一月 26

Instrumental Instruments:Fender Rhodes

ジャンルを問わずあらゆる音楽で重用されてきたエレクトリックピアノの特徴と歴史

By Lance Scott Walker

 

Fender Rhodesのサウンドは誰もが聴いたことがあるはずだ - たとえ、その時に自分が聴いている楽器が何なのかが分かっていなかったとしても。クリーミーなオルガンとチラチラと揺れるチャイムの中間のようなその電気音響サウンドは、Bill Evans、Herbie Hancock、Chick Corea、Ray Manzarek(The Doors)、Donald Fagen(Steely Dan)、John Paul Jones(Led Zeppelin)のようなアーティストたちに起用されながら、長い時間をかけてユビキタスな存在になったが、今でも我々の耳の中に静かに滑り込んでくる。Fender Rhodesは、楽曲の中で使用されている楽器に合わせて自分を様々な姿に変えながら、その中に溶け込む術を持っている。生みの親Harold Rhodesは、自分の名前が冠されたこの楽器は、演奏者の耳をオープンにし、楽曲と自分の弾いている楽器の関係性を理解させるために存在するとしている。これはつまり、Rhodesの演奏者は、低域やリズムを支えることもあれば、レゾナンスに変化を加えながら外宇宙へ向かったりすることもあるということを意味している。Rhodesのサウンドには、多種多様なスペースを満たすことができる独特の温かさが備わっているが、これは偶然の産物ではない。過去半世紀に渡り世界各国のステージで愛されてきたRhodesだが、ベッドで演奏するピアノというアイディアから派生した楽器なのだ。

 

1910年生まれのHarold Rhodesは、地元カリフォルニア州でピアノ教師として働いたあと、第二次世界大戦中に陸軍航空隊に入隊した。この時に、Rhodesは音楽療法用の楽器としてエレクトリックピアノを使用するというアイディアを思いつき、入院中の負傷兵がベッドに寝ながらクリエイティブな活動ができるように、航空機の部品を使用してそのプロトタイプを製作した。RhodesがXyletteと名付けたこのプロトタイプを陸軍省は大いに気に入り、生産計画を立てて、Rhodesのために実機を製作した。そして、兵士を癒やすためのピアノというコンセプトに則り、Rhodesは「Make And Play」というプログラムを通じて何千人もの米兵にこのピアノの演奏方法を教えていった。退役後も、Rhodesはこのピアノの開発を続け、Pre-Pianoという、自分の名前が冠されたエレクトリックピアノの前身としては実に相応しい名前が付けられた楽器を新たに生み出した。

 

 

 

"Rhodesのサウンドは1台ずつ異っており、全てのミュージシャンがユニークなサウンドを手にしていた"

 

 

 

1959年、Rhodesは、StratocasterとTelecasterの2モデルで当時生まれたばかりのロックンロールに革命を与えていたエレクトリックギターの大家Leo Fenderとパートナーシップを結んだ。このパートナーシップによってFender Rhodesが生産されることになるのだが、最初は “Sparkle Top” として知られる世界初のベースピアノとして生産され、ピアノの低音域32鍵だけを使用したこの楽器は、やがてThe Doorsのライブでベースとして重用されるようになった。FenderとRhodesのパートナーシップが結ばれている間に製造されたモデルはSparkle Topだけではなかったが、一般発売されたのはこのモデルだけに終わった。このコラボレーションは大きな期待を生み出したが、製造プロセスの問題から失速してしまった。

 

1965年にCBS Instrumentsが天文学的な金額でFenderを買収したあとも、Rhodesはコンサルタントとして残った。そして、その後の数年間で、RhodesのピアノはFender Rhodesの名前で複数のバージョンがCBS Instrumentsによって生産されるのだが、タイミングが良かった。新しい製造ラインによって手に入りやすくなったFender Rhodesは、1960年代後半の音楽業界の実験思考の後押しもあって多くのミュージシャンの手に渡り、彼らはそのサウンドを自分のサウンドに積極的に取り入れていった。Fender Rhodesは、演奏という意味では従来のピアノとほとんど変わらなかったが、エレクトリックピックアップが内蔵されているという仕様が新たな可能性を生み出し、新世代のキーボードプレイヤーの登場を促すことになった。Fender Rhodesのサウンドは1台ずつ異なっており、全てのミュージシャンが自分たちの好みに合わせてフットペダルやモジュレーター、様々なカスタマイズなどを加えながら、ユニークなサウンドを手にしていった。

