七月 29

Fiedel インタビュー

Ostgut時代からBerghainのレジデントを務めるベテランDJの歴史

By Aaron Gonsher

 

ErrorsmithとのユニットMMMのひとりとしても、ソロとしても、Fiedelはベルリンのピークタイムの真の王者として君臨している。前身Ostgut時代からBerghainのレジデントを務めているFiedleことMichael Fiedlerは、「屈強」というベルリンサウンドへのステレオタイプなイメージに歯向かっており、ストイックなミニマリズムを提示する代わりに、ベルリンテクノにハウス、ディスコ、派手な低音のUKサウンド、オールドスクールなエレクトロ、そして時としてHi-NRGまでをも組み込んだセットをプレイする。

 

ベルリン・ミッテのDIYパーティ、Subversivの月曜日のレジデントとしてキャリアをスタートさせたFiedelは、その後すぐに長年のパートナーとなるErrorsmithとMMMを結成。数年間をMMM名義でのツアーと制作に費やしたFiedelは、MMMを活動休止にすると、個人名義でのDJと制作をスタートさせた。

 

2007年、MMMは「Donna」に新作を加えた12インチで結成10周年を祝いつつ復活を遂げたが、それまでの間にFiedelはBerghainのレジデントDJ及びソロアーティストとしての地盤をしっかりと築き上げることに成功しており、自身のレーベルFiedeloneとFiedeltwoを通じて、フロアでの長年の経験をレコード盤に落とし込み続けている。

 

 

音楽と最初に出会った頃について憶えていることはありますか?

 

僕はブランデンブルク州で生まれ育った。住んでいたのはベルリンの北東に位置する、元東ドイツの小さな町さ。自分の好きな音楽を手に入れるのは本当に難しかったし、その制限された生活の中で世界と繋がれる唯一の存在が西ベルリンのラジオ局だった。僕が一番好きだったラジオ番組はMonika Dietlの『Heartbeat to the Minute』だった。彼女はヒップホップ、ハウス、ニュービート、EBM、テクノ、アンビエントなど様々な音楽をプレイしていたよ。

 

昔は彼女の番組をよくテープに録音した。最初は両親のテープレコーダーを使っていて、その後は自分のテープレコーダーを使った。何でも録音していたし、両親も僕のために録音してくれた。両親がKraftwerkのアルバムを録音してくれた時があったけれど、父親は彼らの音楽を聴いて、ラジオが壊れていると思ったらしい。エレクトロニック・ミュージックやヒップホップを聴いているのは僕しかいないという状況はしばらく続いたね。

 

その後、ベルリンの壁が崩壊すると、エレクトロニック・ミュージックやテクノ、ハウスに興味を持つ同世代の人たちが出てきた。僕たちは一緒にベルリンやHard Waxへ向かって、パーティへ出掛けたり、レコードを買ったりしたよ。音楽を中心とした小さなコミュニティのようなものだったね。

 

ベルリン時代に話を移しましょう。引っ越したのはいつですか?

 

僕がベルリンのナイトライフに顔を出すようになったのは壁が崩壊したあと、つまり1989年だね。その後、1994年にベルリンへひとりで引っ越した。Hard Waxをベースにして自分の好きなレコードを買っていた。

 

Hard Waxは今やある意味神格化されていますし、世界中の人々があのレコードショップを訪れていますが、1994年頃のHard Waxはどんな雰囲気だったのでしょう?

 

Hard Waxは当時からインターナショナルな雰囲気があったし、数台のバスが見店の前に横付けして、店がバウンサーを用意しなければならないような時もあったね。Hard Waxの良さは、世界各国のアーティストたちとダイレクトに繋がっていた点にあった。デトロイト、ニューヨーク、ロンドンと強力なパイプで繋がっていたから、フレッシュなレコードをいち早く入荷していたんだ。MMMのレコードもHard Waxで扱ってもらった。正しいルートに乗せられたのは良かったね。ただばらまくだけの普通のディストリビューターと違って、Hard WaxはFat Cat、Rush Hourなどピンポイントな店に卸すだけだった。僕たちのような音楽を求めていないレコードショップに置いてもらう必要はなかったんだ。Hard Waxが今でも健在なのはこの姿勢が理由だと思うよ。

 

Hard Waxで働き始めたのはいつですか?

