六月 13

インタビュー:Brian Reitzellが語るテレビドラマ『ハンニバル』と武満徹

Brian Reitzellは、米テレビドラマ『ハンニバル』でテレビ番組のサウンドトラック史上最も不穏なムードを醸し出すことに成功した作曲家だ。 番組のタイトルからも分かる通り、この番組はかのハンニバル・レクター博士を中心に据えたストーリーが展開されているが、彼の音楽は非常に上手く絡み合っている。ハンニバル・レクター博士がまた映像化されることを予想していた人は少ないだろうが、レクター博士を演じるMads Mikkelsenの北欧的なムードとエグゼクティブプロデューサーBryan Fullerのアーティスティックなヴィジョンによって凶悪な犯罪が美しきバロックアートに昇華しているこの番組は、Reitzellの楽曲の良さもあり、その存在価値をすぐに証明した。

『ハンニバル』の音楽を担当しているReitzellの経歴はユニークだ。ReitzellはインディーロックバンドRedd Krossでキャリアをスタートさせると、その後映画音楽の世界に進み、Sofia Coppolaの『ロスト・イン・トランスレーション』、『ブリングリング』などを手がけてきた。また本人名義での作品も発表し続けており、今年6月にはSmalltown Supersoundからアルバム『Auto Music』をリリースしている。『ハンニバル』のセカンドシーズンが終わった今、ReitzellにKevin Shieldsからの影響や、金属音への拘りについて話を聞いた。


あなたは以前『ハンニバル』の楽曲について 、銅の音、つまり金属音が大きな要素になっていると話していました。これについて少し説明していただけますか?

僕はずっとドラマー・パーカッショニストとして活動していたので、キャリアを通じて金属を叩き続けてきた。Redd Krossで活動していた頃は、毎晩シンバルを破壊していたし、とにかくキャリアを通じてシンバルに関するセンスを磨いてきた。ドラムそのものよりも銅、つまりシンバルに取り組んできた。ドラムは割りとストレートなサウンドだ。プラスティックのヘッドと木製のシェルでできているからだ。

だが、シンバルはリアルな金属音から、音楽的な響きまでを生み出せる。僕は高級なシンバルをいくつか持っていて、例えば かつて素晴らしいスタジオ/ジャズドラマーで、MingusやDusty Springfieldと一緒にプレイしてきた Paul Humphreyが所有していたZildjian製のシンバルなどがそうだ。

そのようなシンバルは年を追うごとに良いサウンドになるのでしょうか?

銅が最も複雑な波形を生み出すことに気がついた

そうだね。正直、僕の経験から言えば、すべての楽器は年を追うごとに良いサウンドになる。木製でも金属製でも良いサウンドになっていく。6、7年前に京都で1週間過ごし、その後バリへ向かったんだが、バリは非常に刺激的だった。僕は以前からガムランのファンだったし、それがバリへ行った理由のひとつだった。ジャマイカへ行けば、レゲエがどこでもプレイされているのと同じように、バリへ行けばガムランが常に流れている。

バリに着いた僕はガムラン用の楽器の大半が作られているエリアへ出向いた。そのエリアにある楽器工場は、かつては王家のための楽器を作っていた。僕はそこで1日の大半を過ごした後、ガムラン用の楽器一式を購入して、家へ持ち帰った。それ以来、実験をしながら使い続けている。その結果、銅が最も複雑な波形を生み出すことに気がついた。

ガムラン用の楽器のひとつにceng ceng(チェンチェン)というものがある。これは小さな銅製のシンバルがまとめられた楽器で、まず両手でひとつずつ、指でつまむように持つ。それとセットになっているのが金と赤で塗られた木製の亀(ちなみにすべてが金と赤で彩色される)で、この亀の背には小さなシンバルが約10枚、逆さに備え付けられている。この亀の背のシンバルを自分の手に持った2枚で叩いて演奏する。これは最も騒々しいサウンドが生み出せる楽器で、僕はそこが凄く気に入っている。あとは、小型のザイロフォンのような楽器もある。これはハンマーを叩いて演奏するが、このハンマーは非常に暴力的な、まるで殺人犯の凶器のようなルックスだ。


『ハンニバル』の作曲にはもってこいですね。

そうだね。チェンチェンに関しては我流で演奏している。この楽器の一般的な演奏では、次のシンバルを叩く前に、直前に叩いたシンバルをミュートして、音がかぶらないようにする。かぶせると頭が割れてしまうような耳障りなサウンドを生み出すからだ。だが、かぶせると非常に力強くクリアなサウンドになる。まるで太陽を見つめているかのようなね。僕はこのサウンドをよく使っている。

