三月 08

Instrumental Instruments:Roland SH-101

リリース当時は大失敗に終わったが、次世代のダンスミュージックプロデューサーたちと共に独自の道を歩んでいったクラシックアナログモノシンセを取り上げる

By Matt Anniss

 

1980年代初頭、日本の機材メーカーRolandは、ポップ&ロックのプロミュージシャンと最新の音声合成機能を備えた高額なシンセサイザーに手が出ない一般層の両方にアピールできる量産型シンセサイザー群の開発に乗り出した。残念ながら、大部分においてRolandはこの目標をクリアできず、その代わりに、当時彼らが開発した製品の多くは、自分たちが予想していなかった形で使用されることになった。

 

今も高く評価されているTR-808 Rhythm Composerがそのひとつだ。1980年にリリースされたこのドラムマシンは、業界のスタンダードの地位を確立していた(しかし、非常に高価だった)Roger LinnのドラムマシンLM-1の廉価版としてデザインされたが、そのヘヴィなパーカッションサウンドは、彼らが狙っていた生楽器のサウンドとはほど遠かった。この結果、その近未来的なサウンドと低価格によって、TR-808は、ヒップホップとエレクトロなど当時生まれつつあった一連のエレクトロニック・ミュージックのスタイル を生み出すことに貢献したものの、Rolandが掲げていた目標をクリアすることはなく、ユーザーの期待にも応えていなかったため、1983年に生産終了となった。

 

さらに有名な製品が、TB-303 Bass Synthesizerだった。これは、Rolandが優秀なベースプレイヤーの代役になることを期待して開発した機材だったが、こちらも商業的に失敗し、すぐに生産終了となった。しかし、シカゴハウスのパイオニアに数えられるPhutureが使用してあの有名な “アシッド” サウンドを偶然生み出したことで生き残り、最もユニークな機材のひとつとして今も重宝されている。

 

 

 

"Roland SH-101は新世代のシンセポップバンドにパーフェクトだった − 少なくともRolandはそう思っていた"

 

 

 

Rolandがモノフォニックシンセサイザー(同時発音数が単音だったためこう呼ばれていた)SH-101をリリースした1982年末、彼らはこの製品が “ショルダーキーボード” 世代のミュージシャン御用達のパフォーマンスツールになると自信を持っていた。よって、SH-101は3種類のクールなカラーバリエーション(レッド・ブルー・グレー)でリリースされ、モジュレーショングリップ(ソロ演奏でベンドとLFOモジュレーションをかけるのに便利だった)もオプションとして用意された。また、専用のレザーストラップを装着すれば、肩に掛けて演奏できた上に、軽量でバッテリー駆動にも対応していた。このような特徴を備えていたSH-101は新世代のシンセポップバンドにパーフェクトだった − 少なくともRolandはそう思っていた。

 

当時の欧米で展開されたSH-101の雑誌広告には、人気拡大が予想される “ショルダーキーボード” マーケットを制覇したいというRolandの思いが強調されており、SH-101を抱える若者の写真と共に、「Freedom For Expression」(自由に表現しよう)や「Takes You Where You Want To Go」(好きな場所で演奏しよう)などのコピーが添えられていた。また説明文には、SH-101は体に響くディープな低域から叫ぶような高域までをカバーできると書かれていた。

 

 

SH-101は失敗に終わった。初心者でも学びやすいレイアウトと豊富な機能を備え、比較的低価格(当時:495ドル / 249ポンド / 59,800円)が設定されていたにも関わらず、SH-101は、ショルダーキーボーディストに憧れる若者の御用達モノフォニックシンセサイザーにはならなかった。彼らが選んだのはYamaha DX-7だった。こうして、SH-101も1986年に生産終了となった。

 

しかし、当時の他のRoland製機材群と同じく、SH-101もその後独自の人生を歩み、ダンスミュージックシーンで最も有名な機材のひとつとなった。1990年代初期のハウスとテクノの人気爆発とシーンの拡大に最も大きな力を貸したのが、このシンセサイザーだった。

 

Plus 8 Recordsの共同設立者で、かつてスタジオに3台(全色コンプリート)のSH-101を置いていたJohn Acquavivaは次のように語る。「Rolandは偶然素晴らしい機材を生み出した。メインストリームで失敗に終わった機材が偶然そうなったんだ。彼らに先見の明があったわけじゃなかった。彼らは失敗したのさ。だが、そこにたまたま安い機材を買い集めて音楽を作っていた俺たちが居合わせたんだ。SH-101は彼らにとって失敗作だった」

 

 

SH-101を救ったのは、この機材の万能性だった。SH-101には、100ステップ入力可能なリアルタイムステップシーケンサー、ホワイトノイズジェネレーター、サイン波・三角派・矩形波が切り替えられるLFO、アルペジエイター、外部クロックイン、CV/ゲート入出力端子、そしてサウンドをスムーズに変えられる使い勝手の良いノブとスライダーが用意されていた。同社のJunoシリーズのようなポリフォニックシンセサイザーとは異なり、コードこそ演奏できなかったが、ダンスミュージックをいちから作るために必要なほぼ全てが備わっていた。

 

