八月 24

インタビュー:Jim Jarmusch

『ゴースト・ドッグ』や『ブロークン・フラワーズ』などのカルト作品を生み出してきた映画監督が語る音楽活動、映画と音楽の関係、ニューヨーク

By Saxon Baird

 

Jim Jarmuschは、時としてカオス、時として退屈なこの世界のアウトサイダーを描く数々の映画作品を通じて、メインストリームの成功とアートシアター的なオリジナリティの境界線をぼやかすことに40年近くを費やしてきた。1990年代のクラシック『デッドマン』や『ゴースト・ドッグ』、2000年代の『コーヒー&シガレッツ』のようなクラシック、意外性のある作品『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』、そして『ブロークン・フラワーズ』や『パターソン』のようなダウンビート・コメディなどを作り上げてきたJarmuschは、米国のレフトフィールド系映画監督を代表する存在として知られている。

 

また、Jarmuschはラディカルな音楽に深い愛情を注いできた人物としても知られており、その愛情は、Iggy PopとThe Stoogesを追ったドキュメンタリー作品『ギミー・デンジャー』(日本は2017年9月2日から公開予定)など、自身の作品に投影されているが、1980年代に存在したインディーロックバンドThe Del-Byzanteens、映画『リミッツ・オブ・コントロール』のサウンドトラックがきっかけで結成されたBad Rabbit、そしてBad Rabbitから派生した、サイケデリックフォークとカントリーミュージックにストーナーロックの要素を加えたSQÜRLという3つのバンドでミュージシャンとしても活動してきた他、オランダ人作曲家 / リュート奏者のJozef van Wissemと組んで、ゴシック系インディーロックレーベル、Sacred Bonesを含む複数のレーベルから3枚のアルバムもリリースしている。Red Bull Radioの番組『Fireside Chat』のインタビューからの抜粋となる今回の記事では、Jarmuschと音楽の関係、そして映画と音楽の関係などが語られている。

 

Sacred Bonesとの関係について教えてください。

 

初めて聴いたSacred Bonesのリリースは、Psychic Illsの作品だったと思う。彼らをきっかけに、レーベル内の他のアーティストの作品も聴くようになり、そのあとで、Caleb Braaten(Sacred Bonesのオーナー)と知り合った。それで、2012年にJozef van Wissemと組んで、Sacred Bonesからアルバム『The Mystery of Heaven』をリリースしたんだ。Jozefは素晴らしいリュート奏者 / ギタリストだよ。Sacred Bonesは大好きだ。Caleb BraatenとTaylor Brode(Sacred Bonesマネージャー)はファンタスティックな人物だし、私はPsychic Illsの大ファンだ。また、Moon DuoやZola Jesusなど、Sacred Bonesには優秀なアーティストが他にも沢山いる。

 

 

 

 

 

Jozef van Wissemと知り合った経緯について教えてください。

 

Jozefは最高のキャラクターの持ち主だね。最初に出会ったのはもう何年も前だ。たしか、バワリーのプリンス・ストリートを歩いていて角を曲がると、向こうから彼が歩いてきたんだ。長髪長身で、黒いスーツに黒いネクタイを締めていた。まるで『レザボア・ドッグス』から抜け出てきたような格好だった。そして、私の前で立ち止まって「あの、邪魔してすみませんが、ジムですよね?」と話しかけてきたんだ。私が「そうだ」と答えると、「僕はJozefと言います。ミュージシャンです。リュート奏者なんですが、CDを渡して良いですか? 気が向いたら聴いてみてください」と言い、そのままその場を去っていった。そのCDは彼のアルバム『Objects in Mirror Are Closer Than They Appear』だった。私は彼に興味を持った。クールでミステリアスだったからね。それでその日の夜遅くに家に帰ってCDを聴いてみると、とても美しい作品だった。ミニマリストなリュート音楽だった。

 

