十一月 29

Instrumental Instruments:Eventide H910 Harmonizer

今も熱狂的なファンを抱える、世界初の量産型ピッチシフターの歴史を振り返る

By Katie Bain

 

Eventide H910 Harmonizerは時間を操作できる画期的な機材だったが、世界的なヒットのきっかけとなった深夜のテレビ番組再放送での使われ方は凡庸だった。

 

1970年代前半、FCC(米国連邦通信委員会)はテレビで放送できるコマーシャル数の制限を緩和していた。この時期にリリースされたオーディオ機器メーカーEventideの新製品H910 Harmonizerは、元々はミュージシャンのために開発された製品だったが、米国のテレビ局のマネージャーたちはこの機材の中に、自分たちを悩ませていたあるひとつの問題の次善策として起用できる可能性を見出した。当時、米国内では深夜に『アイ・ラブ・ルーシー』が再放送されていたが、新たに許可された分のコマーシャル枠を作り出すために、テープの再生スピードがほんの少し上げられていた。しかし、スピードアップすると、ルーシー、リッキー、エセル、フレッドたちの声が不愉快なほどアニメ調なものに変わってしまった。

 

H910 Harmonizerを使えば、テープをスピードアップしたまま、ルーシーたちの声を元の “人間の声” に戻すことができた。ルーシーがアパートの中を走り回るスピードは10%速かったが、彼女の特徴的な声はオリジナルの状態を維持できた。資本主義者たちによるこのひとつの創意工夫がきっかけとなり、Eventideは当時超高額だったこの機材を全米各地のテレビ局へ出荷するようになった。そして、マンハッタンのレコーディングスタジオSound Exchange Studio(住所:265 West 54th Street)の地下にあった当時のEventide本社は多大な利益を得ることになった。

 

この機材を発明したEventideのTony Agnelloは次のように振り返っている。

 

「テレビ局の連中は “ワオ、今のレートで1万ドル(約110万円)を払えば、視聴者を金切り声で困らせることなく、毎晩コマーシャルを3分間多く放送できるのか!” と言っていた。彼らにとっては考えるまでもない話だった」

 

 

 

“H910 Harmonizerが発売された当時、この機材に似た機材は存在しなかった”

Tony Agnello

 

 

 

世界で初めて一般市場で発売された量産型ピッチシフティングデバイスだったH910 Harmonizerによって、アーティストたちは時間の長さを変えることなく、サウンドのピッチを変えられるようになった。この機材のノブを回すだけで、たとえば、Aマイナーのエレキギターコード30秒をCメジャーのエレキギターコード30秒に変えることができた。しかし、この機材の素晴らしさはこれだけではなかった。

 

H910 Harmonizerのディレイとフィードバックを組み合わせれば、ミュージシャンたちはこれまで実現できなかった方法でサウンドの形を変えたり、引き延ばしたり、曲げたりできる、完全に新しい、この世の物とは思えないエフェクトを生み出せた。また、世界初のデジタルエフェクトユニットだったH910 Harmonizerは、のちに自分の首を絞めることになるエレクトロニック・プロダクションとデジタル・レボリューションの誕生も促すことにもなった。Eventideは、シンガーが自分の声のピッチを変えて自分ひとりでハーモニーを生成することがこの機材の主な使用方法になることを想定し、Harmonizerと名付けた。

 

Agnelloは「H910 Harmonizerが発売された当時、この機材に似た機材は存在しなかった。他とは完全に異なる新しい機材だった。それまでは実現不可能だったことができた」と振り返っている。

 

昔から試行錯誤を繰り返すのが好きだったAgnelloは、科学展に顔を出したり、音楽を聴いたりしながらニューヨークで幼少期を過ごした。1960年代から大きな影響を受けているAgnelloはThe Beatlesの大ファンだった。スタジオテクニックが向上し、瞑想を始め、アシッドを摂取するようになった長髪時代の彼らが特にお気に入りで、1967年にリリースされた万華鏡的アルバム『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、若き発明家にとって "人生を変える1枚" となった。そしてそれから数年後、彼は急速な音楽制作の進化に自らの力を貸すことになるのだった。

 

 

 

 

Agnelloは、ブルックリンの工業高校に通ったあと、ニューヨーク市立大学に進学して工学を専攻し、その後はオーディオ信号処理をテーマに据えた卒業研究に力を注いだ。当時はまだデジタルオーディオ機器の一般市場は存在しなかったが、研究所レベルでは、やがてAgnelloのキャリアを形作ることになるテクノロジーの試行錯誤を科学者たちが繰り返していた。Agnelloは大学院在学中にIBMから就職のオファーを受けたが、音楽業界に進むことを決心して、このオファーを断った。そして1972年のある日、マンハッタンの54番通りで新しいオーディオテクノロジーの研究をしているRichard Factorという人物に会うべきだと勧められたAgnelloは、言われた通りそこへ向かい、彼と会った。そしてその後すぐに、FactorはAgnelloをEventide初のエンジニアとして雇い入れた。

