十二月 15

Instrumental Instruments:MPC60

音楽に大きな影響を与えた機材を取り上げるシリーズの最新エピソードは、ヒップホップと強く結びついているサンプラー / シーケンサーを取り上げる

By Lance Scott Walker

 

ヒップホップはどこからともなく突然現れたアートフォームではない。その構成要素とツールも同じだ。ターンテーブルはヒップホップ誕生以前からこの世に存在しており、ミキサーやMC、ラップもそうだった。サウンドをサンプリングできる機材群も特定のジャンルのために生み出されたものではなかった。しかし、ヒップホップのプロデューサーたちが、このような機材群を元々の使用目的の範囲を超えた領域へと連れ出すことになった。MPC60もそのひとつだった。この機材はヒップホップサウンドと制作方法に革命を起こし、その新しい表現方法の数々はこの機材の生みの親さえも困惑させるものだった。

 

1970年代後半にドラムマシンLINN LM-1を開発し、その後MPC60を手掛けることになったカリフォルニア州出身のミュージシャン / エンジニアのRoger Linnだ。彼は「全く予想していなかった。私がオブジェクト・オリエンテッド・コンポジション(Object-Oriented Composition)、またはOOCと呼んでいる方法で音楽を作曲する人たちが大量に出てくるとは思いも寄らなかった。OCCとは、自分で全てを作曲・演奏するのではなく、ある程度は自分で演奏するが、それ以外については他人が努力して演奏した楽曲の録音物を使うという作曲方法だ」と振り返っている。

 

 

 

“1988年に発売されたAKAI MPC60(MIDI Production Center 60)は、世間のほとんどが存在に気付いていなかったひとつの穴を埋めることになった”

 

 

 

この作曲方法は、Linnが元々意図していたものではなかったが、ドラムマシンの開発自体も元々意図していたものではなかった。1970年代中頃、Linnはロックンロールの名手として知られる故Leon Russellのバックでギターを弾いていたのだが、Russellはまずドラムマシンをメトロノームとして使用し、そのあとでドラマーに叩いてもらうというレコーディング方法を採用していた。2人が一緒に仕事をしていた当時のロサンゼルスでは、ドラムマシンが至る所で確認できた。ラジオではドラムマシンを使用した楽曲がどんどんオンエアされるようになっており、セッションドラマーたちもドラムマシンのプログラミングと同期演奏を学んで、仕事にあぶれないようにしていた。しかし、Linnはこのような初期ドラムマシン群のサウンドをチープだと感じていた。そして、こう感じていたのはLinnだけではなかった。

 

そこで彼はドラムマシンの開発を始めることにした。エンジニアリングの正規教育を受けず、ほぼ独学で学んだLinnは、コンピューターを組み込み、シーケンスを数値入力してアコースティックドラムのサンプルを鳴らすドラムマシンをデザインした。このドラムマシンは、Compal 80と呼ばれていたコンピューターにRolandから購入したパーツを組み合わせたもので、プログラミング言語はBASICが採用されていた。

 

「当時は、様々なフィールドでマイクロコンピューターが使われるようになっていた時代だった。私がマイクロコンピューターを使おうと思ったフィールドが楽器だったというわけさ」

 