彼の作品の多くはパリンドローム(回文構造)になっている。つまり、曲が始まってピークを迎えると、そこからまた最初へと戻っていくんだ。複雑だがミニマルだ。このアルバムの数曲は、アムステルダムのスキポール空港のフィールドレコーディングで、シンプルなアンビエントだ。静かで聞き慣れているサウンドだが、これらもとても美しかった。それで彼に連絡を取り、一緒に演奏することにしたんだ。彼は私のバンド、SQÜRLのライブにも数多く参加している。『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』のサウンドトラックでも共作した。2人で2枚のアルバムを仕上げ、3枚目も途中まで仕上げたんだが、ここ数年、映画で忙しかったので、自分のパートを終わらせることができなかった。Jozefは怒っているかもしれないな。

 

 

 

“音楽で自分を表現したいという気持ちはずっとあった。映画制作は非常に長い時間がかかるが、音楽は瞬間的に表現できるからね”

 

 

 

Jozefと組んだ2作品は、楽曲名やアルバム名が非常にヘヴィですね。

 

Jozefと組んだ作品のタイトルは全て彼のアイディアだ。彼は神秘主義を好んでいる。だから、『Concerning the Entrance to Eternity(無限への入り口について)』などと付けるんだ。私はいつも「お好きにどうぞ」と言っていたよ。彼が作品の前景と細部を描き、私がそこに雲や雰囲気を付け足しているんだ。

 

SQÜRLについても話しましょう。音楽制作はあなたの中でどのような位置づけなのでしょうか?

 

音楽制作からは随分長い間離れていた。私は1980年代前半にThe Del-Byzanteensというバンドを組んでいた。映像作家兼画家として活躍しているJames Naresがドラム、Philippe Hagenがベース、Phil Klineがヴォーカル&ギターだった。初めて組んだバンドだったが、映画制作を始めたので音楽活動を止めた。それから20年に渡り音楽制作をしなかった。理由は分からない。音楽で自分を表現したいという気持ちはずっとあった。映画制作は非常に長い時間がかかるが、音楽は瞬間的に表現できるからね。映画の全員で作り上げていく感じは気に入っているが、とにかく人と時間が必要だ。脚本を書き、人を集め、資金を調達する。次に撮影と編集をして、完成すれば今度はプロモーションだ。だから最初と最後ではもはや別人になっている。「あれにはどんな意味が?」と質問されても、「ああ、あれね! 覚えてないな…」という感じだよ。

 

SQÜRLは、基本的には私とCarter Loganのユニットで、Shane StonebackとJozefが随時参加する形式だが、私はあくまでクリエイターのひとりだ。だからこれもまた映画制作とは大きく異なる。非常に自由だ。Carterと私で『パターソン』のためにシンセサイザーを使ってエレクトロニック・ミュージックを制作したんだが、それがJack Whiteのレーベル、Third Man Recordsからリリースされる予定だ。また、2人で1920年代に活躍したシュルレアリスト、Man Rayのサイレント映画にライブスコアをつける予定もある。これはちょっとしたUSツアーになる。

 

 

 

 

 

音楽活動から得られて、映画制作では得られないものについて説明してもらえますか?

 

音楽は映画制作とは全く違うものを与えてくれる。音楽は波形の振動だ。非常にミステリアスだが、作り手にとって非常にインタラクティブな存在でもある。たとえソロ活動でもインタラクティブだ。なぜなら、楽器や声に反応していくのが音楽だからだ。また、ひとつ言っておくが、私はプロフェッショナルな映画監督ではない。自分はアマチュアだとよく人に話している。私はハリウッドで仕事をしていないし、映画スタジオのシステムにも加わっていないからね。

 

音楽に関してはさらにアマチュアだ。ギターレッスンも1〜2回しか受けたことがない。私が使っているシンセサイザーもシーケンス機能やメモリーがない。いざ前に座っても、何ができるのかよく分かっていないんだ。だが、ここが気に入っている。私は予想できない音楽が好きだからね。また、私は楽器の練習もほとんどしない。毎日触るように心がけてはいるが、面白いサウンドを生み出そうとしているだけだ。エレキギターはノイズとフィードバックを出せる点が気に入っている。ノイズやフィードバックのコントロールに関してはかなり上達した。音域を動かすこともできるし、アンプとピックアップの距離やピックアップの種類、ギターの持ち方によってサウンドや音域がどう変わるのかも理解している。フィードバックを出すのが好きなんだ。だから、その練習はしているよ。

 

 

 

“演技に関して言えば、他よりもシアトリカルなミュージシャンがいる”

 

 

 

ミュージシャンになるにはある程度の演技力も必要に思えますが、この点はあなたが自分の作品にミュージシャンを頻繁に起用していることに関係していますか?