 

 

 

ニューヨークのダウンタウンを中心とするエクスペリメンタルシーンで活躍しているJamie Saftはこの楽器の魅力について、「ミュージシャン、キーボードプレイヤーの僕にとってFender Rhodesの何が魅力的なのかを考えると、やはりあの美しいサスティンだね。Wurlitzerのような他のエレクトリックピアノは、サウンドがすぐに消えてしまう。でも、Fender Rhodesは延々と鳴り続けるんだ。ベルのような煌びやかなあのサウンドを僕はとても気に入っている。Bill Evansがアコースティックピアノと組み合わせて使っていたけれど、あの2つのサウンドは僕にとってとても重要だった。あと、Fender Rhodesと言えば、Miles Davis『Bitches Brew』にも大々的にフィーチャーされているね」とコメントしている。

 

Fender Rhodesの名を世に広く知らしめたのは、『Bitches Brew』までのMiles Davisの数枚のアルバム群だった。そして、それらのアルバムでFender Rhodesを弾いていたのが、Herbie HancockとChick Coreaだった。Hancockは、Davisに呼ばれてスタジオに入ったあとピアノはどこにあるのかと尋ねると、ピアノの代わりにFender Rhodesを弾くように指示されたという思い出話をしているが、この日に初めてFender Rhodesに触れたHancockは、以来、この楽器を弾き続けた。

 

 

1970年代は、Rhodes Pianoにとって素晴らしい10年間になった。ビッグスタジオとビッグレーベル、ビッグバジェットのこの時代を通じて、Rhodesのピアノは多くのキーボードプレイヤーに好んで使われる楽器となった。Stevie Wonderはこのサウンドを自分のサウンドの要のひとつとした。Keith Jarrett、Bob Marley、Bunny Wailerも同じだった。Joe Zawinul(Weather Report)、George Duke、Ray Charlesも演奏し、Paul McCartney、Chuck Mangione、Billy Joelも愛用した。大御所ピアニストBob Jamesも活用し、John Paul Jonesも、Led Zeppelinが1973年にリリースした「No Quarter」でこの楽器を大胆に使用した。

 

 

Herbie Hancockは、1973年に自分がRhodes Pianoを弾いたデモテープについて次のように振り返っている。「私が想像していたよりも大きなサウンドだった。厚みがある上に、アコースティックピアノにはない、他のサウンドとの混ざりやすさもある。Rhodes Pianoは他の楽器との相性が本当に良いので、自分の演奏が上手く聴こえたよ!」

 

HancockはRhodes Pianoの真のパイオニアだった。彼は、初期のスーツケースモデルに内蔵されていたビブラートを特に好んでおり、彼が使用していたMaestro Echoplexのようなエフェクターや、彼が加えた変更は今でも用いられている。多くの人にとって、HancockのRhodesサウンドは、この楽器の代名詞と呼べるものだったが、彼がこの楽器に加えた数々の変更は、その再現ではなく、さらに新たな実験へと繋がっていった。そしてこれは、この楽器の元々のアイディアだった。Rhodes Pianoは、先述した通り、演奏者の耳をオープンにするために存在していたため、この楽器の演奏者は、この楽器を学びながら、音楽のより大きな文脈の中でこの楽器がどう機能するのかについても学んでいった。これは、Harold Rhodesが望んでいたこの楽器の使用方法だった。また、この楽器のデザインは、演奏者のユニークなタッチを必要とする。サウンドが楽器から耳に届くまでの方法が独特だからだ。

 

Rhodesの本体は、柔軟性のあるビニール素材トーレックス(Tolex)が貼られた合板で覆われている。金属製の脚はケース内部のコンパートメントに収納されており、取り出して本体の底部に取り付けることができる。また、ケース内にはサスティンペダルも収納されており、ピアノのペダルと同じように床に設置するようになっている。そして、鍵盤を弾けば、内部のハンマーが作動して金属製のトーンバーが叩かれ、サウンドが生み出される。つまり、数多くのモデルが存在するため全モデル共通とは言えないが、基本的にRhodes Pianoのサウンドはアンプで増大されたものではないのだ。内部のトーンバーが鳴ることで独自の波形が生まれ、壁の向こう側で鳴っているようでもあり、宇宙で鳴っているようでもある、独特のアンビエンスが生み出される。鍵盤のテクスチャが手に取るように分かり、そのサウンドが音楽の中のスペースをコントロールしている様子が伝わってくる。Rhodes Pianoは、しっかりと鳴り響かせることを演奏者に求めてくる楽器なのだ。ピアニストは、普通のピアノとは異なる方法でRhodes Pianoを演奏するが、これは鳴り方が違うからだ。Rhodes Pianoのサウンドは、他の楽器のサウンドの下に潜り込むことも、光を放って目立つこともできる。ピアノと同じようにRhodes Pianoも88鍵(73鍵モデルも存在するが)で、打鍵に対する反応の仕方もピアノ的な楽器とほとんど変わらないが、それでもこの2つは大きく異なる楽器だ。