当初、Linnはこの発明の大量生産を特に意識していたわけではなかったが、音楽業界における彼の立ち位置が、自分の発明に興味を持つ多くの人たちにプロトタイプをプレゼンテーションすることを可能にした。プレゼンテーションを始めたばかりの頃にStevie Wonderに会う機会を得られたことで、Linnはこの機材を目の不自由な人でも使えるようにアイディアをいちから見直すことになった。Linnがアコースティックサウンドのサンプルに取り組み始めたのはこの出会いがきっかけだった。そして1980年、LINN LM-1(Linn Electronics LM-1 Drum Computer)は約5,000ドルで発売された。LINN LM-1は完全に新しいツールだった。当時の市場に出回っていた他のドラムマシン群はデジタルサウンドを採用していたが、LM-1は本物のアコースティックドラムをサンプリングしたサウンドを採用しており、この仕様がドラムマシンについて回っていた “オモチャ” というイメージを取り除く大きな助けになった。ドラムマシンは真剣に受け止められるようになり、音楽業界の重鎮たちがこぞって使い始めるようになった。前述のLeon Russellも初期ロットの1台を手にし、Harbie HancockやCaptain & TennilleのDaryl Dragonも手にした。また、Peter Gabriel、Madonna、Quincy Jonesも手に入れ、Princeに至ってはキャリアを通じてこの機材を愛用した。こうしてLM-1はヒット製品となり、1982年には後継機LinnDrumが発売され、そのさらに2年後にはLinn 9000が発売された。しかしその後、Linn Electronicsは倒産。ドラムマシンの開発を始めてから初めて、Roger Linnは創出に力を貸した市場から閉め出されることになった。しかし、彼は独自の製品の開発を続けた。そして、MIDIドラムマシンの開発に取り組んでいた1986年、日本の電子楽器メーカーAKAI Professionalからパートナーシップ締結のオファーが届いた。両陣営は合意に達し、Linnがデザイン、彼のチームがソフトウェア開発、そしてAKAIが開発と製造をそれぞれ担当することになった。

 

Linnは開発当時について次のように振り返っている。「私はいつもアウトサイドイン(目標から具体的な作業に遡るアプローチ)で製品をデザインしていた。そして、ボタンの形や用途、配置場所、そしてスクリーンの形などを具体的にデザインし、スクリーンに何が表示されるべきかについてもアイディアを用意した。フロントパネルとバックパネルの入出力端子についても具体的にデザインし、配置する位置も指示していた。そのあとで、チームから『このジャックはここかあそこに配置する方が良いですね』などと意見が出されていた」

 

 

 

“MPC60は、ユーザーがサウンドとサウンドの隙間を自分でコントロールし、自分の手でシーケンスを演奏することが可能だった"

 

 

 

1988年にAKAI MPC60(MIDI Production Center 60)が発売されると、この機材は世間のほとんどが存在に気付いていなかったひとつの穴を埋めることになった。世界中のヒップホップとエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーたちの長年の希望を叶えたのだ。Linnは、1980年代には2種類のドラムマシンが存在していたと振り返る。「まずひとつ目は、私が手掛けたMPCや、LM-1とLinnDrumをベースにしたドラムマシン群だ。これらはリアルタイムプログラミングにフォーカスしていた。そしてふたつ目は、非常にクリエイティブで美しいデザインを誇っていたRoland TR-808系のドラムマシン群だ。これらはステッププログラミングにフォーカスしていて、16ステップのオンオフで記録・演奏するタイプだった。当時のドラムマシンは、どれもユニークなスタイルの音楽を生み出せたよ」

 

Linnのこの発言通り、MPC60がもたらした大きな変化のひとつは、全てのプロデューサーが独自の使い方を見出せたということだった。

 

ニューヨーク出身のプロデューサー / ミュージシャンで、Wu-Tang Clan、De La Soul、Medeski Martin & Woodなど様々なアーティストと共同作業をしてきた経験を持つScotty Hardは次のように振り返る。「MPC60はキーボードとして演奏できた最初のドラムマシンだった。キーボードのフレーズなどをシーケンスすることができた。MPC60はただのドラムマシンじゃなかったのさ。万能なシーケンサーだったんだ」

 

また、Geto Boys、UGK、Brian McKnightなどと仕事をしてきたプロデューサーN.O. Joeは「MPC60でビートメイクを始めてからは、他の機材には一切目が向かなくなったね。MPC60なら、4種類のキーボードフレーズをシーケンスして、クォンタイズをかけることもできたんだ」とコメントしている。

 

「あのドラムとサウンドクオリティは一発で分かるぜ!」と切り出すのは、Devin the Dudeとの仕事が最も良く知られているヒューストン出身のプロデューサーCarlos Garza(aka DJ Styles)だ。「特徴的なサウンドとアタックを備えていた。808だろうがスネアだろうが、MPC60を通せばどんなサウンドもベターになった。この機材を通せば素晴らしいサウンドクオリティが得られたんだ」

 