 

1998年から働き始めた。Mark ErnestusとPeteに頼まれたんだ。僕は常連だったからね。既にMMMのレコードも置いてもらっていたし、彼らがSoundhackやMMMのディストリビューションもしてくれていたから。

 

あなたは今でも正規に働いているのでしょうか?

 

今は昔みたいな形では働いていない。みんなとは仲が良いけれどね。僕はKillasan(サウンドシステム)の担当なんだよ。これはMark Ernestusが日本から持ってきたものだけれど、2001年頃から僕がメンテナンスやレンタルを管理しているんだ。

 

 

Killasanはレンタル可能なのですか? 私でも「Killasanをパーティで使いたいんですけど?」とHard Waxに連絡できるのでしょうか?

 

連絡は取れるよ。そのあとで彼らから僕のところにオファーの説明があって、僕が「クールなパーティだから貸そうか」って判断をする。どんなパーティでも貸し出すって訳じゃないんだ。あのシステムはどんな音楽でも鳴る訳じゃないからね。

 

テクノ向きではなく、どちらかというとダブ向きですよね。

 

Funktion Oneと比べると反応速度は遅いし、低音は温かくてパワフルだ。でもタイトじゃないから、音数が多過ぎると上手く鳴らない。最近のサウンドシステムはもっとタイトだし、Killasanより再現精度も高い。でもこのシステムに適した音楽をプレイすれば、夢のような体験ができる。

 

非常に面白いサウンドシステムに思えます。まるで特定の音楽に反応し、呼吸するひとりの人間のようです。万能タイプではないですよね。

 

活き活きとしたサウンドシステムだし、確かに万能じゃない。だから借りたいという話が来た時は、どんな音楽をプレイするのかを訊ねるようにしている。

 

 

 

"僕はベルリンのゲイのオーディエンスが大好きだね。常に積極的に何かを求めている"

 

 

 

DJとしてのキャリアをスタートさせたクラブ、Subversivについて教えてください。

 

古いスクワットで月曜日に開催されていたアンダーグラウンドなゲイパーティだった。Nipplesって名前のDJと知り合って、彼に誘われたんだ。僕たちはHard Waxで何回か顔を合わせていたから、彼は僕がどんなレコードを買っているか知っていたんだ。クルーがあそこから放り出されるまで、僕たちは2年間プレイした。その後で同じクルーがSO36(ベルリンの老舗クラブ)の月曜日の枠でElectric Ballroomを始めたんだ。

 

あなたは2000年からBerghainの前身OstgutでレジデントDJとして活動を始めています。Ostgutとはどのように知り合ったのでしょう?

 

Hard Waxで働いていた頃、女性スタッフがいたんだ。彼女もDJで、既にOstgutでプレイしていた。それで彼女からOstgutがDJを探しているって話を聞いて、MichaelとNorbertを紹介してもらったんだ。

 

OstgutのゲイパーティとSubversivのゲイパーティの違いは?

 

客層という意味ではそんなに違いはなかった。僕はベルリンのゲイのオーディエンスが大好きだね。常に積極的に何かを求めているからさ。パーティをしようという気持ちに満ちているし、彼らはオープンマインドだからこちらは色々な音楽がプレイできる。僕にとって彼らは最高のオーディエンスだよ。ミックスのオーディエンスも同等に良いけれどね。ニューヨークやロンドンではここまでバランス良くミックスされたオーディエンスはいないと思う。

 

 

MMMのパートナー、ErrorsmithことErikと出会ったのはいつですか?