 

アマチュア無線の免許を12歳で取得したテクノロジーの神童だったFactorはEventideの共同設立者だが、世界初のアナログデジタル変換機材の発明者でもあった。Digital Delay Line、またはDDLと呼ばれていたそのアナログデジタル変換機は、サウンドを5分の1秒遅らせることができた。5分の1秒というこのほんの僅かな遅れが、ミュージシャンたちに情感溢れるエコーや全く新しいオーディオエフェクトを生み出すことを可能にしていた。DDLには当時数千ドルという高値が付けられていたが、これだけの金額を支払えたレコーディングスタジオは、退屈で面倒な「テープマシンでディレイエフェクトを生み出す作業」の代替を得られた。

 

FactorはAgnelloのメンターとなり、Agnelloは地下のオフィスでDDLのテストと製作に多くの時間を費やすことになった。当時、DDLを複数台導入できていたレコーディングスタジオは世界にひとつも存在しなかったが、Agnelloは何台も触れることができた。そのため、夜や週末になると、Agnelloはオフィスの上階にあったスタジオSound ExchangeにDDLを複数台持ち込み、そこのコンソールに繋げて色々な実験を繰り返した。そして、DDL同士を繋げると、その繋げ方によって様々な奇妙なノイズが生まれることに気付いた。

 

Agnelloは「“DDL複数台分のコントロールとピッチシフト機能をひとつにまとめることができれば立派な製品になるぞ” と思った。ただサウンドを遅らせて、テープマシンと同じディレイエフェクトを生み出すだけではなく、新しいエフェクトを生み出せるからね。これがH910 Harmonizerの下敷きになった」と振り返っている。

 

 

 

“H910 Harmonizerによって、オーディオエフェクトは広がりが加えられ、複数の次元やレイヤーを持つようになり、当時台頭しつつあったエレクトロニックな方向へさらに突き進んでいった"

 

 

 

Agnelloは早速作業に取りかかった。型番は、1970年にリリースされたアルバム『John Lennon / Plastic Ono Band』のインナースリーブを読んだあとに決められた。そのインナースリーブにプリントされていた歌詞の上部には、John Lennonの手書きのメッセージが日付入りでプリントされていた。その日付は1970年10月9日、つまり、John Lennonの30歳の誕生日だったが、英国人のLennonは月日を “日・月・年” の順番で表記するため、そこには、9/10/70と書かれていた。Agnelloは月日の順番が変わっていることに気付くことなく、その最初の2つの数字を彼へのオマージュとして選んだ。こうして、正式名称H910 Harmonizerが誕生した。

 

それから数ヶ月後の1974年末、H910 HarmonizerはAudio Engineers Societyで初公開された。Agnelloは、ノブ4個と中央の赤いデジタルディスプレイが特徴的な洗練されたブラックボディではない、本人が「恐ろしいほど醜かった」と振り返っているプロトタイプをミッドタウンに位置する高級ホテルWaldorf Astoriaの会議室に持ち込んだ。そして、この会場で英国のプログレッシブロックバンドYesのJon Andersonがこの機材の存在とその型破りな性能を知ると、FactorはAndersonにプロトタイプを渡すべく、すぐに飛行機に飛び乗って英国へ向かった。

 

もうひとりのベータテスターとなったのが、革新的なモジュラーシンセサイザーBuchlaを使った作品で知られる、エレクトロニック・ミュージックのパイオニアのひとり、Suzanne Cianiだった。カリフォルニア大学バークレー校大学院修了後、1970年代前半にCianiはニューヨークへ渡って自分のオーディオ企業、Ciani/Musicを立ち上げていたため、あらゆるオーディオ機器メーカーが彼女に新機材を送ってテストしてもらっていた。Cianiは「当時、デジタルプロセッシングはビッグニュースでしたし、大きな一歩でした。ですので、このテクノロジーを使用した優秀な製品が数多く発表されていましたが、H910 Harmonizerはまさにクラシックでした」と振り返っている。

 

Grateful DeadもH910 Harmonizerの噂を耳にしていた。そこでFactorは、メンバーのPhil Leshと、カウンターカルチャーのアイコンで、LSD製造者としても有名だったトップエンジニアOwsley Stanleyがライブアルバム『Steal Your Face』(1976年)のミキシングをしていた南カリフォルニアのスタジオへこの機材を届けた。

 

Eventide本社から電話インタビューに応じたFactorは「ひとつ言えるのは、あの頃は最高だったってことだ」と振り返っている。

 