MPC60のサウンド − MPCに “サウンド” があるとすればの話だが − のキャラクターについては多種多様な意見があるが、サンプルソースをラウドにサンプリングできる機能とアナログサウンドをデジタルサウンドに変換する際に加えられる独特のコンプレッションとEQが、それまでのドラムマシンよりもファットなサウンドを生み出していたというのは共通意見として間違っていないだろう。また、MPC60はその機能的なデザインも革新的だった。MPC60は初期コンピューターに使用されていたDOSインターフェイスが表示されるシンプルなディスプレイと16個のパッドを擁しており、32種類のサウンドをメモリ内に保存可能で、シーケンスパターンも99個プログラムすることができた。また、ターンテーブル(または別のサンプラー)をMPC60に接続してサンプリングしたあと、パッドにアサインしてフロッピーディスクにセーブできた。サンプルレートは12ビットで、サンプリングタイムは最長13.1秒だった。よって、多くのプロデューサーはサンプルソースのレコードを78回転でプレイして秒数を稼ぎ、サンプリングしたあとでテンポを下げて使用するという手法を用いていた。サンプルはフロッピーディスクドライブからロードできたが、ロードには1分ほどかかることもあった。これはステージ上で使用している場合は永遠に感じられる長さだった。

 

先代のLinndrumと同じように、MPC60もリアルタイムプログラミングが可能だった。これは、ビートを自分で演奏できることと、メトロノームを無視できることを意味していた。MPC60は、この2点がTR-808やTR-909とは異なっていた。TR-808やTR-909はビートが16ステップに分割されたあと、そのステップ内に固定されるようになっていたが、MPC60では、ユーザーがサウンドとサウンドの隙間を自分でコントロールして、自分の手でシーケンスを演奏することが可能だった。MPC60のラバー製のパッドは、ユーザーの指の動きに対応する柔軟性を与え、アコースティックなドラムサウンドがよりリアルなフィーリングを生んでいた。とはいえ、MPC60がドラムパターンのリズムを整えてくれることを期待していた人もいただろう。これは、Linnが意図せずに盛り込んでいた機能だった。

 

「私が開発したリアルタイムレコーディングシステムは、ループするメトロノームに合わせたレコーディングと演奏が可能で、メトロノームに合わせてボタンを押せば、その通りにプレイバックできた。面白かったのは、ユーザーのパッド入力がそのタイミングから最も近い16分音符のメモリースロットに記録されるようにしていたので、プレイバックすると入力ミスが全て勝手に修正されるようになっていたことだった。これに気付いた私は、バグではなく機能として扱うことにした」

 

 

 

“ミュージシャン的な才能を持つプロデューサーは、リズムの揺れを自分でコントロールしながら、自分なりのタイム感をパッドに落とし込めた”

 

 

 

このタイミングの修正機能はやがて "クォンタイズ" として知られるようになり、今ではあらゆるドラムマシンにデフォルトで備わっている。しかし、MPC60は、リアルタイムでプログラミングすることなく現実世界のドラマーのフィーリングに近づけたいプロデューサーのために別の方法も用意していた。機材で再現できない部分、それは現実世界のドラマーの個性と言える部分だ − ドラマーのタイム感は無形で、数値化することはできない。全てのドラマーは、独自のスウィングや溜め、または特定のパートを強める癖を持っている。それまでのドラムマシンは常に演奏を16ステップに分けていた。多くのプロデューサーがそれを望んでいたからだ。しかし、ドラマがずっと同じ拍を強めたり、ずらしたりことはない。楽曲を通じて常に微妙に変化している。

 

Scotty Hardは「大抵の場合、キックとスネアはジャストで鳴らしたいと思うかもしれない。でも、ハイハットはちょっとスウィングさせたいと思うんだよ。MPC60ならこれができた。この機材のクールな特長のひとつだったね」と説明している。

 

