十一月 06

INTERVIEW: CORNELIUS

コーネリアス、シンクロナイズとコラボレーションの8年間を振り返る

By Yu Onoda

 

2006年のアルバム『SENSUOUS』以降、オリジナル・アルバムのリリースが途絶えたコーネリアスこと小山田圭吾。その後の彼の活動、その情報が海外のリスナーにどれほど浸透しているのかは分からないが、彼は音楽シーンから消えてしまったわけではない。マルチ・レイヤードのプロダクションのもとで展開されるヒプノティックなポップ・ミュージックをさらに映像とシンクロナイズさせ、21世紀のサイケデリック・ミュージックへと昇華した彼は、発明ともいえる彼独自の音楽世界を応用発展させるべく、日本を主戦場に、以前にも増して、そして以前とは違ったアプローチで精力的に活動を行っている。

 

ここでその全てはフォロー出来ないが、そのなかでも、音楽と映像、アートワークのシンクロナイズを実践した国営のテレビ局、NHKのデザイン教育番組『デザイン あ』の音楽制作とアニメ映画『攻殻機動隊ARISE』のサウンドトラック制作。そして、女性シンガー、Salyuのプロジェクト、salyu × salyuのプロデュース、オノ・ヨーコ、YMO、20代の女性シンガー・ソングライター青葉市子らとのコラボレーションは、過去8年間の活動において特筆すべきものがある。このインタビューでは、そうした活動を紐解きながら、コーネリアスという日本が生んだ突出した才能を改めて検証する。

 

 

2006年のアルバム『SENSUOUS』から8年が経ちました。コーネリアスにとって、この8年はどういう期間だったんでしょうか?

 

色んな人の作品に参加したり、プロデュースしたり。『デザイン あ』のような教育テレビ番組の音楽やアニメ映画『攻殻機動隊ARISE』のサウンドトラックであったり、自分の作品ではなく、与えられるテーマやお題に応える形で音楽を作っていく、そんな活動をしていました。強く意図して、そうなったわけではないんですけど、これまでコーネリアスとしてずっと活動をしてきて、自分の作品を作って、リリースして、ツアーに出るっていうルーティーンが出来上がっていたこともあって、そのルーティーンから外れたかったということなのかもしれないですね。例えば、『デザイン あ』にしろ、『攻殻機動隊ARISE』にしろ、作品のテーマや世界観が最初から定まっているからこそ、それに応える音楽制作では、自分のオリジナル作品ではやらないことが出来たり、自分のなかに眠っていたものが引き出されて作品になったりするのが自分にとっては面白いんですよね。

 

いまお話に出てきた『デザイン あ』と『攻殻機動隊ARISE』の音楽制作は、音楽と映像のシンクロナイズを実践してきたコーネリアスの新たな試みですが、その2つの作品も、制作のアプローチは大きく異なりますよね。

 

そうですね。『デザインあ』は、音と映像、その密接な関係や機能だけで全てを説明していくミニマルかつコンセプチュアルな教育番組なんですね。それに対して、『攻殻機動隊ARISE』にはストーリーや世界観が明確にあるし、セリフや効果音が入っているので、作品に占める音楽の比重は『デザインあ』に比べると、もう少し低いんですね。そして、少ないスタッフの密になやり取りで作っていく『デザインあ』は、小さな子供からある程度の大人までを対象に明るい世界観であるのに対して、関わっているスタッフが沢山いる『攻殻機動隊ARISE』の世界観はハードSFのかなりダークな世界だったりして、そういう意味では対照的な作品ですよね。

 

映像作品と音楽ということでいえば、以前、お話をうかがった時、昔のアニメやテレビ番組で使われた曲を集めているとおっしゃっていましたよね?

 

アニソンとか特撮ものとかね。1970年代前半はベビー・ブームで子供が多かった時代で、子供向け番組が多かったし、子供に何かを植え付けようという大人の意図が織り込まれた番組が多かったと思うんですね。そして、音楽的にも、映像的にも実験的なもの、作家性の高いものもあったりして、『ルパン三世』の大野雄二さんとか、山下毅雄さんが手掛けた音楽はすごい洒落ているんだけど、同時にヒーローの名前やタイトル、必殺技の名前が歌詞に出てきたり、今以上に音楽が作品とリンクしていたんですよね。

 

シンクロナイズの先例ですね。どうして、そうした音楽に興味を持ったんですか?

