十月 12

インタビュー:Alessandro Cortini

エレクトロニック・ミュージックの鬼才がBuchlaへの愛やNine Inch Nailsとの出会いについて語る

イタリア人のマルチインストゥルメンタリストでシンセサイザーマニアのAlessandro Cortiniは、USのインダストリアルユニット、Nine Inch Nailsの作曲、レコーディング、ライブに長年携わってきたことが最も良く知られている。10代で地元ボローニャを離れてロサンゼルスの音楽大学ミュージシャンズ・インスティチュートに留学した彼は、モジュラーシンセ、特に故Don Buchlaが生み出したシンセ群にのめり込んだ。Cortiniのエレクトロニック・ミュージックは技術的な制限の中でサウンドの可能性を追求しているもので、Nine Inch Nailsの作品はもちろん、ModwheelmodやSONOIOのようなバンドとの共作や、自身のソロプロジェクトBlindoldfreakでも確認できる。2010年代から、Cortiniはこの制限の中の可能性を追求するエレクトロニック・ミュージックのソロアルバムのリリースを始めており、USのインディーレーベルImportant RecordsやDominick Fernowが運営するHospital Productionsなどからリリースを重ねてきた。RBMA Radioの番組『Fireside Chat』内で行われたFrostyとのインタビューからの抜粋となる今回の記事で、Cortiniはシンセサイザーにのめり込んだきっかけや、最近の作品のモチベーションなどについて語っている。

 

エピファニー(日常生活の中である物事や人物の本質を現した瞬間を捉えること)と音楽の可能性の追求に興味が持あるのですが、子供の頃も含めて、あなたを今の方向性に進ませるきっかけになったそのような瞬間や経験があったのでしょうか?

 

俺はボローニャ近郊の小さな町、フォルリの出身で、祖父母がそこから車で約1時間の距離にあるフェラーラに住んでいて、毎週俺の家に遊びに来ていた。だから、俺は祖父母のためにちょっとした曲をいくつか作って、それらをラジカセで録音したカセットテープを彼らに渡していたんだ。帰り道で聴けるようにね。当時の俺は6歳くらいだったから、1980年代初頭の話だ。これが俺の音楽家としての始まりだった。歳を重ねて、10歳か11歳になる頃には、おならやゲップを録音して、再生スピードを半分に落として聴いたり、通りの音を録音して、車が走る音を半分のスピードで聴いたりしていた。サウンドを楽しもうというシンプルな情熱を常に持っていた。「このサウンドをどう使えば良いんだろう?」と迷うようなことは一度もなかった。

 

大人になっていくと、誰もが自分をある程度正当化するようになる。特定のシーンに自分を上手くはめこむ方法を見つけるのさ。俺の場合はギターだった。具体的に言えば、速弾きだ。俺は1980年代と1990年代の速弾きとそのシーンに夢中だったんだ。ギターを学びたいからUSへ渡ったようなものだった。でも、ギターを練習すればするほど、音楽とサウンド全般について考えるようになっていった。音楽大学で学んだことがあるとすれば、それは、俺の究極のゴールはギター演奏じゃないということだった。ギターは表現手段のひとつに過ぎない。俺はずっと世の中が従わなければならないルールを無視し続けてきた。なぜなら、俺にとっての究極のゴールはあの子供時代に戻れるようになることだからだ。少なくともクリエイティブという意味でね。

 

ギターから他の楽器に切り替えようと思った理由は?

 

ギターという楽器に限界を感じた瞬間があった。少なくとも俺には限界があるように思えた。コードやメロディという意味ではない。楽器を問わず、コードやメロディは無限だと俺は思っている。そうではなくて、気に入ったギターサウンドを得られるクールなエフェクターや機材を見つけるのに時間がかかりすぎていると思うようになったんだ。一方、シンセサイザーはそうじゃない。エフェクターなどを入れるためのバッグもいらない。オンにすれば、最初に適当に立ち上げたサウンドでさえ「ワオ、このサウンドなら曲のイメージが沸くぞ」と思える。

 

 

 

“モジュラーシンセを使い始めたのは、ソフトウェアを使い過ぎたことがきっかけだった”

 

 

 

Buchlaやモジュラーシンセでパッチを組んで、そのような素晴らしいサウンドを生み出すのはかなり大変に思えますが、モジュラーシンセの「テーブルの上を綺麗に片付けてまたゼロから始める」というアプローチをどう捉えていますか?