 

 

1973年製Tremolo Rhodes Suitcaseを所有するニューヨークジャズのベテランJohn Medeskiはこの楽器の特徴について次のように説明する。「サウンドに拘っている人は、ピアノと同じ演奏をRhodes Pianoですることはできない。サウンドが全てだ。ピアノ、バイオリン、フレンチホルン、Rhodes Piano、パイプオルガン、エレクトリックギター、どれもそれぞれ異なるサウンドを持っている。全ての楽器がユニークなサウンドを備えているんだ。そして、そのカラーが、自分が作る音楽や演奏方法を導いていく。キーボードの話なら、どのボイシングを使うのか、どうやってハーモニーを埋めていくのかだ。ここは楽器の倍音構成によって変わってくる。Rhodesはピアノより倍音が多いし、ディテールも細かくない。太いんだ」

 

カリフォルニアを拠点に活動するバンドAlbum Leafを率いるJimmy LaValleは、1976年製Rhodes Mark I Stageを所有している。LaValleは20年ほど前に別のミュージシャンのスタジオでこの楽器を弾いたあと、その人物から手に入れた。彼もRhodes Pianoのサウンドについて次のように言及する。「自分の指にどう反応しているかも聴こえるはずだ。1台1台がユニークだからね。それぞれが異なるトーンとサウンドを持っている。まるで人間のように感じるよ。それぞれが個性を持っているように思えるんだ」

 

また、ブリックリンのバンド79.5のKate Mattisonは「誰も分かってくれないかもしれないけど、わたしは作曲する時にパターンをイメージするのよ。無限大記号(∞)とかね。それで、その無限大記号を目の前にイメージしながら『このパターンには押したり引いたりするパワーがあるかしら?』と考えるのよ。言っている意味が分かるかしら? 丘を登ったり下ったりを繰り返していけば、勢いがついていくような感じよ。Rhodesは − 演奏すればあらゆるトーンが響いて、そういう勢いが生まれていくのが分かるの。これがRhodesに対するわたしのイメージね。その勢いに包み込まれる感じ。Rhodesのサウンドにはそういう要素が数多く備わっているの」とコメントしている。

 

 

 

"ピアニストが自分のピアノと一緒にツアーを回ることはできないが、Fender Rhodesなら一緒に回ることができる"

Jamie Saft

 

 

 

Rhodes Pianoは、Fender Rhodesとして永遠に人々の記憶に残るはずだが、実は、Fenderの名前は1974年から外されている。また、1970年代を通じて数多くのバージョンが生産されており、1978年にはDyno-My-Rhodesと呼ばれるサードパーティのカスタムメイドバージョンも世に出るようになった。生産終了となったのは、CBS InstrumentsがRhodes Pianoを売却した1984年のことで、この瞬間、我々が知っている “Rhodes” は世の中から姿を消した。1987年に日本の楽器メーカーRolandがRhodesの商標を獲得し、デジタルバージョンのMK-60とMK-80を開発したが、これらはミュージシャンの間では不評だった。

 

後年はピアノ教師に戻っていたHarold Rhodesは、1996年、遂にRhodesの商標を買い戻した。商標を手に入れ、新バージョンの開発に意欲を見せていたRhodesだったが、同年に心臓発作を起こし、人生最後の4年間は介護施設で過ごした。そして2000年12月、90歳の誕生日を迎える少し前にRhodesはこの世を去った。Rhodesは、Rhodes Piano、そして随所で見せた数々の優しさ(ピアニストのPatrice Rushenは、Rhodes本人が工場の製造ラインの中から、自分のための1台を選んでくれたと振り返っている)という、2つの偉大なレガシーを残したが、本人は受賞した数々の賞や功績よりも、ピアノの教え方を誇りに思っていた。