 

歳を取ったこともあってか、昔の記憶を頭の中で繋げる快感にハマってたんですよ。自分の記憶の中に残ってる曲、昔の歌謡曲とか、自分が音楽に目覚める前に記憶してたアニソンやCMの曲を集めて、自分の記憶に埋もれていた音楽をもう一回再生することで、頭の中でシナプスを繋げる、みたいな。

 

自分の記憶のアーカイヴ化というか。

 

そうそう。だから、好き嫌いに関係なく、昔の自分の頭の中に残ってる音楽を自分の手元に置いて、いつでも再生できる状態にしておきたかったっていう。だから、演歌歌手の曲なんかも集めてましたよ(笑)。ただ、YouTubeに昔の音源や映像がアップされるようになってからは結構冷めた(笑)。

 

 

記憶と音楽のシンクロナイズですね。そうすることで新たな発見はありました?

 

ありましたね。当時の音楽のどういう部分に引っかかっていたのか、ハマっていたのかということを発見したり。例えば、子供の頃に観ていた『カリキュラマシーン』っていう教育番組は、当時ハマっていた部分と今の自分がやってる音楽、『デザイン あ』の音楽でやりたかったことがシンクロしていることに気づいたり。

 

映像と音楽のシンクロナイズという意味で、これまで、どんな作品や作家に影響を受けましたか?

 

ロックだったら、Grateful Deadのオイル・ショーやPink Floydの照明、Kraftwerkが使ったスライドみたいなクラシックなものから、ディズニー映画の『ファンタジア』とかアニメの『トムとジェリー』、映画『トロン』のオープニングCGを制作した映像作家、Robert Abelとか。あと、『デザイン あ』の音楽制作では、ドイツ出身の映像作家、Oscar Fischingerとか、カナダの映像作家、Norman McLarenから受けた影響が大きかったかもしれない。

 

シンクロナイズといえば、コーネリアスは過去にもカセット・シングル「MOON WALK」や2枚同時再生で1曲になる「Star Fruit Surf Rider」の12インチ・シングル、イヤフォン付きでアルバム『FANTASMA』をリリースしたりと、音楽とアートワーク、リリース・フォーマットのシンクロナイズも重要ですよね。

 

今の時代、パッケージがないのは当り前になっていますけど、元々僕はレコードで育ってますからね。音の世界観の延長としてのパッケージ、パッケージを含めて1つの作品という考え方をしているし、自分でもアイデアは常に考えていて。

 

 

『デザイン あ』と『攻殻機動隊ARISE』はサウンドトラックにも関わらず、そのパッケージはコーネリアスらしい音楽とアートワークのシンクロナイズが実践された非常に凝った作りになっているのは、ご自身から提案されたんですよね?

 

そうですね。今の時代、こういう仕様でリリースするのはお金もかかるし、本当に大変なんですけど、『デザイン あ』と『攻殻機動隊ARISE』のプロジェクトはどちらもデザインに対する理解があるし、そういうスタッフの存在が大きかったりするんですけどね。

 

どちらも型抜きのパッケージになっていて、手間が相当にかかっていますよね。

 

この型抜きはよく出来ましたよね。これは、石黒(景太)くんが型抜きでデザインを手掛けたECDの『ECDVD』とか特殊仕様の絵本を沢山出しているBruno Munariとかいしかわこうじに触発されて。「『デザイン あ』で型抜きやるとしたら、どういうものだろう?」と考えて、デザインの3要素として、丸、三角、四角を組み合わせながら、「あ」のロゴを作ったんですよ。それから『攻殻機動隊ARISE』は、音楽がノイズ、インダストリアルだったり、ドローン、ミニマルな感じなので、反復しながら、永遠に続いていくイメージに『トロン』のようなワイヤーフレームのサイバーっぽいニュアンスなんかを加えて、音をビジュアルに置き換えて考えていったんです。

 

 

『攻殻機動隊ARISE』に関しては、ブッダマシーンも発表されましたが、Throbbing Gristleのブッダマシーン同様、それ単体で一つの作品になっていますよね。

 

ドローン、ミニマルな『攻殻機動隊ARISE』の曲は、発表メディアとして、ブッダマシーンが合っているんじゃないかなって。しかも、そのブッダマシーンを何台か一緒に再生すると、音がモワレ状になって、また別の楽しみ方が出来るっていう。今の時代、本当にあらゆるメディアがあって、CDで聴く人もいれば、パソコンで聞く人もいるし、iPodやアナログで聞く人もいるので、ブッダマシーンで発表するのも面白いかなと。それから、“Ghost In The Shell” (攻殻機動隊)と“Buddha Machine”を合体すると、“Ghost In The Machine”になるでしょ?

 

はははは。The Policeの『Ghost In The Machine』とシンクロナイズしたわけですね。

 

そう(笑)。赤と黒の色使いやロゴもダジャレ込みで合っているな、と。アイデアの辻褄が合っていく時って、そういう感じだったりするんですよ。そういうアイデアの辻褄が合ったので、ブッダマシーンで出したんです。

 

 

そうした数々のシンクロナイズが実践されたここ8年の活動では、オノ・ヨーコ、YMO、Salyuや青葉市子といった上の世代、下の世代のアーティストたちとのコラボレーションも精力的に行ってきましたよね?