 

俺にとってモジュラーシンセはまず楽器であることが重要だ。この考え方が、他の多くのモジュラーシンセユーザーと俺の違いだ。特にEurorackのユーザーとは違うね。BuchlaやMakenoise、VerbosやHarvestman、Livewireでも何でも構わないが、とにかく俺は "楽器をデザインしている" という人間のヴィジョンが好きなんだ。それがモジュラーかどうかはまた別の話だ。モジュラーシンセの好きなところは、真っ白なキャンバスからスタートできるところだ。あと、モジュラーシンセにはルールもない。俺は「アイディアは頭の中にある。あとは道具があれば良い」という考えに同意できない。俺に言わせればそんなのはウソだね。俺の中にアイディアが生まれるのは、俺に挑んでくる何かを前にしているからだ。

 

あと、モジュラーシンセについて俺が気に入っているもうひとつの点は、ひとつのモジュールに飽きたら、そのモジュールを取り外して他のモジュールと入れ替えられるところだ。いくつかのモジュールを取り出して小さく分けてまとめられる点も気に入っている。一部のモジュールを取り出すと、それらにより多くの時間を費やすことになるから、特定のモジュールの知識を深められる。大きなキャビネットとは違ってね。友人たちは俺のことをEurorack系モジュールに関しては小難しい老人みたいだと言うが、それは俺が素晴らしいと思えるクリエイティブプロセスを省略しているものが多いと思っているからさ。そのプロセスとは、機材の制限が生み出すプロセスだ。最近はデジタルモジュールが存在する。それはそれで構わないが、そういうモジュールはできることが多すぎるんだ。スピーカーに直接つなぐだけでいきなり素晴らしいサウンドが生み出せるものや、7種類の音声合成方法を備えているものもある。俺に言わせれば、そういうモジュールは「ハンドメイド、数量限定、ナンバリングとサイン付きの冷凍食品」みたいなものさ。別に悪口を言いたいわけじゃないが、要するに、そういうモジュールは俺のやりたいことを全部やってしまうんだ。

 

俺がモジュラーシンセを使い始めたのは、ソフトウェアを使い過ぎたことがきっかけだった。Minimoogを手に入れるまで、俺はソフトウェアしか使っていなかった。Logic Audioを音楽学校で教えていたからさ。当時の俺は、自分が得意とするものを教えることができていたのは嬉しかったが、家に帰ってきたあとは、ワインの1本も空けないとクリエイティブになれなかった。疲れ切っていたんだ。今はもうアルコールは飲まないが、要するに、その生活が俺にアナログモジュラーを手にさせることになったんだ。自分の手で操作するという触感的なアプローチが、俺のクリエイティブプロセスの大きな一部を占めるようになった。自分の手を使って音楽を作るのはとても楽しいということに気が付いたんだ。

 

もっと明確に “モジュラーシンセと恋に落ちた” 瞬間は、発売直前のBuchla 200eを借りた時だった。Nine Inch Nailsのミュージックビデオ「The Hand That Feeds」の撮影をする時に、仲の良い友人が200eを貸してくれたのさ。撮影は2日間だったから、俺は200eを撮影現場に残しておきたくなかった。だから、家に持ち帰ったんだが、結局、200eをずっと触っていてその日は一睡もしなかった。それで翌日に購入したんだが、ラップトップをテーブルの下に置いて、サウンドカード経由でそのサウンドをひたすら録音した。なぜなら「こんな高価な機材は絶対にキープできない」と思っていたからさ。この出会いが経済危機を迎え、社会生活を失うという素晴らしいラブストーリーに繋がったわけだ。俺はDon Buchlaのシンセに夢中になったんだ。

 

 

Buchlaと所有者の関係やBuchlaのサウンドがユニークな理由はどこにあるのでしょう? Suzanne Cianiは、Buchlaは自分の恋人、人生で一番大事な存在と言っていました。

 

俺もSuzanne Cianiと、彼女とBuchlaの関係について何回か話したことがあるんだ。彼女の苦労は計り知れないよ。なぜなら、当時は少しでもBuchlaの調子が悪くなれば、Don Buchlaが住んでいたバークレーに送り、修理して戻ってきても、また調子が悪くなるという繰り返しだったと思うからね。Buchlaはとてもデリケートなシンセなんだ。Buchlaを作曲とパフォーマンスの中心に据えるのは、非常にリスクが大きい。でも、Suzanneのクリエイティブプロセスの大半はBuchlaが占めていた。だから、Buchlaが壊れた時の彼女の心の痛みがどれだけだったか、俺には想像できない。俺は今もBuchlaを使ってパフォーマンスをしているが、明るいロウソクほど早く燃え尽きてしまうのと一緒で、優れているがゆえに脆弱だということは理解している。