David Bowieと長年コンビを組み、『The Man Who Sold the World』、『Young Americans』、『Heroes』、『Lodgers』を含む彼の作品の殆どを手がけたニューヨーク出身のプロデューサーTony Viscontiも、この機材を早い段階で導入したひとりだった。1970年代中頃、BowieとBrian Enoとの電話会議の中で、2人からBowieのニューアルバムにどんな新しいアイディアが持ち込めるのかを尋ねられたViscontiは「時間の構造をクソ曲げる」機材があると答えた。2人は受話器を落とすほど興奮して歓声を上げた。そして3人はスタジオに入り、『Low』(1977年)のレコーディングを行った。ViscontiはこのレコーディングにH910 Harmonizerを持ち込み、「Breaking Glass」のメタリックなスネアサウンドを含む様々なドラムエフェクトを生み出した。

 

 

 

 

Agnelloは「Viscontiは、私が考えてもいなかった方法でH910 Harmonizerを使い始めたんだ。何かのインタビューの中で、彼は "他のプロデューサーから『Low』のドラムエフェクトをどうやって生み出したのかと質問されたが教えなかった" と言っていたね」と語っている。

 

H910 Harmonizerによって、オーディオエフェクトは広がりが加えられ、複数の次元やレイヤーを持つようになり、当時台頭しつつあったエレクトロニックな方向へさらに突き進んでいった。デジタルオーディオワークステーション(DAW)の拡大の予兆とも言えたH910 Harmonizerの登場によって、アーティストたちを制限するのは、楽器ではなく、自分たちのイマジネーションだけになった。マシンエフェクトをアナログサウンドに加えることで、彼らは急速に自分たちのサウンド辞典を分厚くしていった。Frank ZappaはギターにH910 Harmonizerを通すようになり、Jimmy PageもLed Zeppelinのアルバム『Coda』の「Bonzo’s Montreux」にスティールドラムエフェクトを加えた。また、H910 Harmonizerはスタジオ用機材として開発されたが、Elton JohnとLaurie Andersonはライブでこの機材を使用した。

 

Laurie Andersonは2016年に行われたインタビューの中で「誰もが “ワオ、どうやってこのサウンドを出しているの?” って感じだった。非常に素晴らしいツアー機材だったわ」と語っている。

 

 

 

“H910 Harmonizerが登場した時は、22世紀に突入したように思えた”

Flood

 

 

 

H910 Harmonizer最大の魅力は、その独特のエフェクトではなく、サウンドに無限の新しいスペースを提供したところにあった。プロデューサーたちは、ヴォーカルやギターを太くするなど(AC/DC「Back In Black」のアイコニックなギターリフを含む)、この機材をレコーディングした素材に温かみ、厚さ、柔らかさ、広がりを加えるのに使用した。また、H910 Harmonizerの登場によって、ボタンを数回押すだけで別々にレコーディングされた素材を滑らかに繋げることが可能になった他、独特の不安定な揺れがこの機材を通したコーラスに自然さを加えていた。さらには、サウンドを豊かに重ねるなど、様々な効果が生み出せたテクニック "H910 Harmonizer 2台使い" もプロデューサーの間で人気を博した。このようにして、H910 Harmonizerはプロデューサーたちに、レコーディングした素材を変えたり広げたりできるより広大なクリエイティビティの可能性を提供し、スタジオとコントロールルームの関係性を永遠に変えた。

 

U2、Nine Inch Nails、Depeche Modeなどと仕事をしてきたUK出身のプロデューサーFloodは「H910 Harmonizerが登場した時は、22世紀に突入したように思えたね」と振り返っている。

 

プロデューサーたちはH910 Harmonizerの欠点さえも受け容れるようになり、この機材が偶然生み出したグリッチサウンドもレコーディングに組み込んでいった。このデザイン上の欠陥が、オーディオレコーディングシーンの辞書に「グリッチ」という単語を追加することになり、最終的にこの単語はエレクトロニック・ミュージックのひとつの独立したジャンルになった。このグリッチが存在しないニューモデルH949をEventideが1977年にリリースした際、一部のアーティストたちは、マシンエフェクトにオーガニックなフィーリングを加える要因として捉えていた偶然の欠点が消えてしまったことを悲しんだ。

 

H910 Harmonizerはリリースからたった数年でスタンダードな機材となり、最終的には、Tom Petty『Damn The Torpedoes』、Patti Smith「Because The Night」、U2の1980年代前半のアルバム群、同年代のVan HalenとOzzy Osbourneのアルバム群の大半を含む何千枚もの作品に使用されることになった。また、製品名の元となったJohn Lennonが1974年にリリースしたアルバム『Walls And Bridges』に使用したことで、H910 Harmonizerは自らの歴史を一周することにもなった。