 

ヨーコさんは今年で81歳、YMOの3人は還暦を越えていますからね。まぁ、一緒に演奏するようになって、ずいぶん経ったので、さすがに慣れましたけど、子供の時から見てた人と一緒にステージに立ったりすると、「あれ?何やってんだろう?」と不思議な感覚になったりもして。そういう人に声をかけてもらえるのは、すごく嬉しいし、言葉で教わったりすることはなくても、一緒に現場にいることで伝わってくるもの、気づくこともあって。YMOは3人とも東京の人だし、やっている音楽にしても、お互い共通するものを感じながら共演しているのに対して、ヨーコさんとは共通する部分があまりなかったりして(笑)。というか、あの人と共通するものは誰も持っていないと思うんですよ。でも、ヨーコさんは世界最古のオリジナル・パンクスというか、本当に強いエネルギー体みたいな人だから、そのエネルギーに巻き込まれてる感じがだんだん快感になってくるっていう。本当に元気で、誰もこの人にはかなわないっていう感じ(笑)。

 

80年代のテクノポップから、テクノ、エレクトロニカと、進化を続けているYMOの変遷はどう思われますか?

 

その時々の自分の興味や世の中の流れに忠実に音楽をやっていますよね。そういう意味で、伝統芸能的なKraftwerkとは違って、YMO自体、今と昔じゃ全く違うグループですし、その時の3人のモチベーションも常に変わっていってるんですよね。僕が関わるようになった当初はエレクトロニカにインスパイアされてように思うんですけど、一番最後に共演した時は完全に生演奏でしたから、その進化を考えるとすごいですね。細野さんなんか、Elvis PresleyやThe Beatlesもリアルタイムで知ってて、ロックが一番盛り上がってる60年代後半にデビューして。リアルタイムでWoodstockの時代を体感しているうえに、日本の経済成長とともにYMOとして世界に出ていって。そういう意味で、音楽の進化と年齢が共にあるところがすごいし、うらやましいですね。自分はその流れに乗り遅れた世代だし、今の若いミュージシャンはもっと可哀想だなって。

 

 

1998年にピークを迎えて以降、日本の音楽セールスは減少しつづけていますからね。かたや、Salyuや青葉市子といった下の世代とのコラボレーションの感触はいかがですか?

 

僕とSalyuが10歳、Salyuと市子ちゃんも10歳くらい離れていて、もちろん、世代的な違いもあるんですけど、年齢、世代的な違いよりも、人が違えば、持っているものも違うし、その逆に、年齢や世代を越えた共通の感覚ももちろんあって、それは歳が近いということよりもよっぽど共感できるものだったりするんですよ。Salyuに関していえば、彼女は声の人、歌に特化した人で、salyu × salyuのプロジェクト自体も彼女のほうから頼まれて始まったものなんですけど、だんだんのめり込んで行く形になりました。僕は自分のことをヴォーカリストとして信用していないというか、自分の歌で出来る範囲はすごく限定されているから、そういう部分で今までトライできなかった、踏み込めなかった部分を全開にして取り組めたプロジェクトになったんですよね。さらにいえば、作詞を坂本慎太郎くんや七尾旅人くんにお願いしたり、今まで自分の作品で出来なかったコラボレーションを形にしたことが、後に『攻殻機動隊ARISE』で坂本くんに作詞をお願いすることにつながったり、そういう収穫もあったんですよ。青葉市子ちゃんに関しては、20歳くらい年齢が離れていて、自分の娘のような感覚もありつつ(笑)、新世代感が強くあって、本当にごめんなさいって言いたくなるくらい天才というか。彼女とのコラボレーションといっても、自分がやることといえば、ちょっとギターを弾くくらいなんですけど、集中力、緊張感がものすごいし、ギターがものすごく上手いんですよ。僕が初めて会った時、彼女は19歳で、ギターを始めて2年とか言ってたんですけど、その時点で20年くらいギターを弾いてる僕が驚くほどの腕前でしたからね(笑)。

 

そうした数々のシンクロナイズとコラボレーションを経て、『SENSUOUS』から8年が経ちましたが、新作アルバムの進行状況はいかがでしょうか?

 

ちょいちょい作業してますよ。依然として、オファーされた仕事に応えつつ、この8年で外部仕事は相当やったことで、自分のアルバムを作りたいという気持ちがようやく強くなってきたし、モチベーションはだいぶ高まってきたので、来年完成したらいいなと思ってますね。

 

Photos: Kiyoaki Sasahara