 

あなたはオープンオーディション(誰でも受けられるオーディション)を経てNine Inch Nailsへ加入したわけですが、初めて会った時のことを教えてください。

 

2004年にNine Inch Nailsがギタリストとシンセサイザー&キーボードプレイヤーを募集しているフライヤーを見たんだ。Trent(Reznor)の音楽は、サウンドとアートを常に探求している音楽に感じていたから、参加してみたいと思った。このバンドが自分の居たい場所だというのは分かっていた。俺はキーボードプレイヤーじゃない。キーボードの演奏経験はない。シンセサイザーが好きだっただけだ。当時、俺はNord Modularのオリジナルを持っていた。だから、オーディションで演奏する「Closer」のためにNord Modularのパッチを色々と試してベースラインとシンセラインを用意しつつ、「Wish」のためにギターとシンセのパターンを用意した。ギターとシンセを行き来できるようにね。最初のオーディションはベーシストと一緒だった。当時のドラマーと一緒に演奏したんだ。そのあと呼び戻されて、今度はTrentやもっと多くの人たちの前で演奏した。かなり緊張したよ。それから、彼らがアルバム『With Teeth』をミキシングしていたスタジオ、The Villageに招かれた。そこで初めてEMSのシンセを目にしたんだ。Trentは俺に触らせてくれた。その日は、俺と一緒にツアーすればどんな日々が待っているのかを彼らが確認するためのものだったんだ。

 

あなたがソロアルバムを通じて表現している音楽はとても美しいと思います。非常に純粋で、シンセサイザーで白いキャンバスを塗ることを楽しんでいる様子が伝わってきます。

 

『Sonno』はタイトルがそのままテーマになっているアルバムだ。「眠る」という意味だよ。元々はツアー中の自分のための子守歌として用意したものだった。俺は旅行が得意じゃないから、眠るのに苦労するんだ。だから、古いRoland MC-202とディレイのエフェクターを数台持ち歩いていて、それらをホテルの部屋のテーブルの上に並べて小さなスピーカーを接続して、適当にフレーズを打ち込んだ。それで、長尺のシーケンスをリピートさせながら、多少変化を加えたあと、ベッドに横になっていた。そのあと、俺は小さなZOOMのレコーダーにヘッドフォンを繋いで、その子守歌を聴きながら部屋の中を歩き回るようになった。それで「バスルームから録音しようとするとモニターの出音が奇妙に聴こえるな。窓を開ければ車の音も入ってくるぞ」と思ったり、風呂に入る準備をしながら「天井から聞こえてくるシーケンスに蛇口から流れる水の音をかぶせると最高じゃないか」と思ったりしていた。リリースするつもりはまったくなかった。自分のためのものだったんだ。

 

『Forse』シリーズはMusic Easelのための楽曲をまとめたものだ。長年探し回ったあと、遂にMusic Easelのオリジナルを見つけることができたんだ。実は、それはDon Buchlaが製作した最初のプロトタイプだった。元々は、知っているレーベルからリリースしようと思っていたんだが、話が流れた。そのあと、友人のEzra Buchlaが俺の家に来た時に数曲聴いて「Important RecordsのJohn(Brien Jr.)に話をしてみなよ。興味を持つと思うよ」と言ってきた。彼が帰った晩に、オークションでAllen Strangeがモジュラーシンセについて書いた本『Electronic Music: Systems, techniques, and controls』を落札したんだが、PayPalで支払先の住所を確認したら、出品者がImportant RecordsのJohnだということが分かった。それで「あまりにも偶然すぎるから書かせてもらうよ。Ezra Buchlaが今日俺の家に来ていて、君の話をしていたところなんだ」とメールを送ったんだ。Johnは最高の奴で「是非君の作品を聴きたいね」と言ってくれた。でも、彼が俺の作品をリリースしてくれるとは思っていなかった。Pauline OliverosやÉliane Radigueがリリースしているレーベルだし、俺は「自分の作品がリリースされるなんて絶対ないね。俺なんて何者でもないんだから」と思っていた。俺の中では、俺はまだ14歳の速弾きキッズのままなのさ。

 

 

 

Header Photo: © Maxwell Schiano