楽がごく自然に組み合わさりました。

 

 

一緒に演奏するのが楽しみだったミュージシャンを教えてください。

 

自分のグループ、Ton-Klamiですね。Ton-Klamiは韓国語で “環 / 円” を意味します。日本と韓国は昔から文化交流がありました。両国の文化が円のように回りながら交流していました。また、俗語でお金という意味もあります。お金がなくても演奏するという意味で、この名前をつけました。

 

佐藤允彦さんは非常に優秀なジャズピアニスト / 作曲家で、彼は1960年代からフリージャズに関わってきました。そして、姜泰煥(Kang Tae Hwan)さんは韓国出身のサキソフォニストで、循環呼吸で演奏します。わたしは、演奏する国や街、会場によって楽器を換えています。その場で演奏できるマテリアルを見つけることがあるのです。控え室のバケツをステージに持ち込んだこともあります(笑)。

 

 

ヴィブラフォンやシロフォンなど、あなたは様々な打楽器を演奏してきました。このような楽器を初めて演奏したのはいつですか? なぜ他の楽器よりも、これらのサウンドや構造に魅力を感じたのでしょうか?

 

わたしは人類の歴史に興味を持っています。ヴィブラフォンやマリンバなどのような鍵盤状の打楽器は紀元前にルーツがあります。

 

最初、人間は1本の棒を叩くことから始めました。そして、ある日、2つの音色が存在することに気付きました。この世には違う音が存在することを知ったのです。これは非常に重要な気付きでした。次に人間は地面に穴を掘り、その上に2本の棒を並べて置いて共鳴させるようになりました。そして音階が生まれ、世界へ広がっていったのです。アフリカでは、竹など様々なマテリアルを使用していました。マダガスカルには竹を使った楽器があります。

 

 

あなたのマリンバのサウンドを聴くと、あなたがこの楽器のサウンド以外の部分にも魅力を感じているように思えます。あなたが人類の遺産と繋がっているような印象を持ちます。マリンバのような楽器からそのような人類の長い歴史を感じ取っているのでしょうか? 地球の祖先との繋がりを感じているのでしょうか?

 

はい。それが演奏する理由のひとつです。

 

 

Mkwaju Ensembleが生まれた経緯を教えてください。このグループであなたは何を狙っていたのでしょうか? 何にフォーカスしていたのでしょうか?

 

1970年代、わたしが大学を卒業したあとの話です。当時、わたしはミニマルミュージック専門のスペシャルグループを結成したいと思っていました。パーカッションのアンサンブルは数多く存在していましたが、基本的には伝統的な西洋音楽の演奏をしていました。そのような音楽とミニマルミュージックはアプローチが大きく異なります。

 

ミニマルミュージックには非常によく抑制されたマインドが求められます。サウンドを維持するためにテクニックも抑制されている必要があります。エモーショナルな演奏ではなく、リスナーが瞑想状態に入れるような演奏が必要なのです。

 

 

瞑想的な空間にリスナーを導くわけですね。

 

そのような空間を作り出すためには、演奏者には音色を冷静かつ高精度で維持することが求められます。弱すぎず、強すぎない演奏です。そのためには特別な練習を積む必要があります。通常のアンサンブルとは大きく異なるのです。わたしはこれができるメンバーを必要としていました。Mkwaju Ensembleは人気がありましたね。

 

 

Mkwaju Ensembleはライブを目的に組まれたグループだったのでしょうか? それともスタジオレコーディングが目的だったのでしょうか?

 

スタジオレコーディングです。ライブは非常に厄介です。お金がかかりますから。大金が必要でした。ですので、スタジオレコーディングから始まりました。その前はひたすら練習をしていましたね。

 

 

Mkwaju Ensembleのファーストアルバムは何を下敷きにしたのでしょうか?

 

アフリカの伝統音楽が下敷きになっています。タンザニアのゴゴ族とザナキ族の音楽です。彼らの音楽からは非常に大きな生命力を感じ取っていました。アフリカのレコード(Nonesuchなど)に収録されていた人々の会話や犬の鳴き声や風の音などを聴いて彼らの生活環境を感じ取り、それをまずひとりで演奏しました。

 

わたしがマリンバの編曲をして、久石譲さんが3人のための編曲をしました。そのあとで、日本コロンビアでレコーディングをしてヴァイナルをリリースしました。

 

 

レコーディング中にあなたが感じ取っていたアフリカの環境を再現するような工夫は何かしましたか? 作品を通じて自分が感じていたアフリカの環境とリスナーを結びつけたいと思っていましたか?

 

生活環境はとても重要です。なぜなら、文化だからです。アフリカでは瓜類(ゴード)や蜘蛛の巣を使ってレゾナンスを生み出していますし、南米では木や豚の胃袋を使っています。人類の知恵や悟りは環境と生活から生まれるのです。

 

 

アルバム『Through the Looking Glass』の制作では、伝統的な楽器を使用していましたが、同時にそうではない楽器も使用していました。このアルバムには、あなたの人生や生活環境から得たものが注がれていたのでしょうか?

 

そうですね。時間というコンセプトを用意して制作しました。使用した楽器やマテリアルは仕事を通じて見つけたものでした。クレジットには載っていませんが、ベルの多くはインドのものですし、日本の馬鈴(馬鐸)も使いました。バリで見つけた木製のマテリアルや竹笛(スリン)も使っています。自分の過去と向き合いながら演奏していました。

 

 

『Through the Looking Glass』は昨年再発されて新しい命を得ましたが、今のあなたは当時とは違う方向に進化したと思いますか? それとも、このアルバムは今聴いても自分が表現されていると思えるサウンドなのでしょうか?

 

しばらくこのアルバムが再評価されていることを知りませんでした。なぜなら、ソーシャルメディアは好きではないからです。また、通常、レコーディング終了後に自分の作品を聴き直すことはありません。

 

 

なぜ聴かないのでしょう?

 

制作に全集中力を注いだので、制作を終えたあとはしばらく空っぽの状態だったからです。

 

 

普段から音楽はよく聴きますか? 制作中、演奏中以外は、自分の音楽をあまり聴かないとおっしゃっていましたが、自分以外の音楽は熱心に聴いているのでしょうか?

 

最近の音楽は聴きません。ですが、他の時代に録音された音楽は聴きますよ。ですが、自宅で音楽を聴くことは多くないですね。基本的には演奏するだけです。演奏して音を出すこと、これがわたしにとって最も重要です。自分の肉体を使うことが重要ですので、体を動かしながら使用しているマテリアルや振動、そしてそのサウンドを感じています。これが次へ進む勇気を与えてくれます。

 

 

あなたにとって一番大事な楽器は何でしょう?

 

金属製の箸ですね。素晴らしいサウンドですし、軽くて持ち歩くのも楽ですから(笑)。鐘や鈴のように吊って揺らしたり、指で軽く触れたりするだけでサウンドが生まれます。

 

 

あなたの音楽を聴いたリスナーには何を感じ取ってもらいたいですか?

 

それはリスナー次第ですよ。音楽はどう受け取ろうと自由です。どのように感じるかはリスナーの自由です。音楽は誰かが所有できるものではありません。

 

 

Header Photo:© Phillippe Levy