つまり、MPC60では意図的にサウンドをパーフェクトから遠ざけることができたということだ。そして、このような不完全さこそが、楽曲をスウィングさせる要素だ。人間はリズムに完全にシンクロして踊るわけではない。ドラマーも全てのタイミングが揃った演奏はできない − この人間的な要素が人間を踊らせるのだ。MPC60のパッドは、リズムをイメージできるユーザーがビートを考える代わりにビートを直接演奏することができた。ミュージシャン的な才能を持つプロデューサーたちはこの特徴を活かして、リズムの揺れを自分でコントロールしながら、自分なりのタイム感をパッドに落とし込んでいたのだ。

 

上記は、MPC60でスウィングを加える方法のひとつの例だが、ヒップホッププロデューサーのDan the Automatorは異なった方法を採用している。「俺はわざち前後にスペースを作ってスウィングを生み出している。わざとタイミングがずれて鳴るようにしているのさ。シーケンサーにスウィングを加えてもらってるわけじゃない。俺たちがヒップホップのスウィングの話をすれば、世界最高のスウィングはDJ Premier、つまりはブームバップってことになるだろ。このサウンドも、彼のアイディアと手だけで生み出されているんだ」

 

ブームバップは、テキサス州出身でニューヨークのヒップホップデュオGang Starrを組んでいたDJ Premiereを世界に知らしめた制作スタイルだ。MPC60は彼がキャリア初期から愛用してきた機材で、ドラムループやサンプルを様々な形にチョップできたシーケンサー機能が、ブームバップをユニークなフィーリングを与えることになった。彼のこのスタイルは1980年代後半から1990年代前半にかけて、Dr. Dre(彼もまたMPCシリーズを重用していることで知られている)のウェストコーストのGファンクと同様にシーンに大きな影響を与えることになった。また、Prince Paul、MC Dalek、Jermaine Dupri、そしてフランスのエレクトロニック・ミュージックのレジェンド、Jean-Michel JarreなどもMPC60のファンだった。DJ Shadowが1996年にリリースした傑作アルバム『Endtroducing......』 − Dan the Automatorがエンジニアとして参加している − はサンプルだけで制作された世界初のアルバムとして知られているが、このアルバムもMPC60だけで制作された。

 

当時存在していたどの機材よりもヒップホップのニーズにダイレクトに応えていたMPC60は、未来永劫ヒップホップと関連付けられて語られるだろう。そして、この機材の生みの親Roger Linnは、今も自宅に構えたスタジオで新しい機材の開発を続けている。彼は音楽とテクノロジーの世界に耳を傾けながら、自分が生み出した機材群が原因のひとつになった可能性がある、ひとつの問題に注目している − ソリストの欠如だ。Linnはこの問題を解決しようと努力しており、2000年にギタープロセッサAdrenaLinnを開発した他、最近も、指の微妙な動きを3次元で読み取り、ミュージシャンにシームレスで幅広い音階を使ったソロ演奏を可能にするMIDIコントローラーLinnStrumentを開発している。これは、世界中のプロデューサーやミュージシャンにサウンドについて再考させた名機材群を開発してきた天才にとって、また別の新たな革命になる可能性がある − なぜなら、有機的で肉体的な音楽制作に回帰することになるからだ。テクノロジーは現代のプロデューサーに無限の可能性をもたらしてきた。しかし、MPC60が壁を打ち破り、サウンドの可能性を世界にもたらす様子をリアルタイムで見てきた世代は、この機材の登場が世の中をいかに変えたのかについて鮮やかに記憶している。

 

Dan the Automatorは「今は望むだけのサンプリングタイムが手に入る。だから、あの頃とは違った形でサウンドを扱っているんだ。あの頃は、MPC60のサンプリングタイムが当時のドラムマシンの限界値だった」と振り返っている。

 

最近スタジオにMPC60を導入したScotty Hardは、最後にこうコメントしている。「スタジオにMPC60を導入した日のことを良く覚えているよ。友人に『お前何やってんだよ。俺は何年も前からこんな機材使ってないぜ』と言われたんだ。でも、俺はPro Toolsを使っているし、コンピューターの前に長い間座っているから、もっと触って感じられる機材に戻りたかったのさ。俺はミュージシャン上がりだから、叩いたり、弾いたりして、楽器と何かしらフィジカルな関係を持つ方がセクシーに感じるんだよ」