 

友人を介して知り合ったんだ。Subversivに僕を誘ってくれたNipplesさ。Erikはベルリンのクラブ、Bunkerのコンピレーションに提供するトラックをNipplesと制作していたんだ。だから初めて会ったのはErikのベッドルームスタジオだった。彼は沢山のアナログシンセを持っていて、様々な機材が繋がれていた。僕が何をやっているのか訊ねると、「シンセをちょっといじってるんだ」と返してきた。彼は昔からシンセを改造するのが好きだったんだ。それで僕たちはジャムをするようになった。

 

それから20年後もErikが自分の音楽制作やライブのパートナーとして居続けるだろうと予想していましたか? 彼との出会いはスペシャルだったのでしょうか?

 

Erikとの出会いは僕の人生において本当に重要な出来事だった。サウンドに本気でのめり込んでいる人物に出会えたという意味でね。彼がシンセから生み出すサウンドは本当に素晴らしかった。音楽に対するアプローチもね。僕たちは音楽に対してオープンなんだ。だから自主でリリースすることにした。レーベルにあれこれ方向性を指示されないという点で自由になるからね。とにかく自分たちでやりたかったんだ。

 

ドイツ語が分からない人たちのために、MMMの語源と、これをユニット名に選んだ理由を教えてくれますか?

 

自分たちでレーベルを始めようと決めた時、どんな名前にしようかという話になった。それで僕の子供の頃の思い出をErikに色々見せたんだ。その中にMMMがあった。「Masse der Meister von Morgen」つまり英語で言えば「Exhibition for Masters of Tomorrow」(未来を担う人たちのための展覧会)という意味になるかな。これは僕が学校で参加していたグループの名前で、2人ともこの名前が気に入った。他と違う名前だったからというよりは、何か一歩先を行くような響きだったから選んだ。普通の音楽とは少しズレているというようなニュアンスも感じられたしね。

 

Trinidad」について解説してくれますか? このトラックは非常に面白いですよね。スティールドラムのようなサウンドが入っています。

 

僕はリズムを試すのが好きなんだ。ストレートなトラックにしないようにしているんだよ。カリビアンなリズムを低音重視のテクノと組み合わせて、ファンキーなトラックにしようとした。

 

 

MMMの「Que Barbaro」のギターサウンドも同様のアプローチですか? これも意外なトラックでした。

 

そうだね。こういうトラックは、ひとつのサンプルやサウンドを元に組み立てていくというアイディアで作られているんだ。キックやベースラインから作ることはしない。MMMやFiedelではこういうアプローチで制作するのが好きなんだ。

 

最近素晴らしいと思ったDJはいましたか? 幅広くて多様なスタイルという意味で良いと思えるDJがいたら教えてください。

 

Tallmen 785とのB2Bは楽しかったね。彼はBerghainとはちょっと方向性が違うレコードを持ってきていて、それがオーディエンスに受けていた。彼がBerghainでプレイしたのはあの時が初めてだったんだ。彼がプレイをエンジョイしているのも手に取るように分かったよ。プレイする前は2時間ほどウロウロ歩き回って落ち着きがなかったからね。

 

これから5年、10年後、どんなテクノを聴きたいですか? ある種の限界を迎えつつあるテクノですが、この先どう進化していくと思いますか?

 

今のテクノブームがどれだけ続くかは分からないけれど、次の世代のためにテクノを面白くしてくれるプロデューサーやDJはいなくならないはずだ。最近の若い世代が自分なりのテクノを見つけている姿には感心しているよ。本当に沢山の音楽が周りにあり、インターネット上にも音楽が溢れている中で、自分が好きな音楽を見つけるのは本当に大変だと思う。だから、僕は多くの若者がチャートを賑わすような音楽ではなく、良質なテクノを好んでいることを嬉しく思っているんだ。

 

 

お子さんはいらっしゃいますか?

 

ああ。

 

どんな音楽を聴いているのでしょう?

 

僕みたいな音楽を聴いている。僕の音楽を聴かせてジャッジしてもらっているんだ。

 

お子さんからの感想で一番面白かったものは?

 

「おならみたい」って言われたよ(笑)。