 

 

Rolandから商標を取り戻そうとしていたRhodesに手を貸したのは、彼の友人Joseph A. Brandstetterだった。そして、新バージョンの開発に興味を持ち、Rhodesの遺族からRhodesの商標を買い取って開発を始めたのも彼だった。こうして、2010年にRhodes Mark 7が発売され、その翌年には、ケースが前モデルの合板からファイバーグラスにアップグレードされ、MIDI機能も盛り込まれたRhodes RPC-1がリリースされた。MIDI機能に関しては、CBS Instrumentsも1980年代初期に取り組んでおり、当時のモデルの中には、MIDI機能付きのモデルがごく少数存在する。また、スウェーデンのキーボードメーカーClaviaも、Nord StageにRhodesのデジタルエミュレーターを組み込んでいる。このキーボードはツアーミュージシャンの間でRhodesの代用品として頻繁に使われており、中には、Rhodesのケースに入れてNord Stageであることを隠してステージで使っているミュージシャンもいる - このアレンジはハッシュタグ#NordShameを生み出すことになった。

 

また、Rhodes Pianoはポピュラーカルチャーにも進出している。Gerald McCauleyの本 / ドキュメンタリー『Down The Rhodes: The Fender Rhodes Story』では、Harold RhodesとRhodes Pianoの歴史が語られており、Adrian YoungeとAli Shaheed Muhammadが手掛けたテレビドラマ『Luke Cage』のサウンドトラックには、登場人物のひとり、Cottonmouth(演:Mahershala Ali)が日々の悪行からひと息入れるときにFender Rhodesを弾くシーンのためのトラックが含まれている。しかし、音楽の世界では、依然として旧モデルが愛されており、それらを自分の楽曲で積極的に使用するミュージシャンたちによってずっと守られている。

 

Saftは「ピアニストが自分のピアノと一緒にツアーを回ることはできない。でも、Fender Rhodesなら一緒に回ることができる。丁寧に扱われてきた1台を手に入れて、正しくメンテナンスすれば、Fender Rhodesはワールドクラスのアコースティックピアノと同じような素晴らしい音楽を生み出すことができるし、色彩豊かなトーンを生み出すこともできる。だから、僕が音楽キャリア初期からこの楽器と関係を築くことができたのはとてもラッキーだったと思うし、僕は今でもメインのひとつとして起用している」とコメントしている。

 

「これは僕のサウンドだ」とコメントするのはLaValleだ。「僕のRhodesのサウンドは、僕自身のサウンドだ。この楽器の反応の仕方もサウンドの一部と言えるね。だから、たとえば、Mark II後期のプラスティックハンマーを叩けば、トーンバーを叩いた直後にプラスティックのサウンドに変わってしまう。全然違うサウンドなんだ。反応も全然違う。アタックが同じじゃないし、明るさも違うね」

 

Medeskiは次のようにコメントしている。「真実を言えば、特定の時代のRhodes Pianoは特定のジャンルなんだ。ジャンルの代名詞ということだ。ヒップホップと同じだ。特定のサウンドが、特定の時代へ僕たちを連れて行く。だが、音楽の中で新しくクリエイティブな形で使うこともできるし、再活用することもできる。Rhodes Pianoでは、ピアノと同じようなボイシングはできない。なぜなら、サウンドが分厚いからだ。だが、Rhodes Pianoは、どの音楽でもその音楽に合わせてサウンドを変えることができる。そして、あの独特の柔らかさがある。音楽にフィットするんだ。ピアノとは全く違う形でフィットする。独自の世界を持っている」

 

Fender Rhodesは、そのユニークなサウンドで新世代のミュージシャンを生み出したが、ピアノと同じ機構を持っていたことで、様々な世代のピアニストたちにも新たな活動と表現方法を与えた。これがこの楽器が長年愛され続けてきた大きな理由だ。世界中のミュージシャンたちを長年魅了してきたこの楽器の魅力については、偉大なるジャズピアニストLes MaCannの言葉が最も上手く表現しているだろう。McCannは『Down The Rhodes』の中で、かつて次のように言われたことがあると振り返っている。「グランドピアノを弾くあんたはグレイトだが、Fender Rhodesを弾くあんたはマザーファッカーだな!」

 

Photos:©Kasia Zacharko