 

 

 

 

Cianiは「あの頃は、このようなテクノロジーは全てとてもパーソナルなものだった。Don Buchla、Bob Moog、Richard Factor、Tony Agnello… 最初に生み出した人物の名前をみんな知っていたわ」と語っているが、このようなファミリー感は、テクノロジーがアーティストたちの輪よりも大きくなり、国際的な大企業が中小企業を買収し始めたことで徐々に失われていった。

 

Roland、Yamaha、Korg、Akaiのような日本企業を中心とした大企業が、オリジナルのデザイナーたちの才能を小さく見せてしまうようなスケールで機材の製造と販売をするようになった。また、彼らは、Roland D-50、Yamaha DX7、Korg M1のような新しいシンセサイザー群を投入することで、機材デザインの本質をアナログからデジタルに変えた。低価格でキーボードを全面に押し出した彼らの機材群は、Phil Collins、Kenny Loggins、Madonnaのようなポップアーティストたちの間で流行したが、実験的なモジュールやモジュラーシンセを好むアーティストたちには好まれなかった。

 

結局、Moog Musicは1986年に破産申請し、1987年にはYamahaがサンフランシスコに拠点を置くシンセメーカーSequential Circuitsを買収。Eventideも1983年に全てのモジュールタイプの製造を中止した。このような変化を受けて、これらの機材群をベースに作品を制作していたアーティストたちは時代の狭間に取り残されてしまった。

 

「秘めていたポテンシャルは大きかったけれど、結局最後まで残れなかった。大企業の機材群は一般向けの大きな市場を生み出したけれど、目の肥えた人たち、つまりミュージシャンたちの期待に応えることは一度もなかった」とCianiは語っている。

 

H910 Harmonizerのリリースから40年以上が経過した今、時代の流れはまた変わっており、近年活躍するエレクトロニック・ミュージックのアーティストたちは、クラシックなモジュラータイプの機材を好むようになっている。Empire of The Sunと頻繁に仕事をしているスタジオエンジニアRoy Hendricksonは、現在スタジオ内にH910 Harmonizerを2台置いている。時折チューンアップをする必要があるが、彼は今もEmpire of The Sunが生み出すユニークなサウンドスケープ全てにこの機材を使用している。また、Aphex Twinも2015年のグラミー賞で最優秀ダンス・エレクトロニックアルバム賞を受賞したアルバム『Syro』で、H949 Harmonizerを4台使用している。

 

 

 

 

今もAgnelloやFactorと良好な友人関係を保っているCianiは「当時を思い起こさせる革新が起きているわ。若い人たちからは “当時がどうだったのか知りたいんです。ノブを触ってみたいし、インターフェイスを感じてみたい。マウスを使ってコンピューターの中で作業するだけというのは面白くないんです” なんて言われるわ。彼らは再発見をしているのよ。素晴らしいと思うわ。なぜなら、わたしたちの世代でやり残したことがあるから」と語っている。

 

H910 Harmonizerが備える現代性の有効範囲は、モジュラーシンセサイザー・ルネッサンスだけに留まらない。現在はニュージャージー州リトルフェリーに本社を構えるEventideは、2003年にプラグインバージョンのH910 Harmonizerをリリースしている。このプラグインはオリジナルの全ての機能を再現している他、HendricksonとSashaを含むプロデューサーが作成したプリセットも収録されている。オリジナルは今も人気が高いが、近年はFactorが発明したDDLから始まったデジタルオーディオテクノロジーと共に進化を遂げており、コンピューターの中が主な保管場所になっている。また、Eventideは10種類以上のプラグインをリリースしているが、近年の彼らの収益の大半は、デジタルコンプレッションとデジタルストレージ機能を使用して何年分ものデータをレコーディングできるコミュニケーションデバイスと、テレビとラジオから放送禁止用語を削除できる機材が生み出している。

 

Waldorf Astoriaでのデビューから33年後、H910 HarmonizerはNAMM Foundationが運営するTECnology Hall of Fame(テクノロジーの殿堂)に選出された。2007年のセレモニーでFactorはレコーディングされたサウンドの歴史を変えた機材を生み出した人物としてAgnelloを紹介した。この機材をAgnelloたちの人間性の延長上にある機材として高く評価している人たちもいる。

 

Hendricksonは次のように語っている。「今、ハーモナイザーというテクノロジーはある意味、誰でも使える白紙みたいなものになっている。様々なハーモナイザープラグインが出回っているよね。でも、そのようなプラグインの開発者たちは、Tony AgnelloやRichard Factorのようなマインドを持っていない。彼らの耳は他とは異なっている、彼らのピッチシフトのアルゴリズムも他とは違う。これがH910 Harmonizerをユニークにしているんだと思う」

 

 

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