 

私が自分の映画作品にミュージシャンを起用しているのは、映画制作を始めた1980年代初頭という時代と深く関係している。当時の友人の大半がミュージシャンで、映画とは関係がなかった。だが、当時は誰もが色々なことをやっていた。私のバンド、The Del-Byzanteensもそうだった。全員が、絵画や映画、グラフィックデザインなど、複数の表現手段を持っていた。

 

私が『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を作った頃、この映画に出演していた友人John Lurieはミュージシャンとしても活動していた。また、Richard EdsonはSonic Youthの初代ドラマーで、Eszter Balintはミュージシャン兼俳優だった。ちなみに彼女は今でも両方で活動している。私はある意味CBGB世代だったから、当時の音楽的な雰囲気を好んでいた。だから、沢山のミュージシャンと仕事をすることでその雰囲気を維持しようとした。Tom Waits、Joe Strummer、Screamin’ Jay Hawkinsなどを俳優として起用し、RZAやNeil Youngに音楽を提供してもらった。演技に関して言えば、他よりもシアトリカルなミュージシャンがいる。非常に面白い俳優になれる才能を持っているミュージシャンがいるね。

 

 

 

 

 

あなたの初期作品群はセリフが少ないですが、セリフがないシーンを細かいサウンドで埋めていますね。

 

私は「無音の方が大きく響く時がある」というMiles Davis的なアイディアが好きなんだ。私はサウンドに強い拘りを持っているし、その意味でRobert Heinと長年一緒に仕事をできているのはラッキーだ。彼は本当に素晴らしいサウンドデザイナーで、実に優秀だ。私たちはサウンドについて細部まで徹底的に話し合う。リビングルームに2人が座っていて、バイクが走っている音が遠くに聞こえるシーンなら、「さて、どうしようか? バイクはハーレーにする? それともスズキの400ccにする? どんなエンジンにしよう?」と話し合う。こういう細かい部分が受け手の意識の中に蓄積されていくんだ。

 

鳥の鳴き声に関してはさらに拘っているので、彼らを困らせることがある。私はキャッツキル山地にも生活拠点を置いているので、ちょっとしたアマチュアバードウォッチャーなんだ。だから、鳥の声にはかなり拘っている。「設定は何年だ? 当時はどんな鳥がいたんだ? 家からの距離はどれくらいだ?」などとね。だから、『ゴースト・ドッグ』では、サウンドデザイナーだったChic Ciccoliniと激しい議論をした。カンムリキツツキが写っているシーンがあるんだが、彼はズアカキツツキの鳴き声を入れた。そこで私が「Chic、この鳴き声は違うぞ」と言うと、「そんなの誰も気付かないだろ?」と返すので、「いや、絶対にカンムリキツツキの鳴き声にしてくれ」と伝えた。

 

こういう細かいサウンドが全体に影響を与えていく。たとえ気が付かなくてもね。たとえば、遠くを走る列車の音を聞いてその列車の名前が分からなくても、その音はシーンのムードに影響を与える。映画の50%はサウンドだ。

 

 

 

"CBGBとMax’s Kansas Cityが人気を誇っていた1970年代中盤から後半にかけてのニューヨークは、私の中でとても大きな意味を持っている。私の美意識にDNAレベルで縫い込まれているんだ"

 

 

 

先ほど、CBGB世代として1970年代のニューヨークの音楽シーンに関わっていたという話が出ましたが、当時の経験はあなたの映画にどの程度影響を与えているのでしょうか?