デトロイトテクノの黎明期にSH-101が担った役割について、Juan Atkinsは「全員がどこかのタイミングで必ず使った機材だと思う。あの頃はお互いの機材を貸し借りしていたからね。当時のデトロイトにはTR-808とTR-909はそれぞれ1、2台しかなかった。それらを私とDerrick May、Kevin Saunderson、Eddie Fowlkes、James Penningtonで使い回していたのさ。1985年頃から、その “機材リスト” にSH-101も加わった」と振り返っている。

 

 

Atkinsは、SH-101を使った作品として「Off To Battle」、「Interface」、「O.K. Coral」の3トラックを挙げながら、次のように続けている。「俺はあのベースサウンドが好きだった。スライダーで簡単に変えられるファットなベースサウンドが気に入っていた。雑誌や楽器屋でSH-101を見かけたことは一度もなかった。最終的に俺のスタジオに収まったんだ。この事実が全てを語ってるんじゃないか?」

 

一方、若者たちが当時生まれつつあったアシッドハウスカルチャーに魅了されていたUKでは、パイオニアヒットとなったA Guy Called Gerald「Voodoo Ray」がSH-101の能力を喧伝する広告塔として機能した。A Guy Called Geraldこと、Gerald Simpsonは「DJをしたり、レコードをプレイをしたりするのをやめるきっかけになったのがSH-101だった。持っていたTB-303よりもレンジが広かったから、ベルのような高域からディープな低域まで自由に生み出せた」と振り返っている。

 

 

A Guy Called Geraldの『Voodoo Ray』EPには、SH-101のサウンドが随所に散りばめられていた。タイトルトラックには特有のベースハーモニクスが、「Blow Your House Down」には低・中・高のサウンドが含まれており、「Rhapsody On Acid」にはさらに多くのSH-101のサウンドテクスチャが盛り込まれている。今振り返ると、ダンサー時代のSimpsonのライバルだったヨークシャーのダンスクルーをはじめとするこのレコードに大きな影響を受けた人たちが揃ってSH-101をスタジオ機材の中心に据えていたのは、全くもって偶然ではなかったのだ。

 

その元ライバルGeorge “E.A.S.E” EvelynとNightmare On Waxを立ち上げたKevin “Boy Wonder” Harperは「当時持っていたのは、誰かから借りてきたドラムマシンとRoland SH-101だけだった。ある日の午後、俺は “Voodoo Ray” をターンテーブルに乗せてプレイしながらSH-101をいじって、Geraldのサウンドを真似てみたんだ。そのあとで、外出から戻ってきたGeorgeに俺がやっていたことを再現して聴かせると、自分のサウンドにアレンジしたらどうだとアドバイスされた。それで “Dextrous” が生まれたのさ」と振り返っている。こうして、ヘヴィなサブベースと「Voodoo Ray」の女性ヴォーカルのサンプルを取り込んだ白盤がプレスされ、Warp Recordsの初期ヒットトラックのひとつになった。

 

「SH-101のサイン波は最もヘヴィなベースサウンドだった」と振り返るのは、「Dextrous」と同レベルのインパクトをもたらした初期ブリープアンセム「Track With No Name」の生みの親Winston Hazel(Forgemasters)だ。「あのトラックは、Robert Gordonのホームスタジオで4時間くらいで作ったんだ。使った機材はサンプラーとTR-909、SH-101だけだった。あの時初めてキーボードや機材に触れたんだ」

 

 

ブリープ時代にSH-101の性能をアピールする最高の広告塔として機能したトラックは、Ital Rockersの「Ital’s Anthem」だろう。のちにIration Steppasとして人気を獲得するMark Millingtonの初期作品のひとつだ。1990年春にBassic Recordsからリリースされたこのトラックに含まれている強力なサブベースと緊張感漂うワイルドなソロは、Roland側が思い描いていた使用方法にかなり近い。

 

Millingtonは「俺のセットアップはかなりシンプルだったよ。4トラックレコーダーと子供だましのドラムマシン、あとはSH-101だけだった。“Ital’s Anthem” はほぼライブレコーディングだ。アレンジもほとんど考えなかった。ミックスバランスもその場限りの設定だったから、再現するのは不可能だった」と振り返っている。

 

 

1990年頃までに、SH-101はAphex Twin、Orbital、The Prodigy、808 State、The Grid、The Future Sound of Londonなどのスタジオに置かれるようになっていた。その多くは質屋や中古楽器屋、または音楽機材雑誌の募集広告経由で手に入れられたものだった。SH-101の直感的で簡単な操作性は、当時増加傾向にあったUKのダンスミュージックプロデューサーたちにとってパーフェクトだった。

 

1989年頃にSH-101を初めて手に入れた4HeroのMarc Macは次のように振り返っている。「SH-101は電源を入れるだけで自分の好きなサウンドがすぐに出せた。自宅に戻ればすぐに制作をスタートできたのさ。俺が一番気に入っていたのはシーケンサーだった。LFOと連動しているから、CV/ゲート経由でドラムマシンと同期させていても面白い変化が生み出せた」

 