もう少し話を進めると、先ほど京都へ行ったという話をしたが、僕は武満徹の大ファンで、彼のドキュメンタリーを見ている時に、パーカッショニストが銅製のスリットドラムのような楽器を叩いているのが映った。スリットドラムというのは、アフリカの木鼓だが、その映像の中で使われていたのは銅製だった。それで僕はその楽器を作っている人を探しだして、制作を依頼した。完成までに1年以上かかったね。銅は1ポンドあたり20ドルだが、そのドラムは30ポンドの重さだった。

頭が割れてしまうような耳障りなサウンドを生み出すが、それは非常に力強くクリアなサウンドだ

『ハンニバル』ではそのドラムも使用している。特にレクター博士が画面に写る時に使用している。非常に独特なサウンドで、リッチで面白いサウンドだ。僕はこのサウンドのスピードを可変させるなど、色々試しているが、基本的にはシンプルに演奏しているだけだ。ただ、自分の中ではどうもティンパニとは相性が悪いように感じられるので、40インチのLeedyのベースドラムと組み合わせている。ベースドラムをレゾネーターのように使っている。ベースドラムの上にこのドラムを置いて鳴らしているよ。

武満徹の作品に初めて出会ったのはいつですか?

『ハンニバル』のセカンドシーズンの各エピソードは、日本料理の懐石の流れに沿ってタイトルがつけられていたので、自分の日本映画への愛情を作曲に利用できた。僕は小津安二郎勅使河原宏などの大ファンだが、武満徹の音楽には非常に特別な何かを感じている。彼の全作品がリストアップされている本を持っているし、彼のコンサートや映画音楽、テレビ音楽を今でも聴いているが、すべてが素晴らしい。

武満徹を知ったのは、Redd Krossのジャパンツアーをしている時だった。当時の僕はArt Blakeyのビバップ作品、特に彼のドラム作品『Holiday for Skins』、『The African Beat』、『Orgy in Rhythm』などにのめり込んでいた。その時に武満徹のアルバムを1枚買ったんだが、当時は彼が誰だか知らなかった。だから家に帰って聴いてみて、いいなとは思ったが、そのまま放っておいた。僕が衝撃を受けたのは、その後で映画『砂の女』を見た時だった。もし好きな映画を1本選べと言われたら多分この映画を選ぶだろう。この映画の音楽は本当に素晴らしい。


いつサウンドをデザインとして捉え始めたのか覚えていますか? 音楽を音楽としてではなく、別の何かとして捉えるというのは、非常に面白い視点だと思います。

僕は常に音楽をテクスチャとして捉えてきた。自宅のガレージで汚れた衣服の山に寝転がって、乾燥機が回転する音を聴いていたのが最初だったと思う。乾燥機の音はすごく心地よくて、大好きだった。薄暗いガレージに寝そべって、そのまま寝てしまっていた。

サウンドだけにも興味があった。当時僕は郊外に住んでいたが、僕の父がドラッグボートを持っていた。そして彼がエンジンをスタートさせると、 近所の子供たちが全員集まってきた。まるで爆発したかのようなサウンドだったからだ。凄くスリリングなサウンドで、非常に面白いサウンドだった。

『ハンニバル』の音楽は、サウンドデザインとしては捉えていない。音楽として捉えている。なぜならサウンドデザイナーが使うようなテクニックを使用していないからだ。僕は特別斬新なことはやっていない。ただ大量のパーカッションを使っているだけだ。この番組の大半は音楽的アプローチで制作されている。

各エピソードは約43分の長さですが、あなたはそこに40分程度の音楽を用意していると言っていました。これは一般的なテレビ番組の音楽に比べてかなり多いですよね。

そうだね。僕は映画音楽出身だが、僕の好きな映画音楽は、武満徹の作品のように音楽自体が少ない。テレビ音楽の一番大きな問題のひとつは、そして僕がテレビ音楽に興味が持てない理由は、音楽が人の感情をコントロールしようとしているからだ。常に僕たちがどういう感情を持つべきかを指示してくる。僕はそこが好きになれない。

科学者や専門家は、日本人は他の文化圏とは全く違う方法で音楽を聴いていると言っている

だが、『ハンニバル』は全くの別物だ。これは番組の性質によるところが大きい。エグゼクティブプロデューサーのBryan Fullerは、常に音楽に包まれている状態にしたいと考えていて、音楽を浴槽のようにしたい、音楽が常に流れているようにしたいと言っている。だからエピソードによっては音楽が43分以上の長さになる。番組全てに音楽を使っていると言ってもいい。でも、これまでの僕はそうならないようにしてきたし、それが正しいとは思っていなかった。『True Detective』(米テレビ番組)を見た時は、「どうしてこれでOKをもらえているんだ?」と思ったよ。番組を見ている間、僕はずっと「本来必要とされるのサウンドやテクスチャがなぜ追加されずに済んでいるんだ?」と思っていた。

だから、『ハンニバル』でここまで大量に音楽を詰め込むことになるとは思っていなかった。完全に制作にのめり込むことになった。なぜなら1週間で40分の音楽を作らなければならない訳だから。僕にはフルタイムのエンジニアがついているから、僕たちは常にマイクを動かしたり、物をどかしたりして、セッティングを変えている。この音楽の制作はラップトップに向かい続けている訳ではない。常に演奏している。ハードな仕事だ。

直感的に演奏する時が多いのでしょうか?