 

CBGBとMax’s Kansas Cityが人気を誇っていた1970年代中盤から後半にかけてのニューヨークは、私の中でとても大きな意味を持っている。私の美意識にDNAレベルで縫い込まれているんだ。誰でもバンドを組めるという当時のアイディアは今も私の中で生きているよ。当時は誰もが自分を表現できた。ジュリアード音楽院に通う必要はなかった。ラジオでオンエアされて商業的に成功するような音楽を作る必要もなかった。

 

もちろん、のちに契約を結んだバンドやビッグになったバンドもいたが、シーンの中にプレッシャーは存在しなかった。当時は「感じるままにやるだけだ。キャリアのためにやるわけじゃない。エキスパートになるためでもない」というムードだった。当時の私は数人の映画監督からも影響を受けた。具体的に言えば、『The Foreigner』や『Unmade Beds』を撮ったAmon Poe、映画監督兼俳優のEric Mitchell、そしてCharlie Ahearnだ。彼らは音楽シーンにも関わっていた。ニューヨークの音楽シーンは1970年代後半から1980年代にかけてヒップホップが加わることでさらに大きくなっていった。だから、ヒップホップカルチャーやグラフィティの黎明期も私の中に深く根付いている。

 

当時のパンクロック的な美学は、今も私の中でとても重要だ。ポジティブな影響を数多く受けたよ。また、当時のオープンな雰囲気にも影響を受けた。「誰でもできる」という雰囲気にね。かつて私は1年ほどAmos PoeとEric Mitchellを追いかけていたんだが、彼らから「ジム、お前は一体いつ自分の映画を撮るんだ? デビュー作はいつになるんだ?」と言われると、いつも「いつだって? まぁ、いつかやれればいいけど」と答えていた。それで、彼らには「お前ならやれる。俺たちだってやったんだ。車のローン代を回して資金を作れ。金を手に入れる方法を見つけて撮影を始めろ」と言われたんだ。それで、1979年にデビュー作『パーマネント・バケーション』を制作した。あの頃の感覚は今でも私の中に残っている。

 

 

 

 

 

当時のオープンな雰囲気は、映画音楽の選出や依頼のアプローチにも影響を与えていますか?

 

私の手がけた全映画作品の中で、音楽はとても重要な位置を占めている。映画と音楽は繋がっている。なぜなら、提供方法が同じだからだ。映画も、音楽と同じように時間芸術として観客に提供される。多くの商業映画の音楽の使い方は非常に腹立たしいものだ。同じ5曲をひたすら使い回しているように感じる時もある。私は映画と上手くマッチする音楽を見つけようとしているが、論理的ではないときもよくあるね。たとえば、私の映画『ブロークン・フラワーズ』は米国の郊外が舞台だが、Mulatu Astatkeの楽曲を数多く使用した。一見機能しないように思えるが、どういうわけか上手く機能している。

 

『デッドマン』でNeil Youngが音楽を担当してくれたのは本当にラッキーだった。彼の楽曲はまるで映画の中のキャラクターのような存在になっていった。また、私はWu-Tangの大ファンでもある。昔からRZAが大好きだった。彼のトラックやビート、個性が好きなんだ。だから、彼が音楽(『ゴースト・ドッグ』)を担当してくれたのもラッキーだった。

 

音楽は人間の表現方法として最も純粋なものなのではないかと思っている。映画がこの世に存在しなくても生きられたかもしれないが、音楽がない日々は想像できない。私が映画を好きな理由は、あらゆる要素が含まれているからだ。構図、撮影、脚本、演技、スタイル、色、形などがね。だが、おそらく音楽は最もディープな表現方法だろう。

 

長年ニューヨークで暮らしてきたあなたは、この都市の変遷を間近で見てきたと思います。洗練されていくにつれてこの都市のソウルが失われているという意見もありますが、あなたはどう感じていますか?

 

私はもう若くない。昔はニューヨークが自分にパワーを与えてくれていると思っていたが、ここ数年、そう、ここ8年から10年は、逆にこの都市に利用されているように感じている。私のエナジーを搾り取っているんだ。今でもニューヨークは好きだ。クリエイティブな人間が沢山いるし、面白いことも沢山ある。だが、昔のような形で私を成長させてくれない。だから今は森の奥深くに籠もっているんだ。文字通りでもあるし、比喩的でもある。ニューヨークから距離を取りつつある。とはいえ、まだ近くにいるよ。

 

ニューヨークは全てが「誰から何を頂戴できるのか、誰からいくら金を騙し取れるのか」だ。この都市は欲深い連中によって常に変化していく。最近はその外側にいる方が心地良いね。