4Heroは、他のブレイクビーツ系・ハードコア系プロデューサーやのちのジャングルプロデューサーのように、SH-101のサブベースを活用することは少なかったが、SH-101をスタジオのメイン機材のひとつに据えていた。Macが続ける。「SH-101だけでトラックが作れたんだ。これがこの機材最大の魅力だった。ドラムやエフェクトを含めてあらゆる部分に使ったよ。メロディだけじゃなく、クレイジーなサウンドやノイズも生み出せた。これが良かった」

 

 

SH-101がTB-303、TR-808、TR-909と同レベルの人気を獲得することはなかったが、これらと同じくRoland製品だったことと、これらと簡単に同期できることが、人気の向上に貢献した。John Acquavivaが説明する。「Rolandの一連の機材群は簡単に同期させることができた。MPU-101があればさらに簡単だった。TR-808とTR-909を繋ぎ、SH-101のシーケンサーにフレーズを打ち込めば、あとはTR-909をトリガーにするだけで同期演奏ができた。当時としては最高レベルの同期システムが組めたのさ」

 

このMIDI以前の同期は、当時のプロデューサー(その後のライブパフォーマンス)にリアルタイム演奏の恩恵をもたらした。Gerald Simpsonは「SH-101はライブで使っていたよ。TR-808でSH-101のシーケンサーを走らせていた。そして、SH-101のCV/ゲートの入出力をTB-303に繋げていた。シンセサイザーのオーケストラを組んでいたんだ」と振り返っている。

 

 

面白いことに、SH-101は現在かなりの高価格で取引されているにも関わらず、今もライブで頻繁に使用されている。Jordan “Jordash” Czamanskiは「SH-101は僕たちのテックライダーに必ず書いている。Magic Mountain HighやJuju & Jordashのライブは、SH-101がなければ快適に行えない。即興演奏だから、ベースラインを転調したい時やアイディアが生まれた時に瞬時に対応する必要がある。SH-101は僕が知っている中で最もスピーディに対応できるシンセサイザーなんだ。サウンドも素晴らしい」と語っている。

 

サウンドの幅広さも、ダンスミュージックプロデューサーたちから愛されている理由のひとつだ。Czamanskiが続ける。「TB-303のようにすぐに聴き分けられるサウンドじゃないけれど、ミックスの中に埋もれないサウンドなんだ。独特の柔らかさもある。他の優れた名機と同じで、SH-101も独自のキャラクターを備えているよ」

 

 

 

"SH-101が失敗作だったとは言い切れない"

John Acquaviva

 

 

 

ベース主体だった初期UKダンスミュージックに様々なサウンドを提供したことが、SH-101のダンスミュージック全体への最大の貢献と言えるが、ユーザーはそこだけに留まらなかった。1990年代から2000年代初期にかけて、SH-101はBoards of CanadaやAutechreのようなビッグアクト、あらゆるジャンルを股に掛けて活躍していたLuke Vibert、スタジアムクラスのChemical BrothersやCrystal Method、そしてサイトランスアクトのUnion JackやAstral Projectionなどにも愛用された。過去30年でSH-101よりもエレクトロニック・ミュージック全体に大きな影響を与えたモノフォニックシンセサイザーを思いつくのは難しい。

 

ではなぜ、SH-101はTB-303、TR-808、TR-909のような評価を得ていないのだろうか? 言ってしまえば、SH-101はこれらのようなアイコニックな機材と等しく扱われるべきではないだろうか? Juan Atkinsは次のように考えを示している。「SH-101が重要な機材だったことは確かだが、TR-808、TR-909、TR-303ほど重要ではなかった。SH-101は優秀な機材で、他のシンセサイザーと同じように様々なアドバンテージを備えていた。だが、エレクトロニック・ミュージックの救世主というよりは、数多に存在したシンセサイザーの中のひとつに過ぎなかった。一介のシンセサイザーだったんだ」

 

 

John Acquavivaの意見は異なる。彼は、SH-101をダンスミュージックを代表する機材のベスト5に入れるべきだと考えている。「SH-101のデザイナーが誰だったのかは知らないが、当時最高のフレキシブルなパフォーマンスツールを作るという目標を掲げていたはずだ。今振り返ってみると、その目標は見事にクリアされていたと思う。シンセサイザーについて学べた上に、シンセサイザーをネクストレベルへ引き上げた機材だった。失敗作だったとは言い切れない」

 

DJ Octoberは、近年増加傾向にあるSH-101を再評価するプロデューサーのひとりだ。ブリストル在住の彼も、SH-101がダンスミュージックにもたらした影響は過小評価されていると感じている。

 

「TB-303のサウンドはユニークだから、すぐに聴き分けられる。Junoシリーズのパッドやストリング、ベースもそうだね。でも、SH-101はカメレオンのような機材なんだ。SH-101がトラックの中に使われているかどうかを聴き分けるのは難しい。1980年代に製造されたRolandの機材群の中で、SH-101はサウンド的には最も特徴がなかったかもしれないけれど、万能性に優れていた。もっと多くの人に認められるべき機材だよ」

 

 

 

All Photos (inc. Header image):©Camille Blake / appearing Roland SH-101 is from Mathew Jonson's collection.