すべてがそうだ。映像に反応しながら作っている。ホラーミュージックではこの点は非常に重要だ。僕は自分の身体がどう反応するかをチェックしていく。台本は読まないし、先の展開は知りたくない。ストーリーがどこへ向かっていくのかは知らないでいい。ただ座って映像を見て楽器を演奏していく。エピソードを通して見ながら、ドラムセットに座って演奏したりして、とにかくエピソードの流れに沿って演奏していく。各エピソードには独特のリズムが流れている。

あと日本の音楽の研究を続けて分かったことがある。科学者や専門家は、日本人は他の文化圏とは全く違う方法で音楽を聴いていると言っている。日本人は言語を扱う側の脳で音楽を聴いているという訳だ。こういう音楽の聴き方をしているのは日本人だけだ。僕たちが音楽を聴く時とは逆側の脳を使って聴いている。実際、武満徹の作品の多くや他の日本の音楽はスピーチのようだ。セリフのように聴こえる。

『ハンニバル』でも、ウィルやハンニバルなどの登場人物のセリフを音楽として捉えている。そしてそのセリフを色分けしていく。これは非常に効果的だ。ちなみにSofia Coppolaの作品をはじめ、映画音楽ではセリフの上に音楽を重ねることは禁じられている。


さて、ソロアルバム『Auto Music』ですが、どういうアプローチ、またはどういうアイディアで制作したのでしょう?

アルバムを作ろうとした。僕は今までちゃんとした作品を作ろうとしていなかった。ただ実験がしたかっただけだ。今までやったことがない音楽や、聴いたことがない音楽を作ろうとして、毎日新しいサウンドや作業に挑んでいるのが僕の生活だから。だが、今回のアルバムは、My Bloody ValentineのKevin Shieldsと『Loveless』の収録曲をどうやって作ったのかについて話し合ったことがきっかけとなった。

Kevinも僕と同じでマニアックだ。彼はサウンドの生成や、エフェクトを使うのではなく、エフェクトの理論を使ったサウンドの生成に興味を持っている。たとえばトレモロとはどういう理論なのか? ビブラートとはどういう理論なのか? というようなことだ。僕は彼のそういうアプローチに感銘して、実践してみようとした。彼はアコースティックギターを使ったが、僕はオルガンを使った。そうやって制作したあと、彼にその作品を聴かせた。シンプルなオルガンのドローンだったが、彼は気に入ってくれた。それでその曲の上に彼が手を加えてくれた。それで1曲完成した。

僕は料理の関係性を音楽で表現している

そうやって映画のプロジェクトの合間を縫いながら、1曲ずつ仕上げていった。そのうち、楽曲として満足に思えるようになっていった。僕はLAに住んでいるので、運転することが多い。この音楽はポップミュージックのような形態を取っていなかったので、ドライブに適していた。A、B、ブリッジなどパーツに分かれているのではなく、その瞬間、色、テクスチャ、小さな変化などが重視されている。ドライブ中にコーナーを曲がったら美しい桜の花が咲いているとか、交通事故に出くわすとか、そういうフローだ。そうやって徐々にクラウトロックのようなスタイルになっていった。だが、当初はアルバムを作ろうとは考えていなかった。10年の時間の流れの中で自然にそうなっていった。最初に制作に取り組んだのは、『ロスト・イン・トランスレーション』の直後、2003年だった。

先程から「色」と言っていますが、あなたは共感覚を持ち合わせているのでしょうか? 音楽を制作している時に色が見えますか?

その質問は以前にも何回かされたことがある。その質問をされる度に、僕が尊敬するジャズドラマーElvin Jonesのことを思い出す。Elvin Jonesは、ドラムキットに座っている時に「僕の考えではドラムとシンバルには色がついている」と言って、シンバルを叩くと、「これは赤、こっちが青、それが緑」と続けた。僕は「そう感じるなんて凄いな。ドラムというパレットで絵を描けるじゃないか」と思った。だが、感覚のある・ないは大した問題ではない。自分にある程度の共感覚があるとは思うが、言うつもりはないからね。Pharrell Williamsみたいに大手を振って「僕には共感覚がある」と言うつもりは一切ない。

とはいえ、色をテクスチャやサウンドへ関連付ける作業はしている。僕にとって音楽は料理の方が近い存在だ。僕は以前シェフとして働いていた時期があるので、音楽をどちらかというと料理、またはスパイスのように捉えている。「料理」と「料理を作る」の間には、満足感の提供、創造性、準備などが関わってくるが、僕はその関係性を音楽で表現している。