八月 23

ファーストダブを探して

1960年代後半に生まれたと言われるダブ。では、世界初のダブアルバムは誰によるものだったのだろうか? 様々な証言を元にルーツを探る

By David Katz

 

1950年に公開された黒澤明のクラシック映画『羅生門』は、3人の異なる視点からひとつの事件を語っていくストーリーだが、ジャマイカの音楽シーンの中で『羅生門』に相当するのが、“ファーストダブアルバム” にまつわるストーリーだ。両者の大きな違いは、『羅生門』は誰も事件の責任を取りたがらないが、世界初のダブアルバムは全プロデューサーが自分の責任にしたがっているところにある。しかし、実際の “ファーストダブアルバム” はどれだったのだろうか?

 

これまでに集められたごく僅かな証拠から判断すると、世界初のダブアルバム群がリリースされたのは1973年後半のことで、その中にはHerman Chin-Loy『Aquarius Dub』、Studio One『Dub Store Special』、Clive Chin & Errol Thompson『Java Java Java Java』、Joe Gibbs『Dub Serial』、Lee Perry『Upsetters 14 Dub Blackboard Jungle』、Prince Buster『The Message Dubwise』が含まれている。これらの全プロデューサーが、自分が世界初だと言えるいくつかの根拠を持ち合わせているが、全ての反証も同等の説得力を持っている。

 

 

“『羅生門』は誰も事件の責任を取りたがらないが、世界初のダブアルバムは全プロデューサーが自分の責任にしたがっている”

 

 

Studio Oneの創設者Clement “Sir Coxsone” Doddは、ジャマイカ音楽史に名を残す他のどのプロデューサーよりも、この国の音楽スタイルの変化をリードしてきた存在で、“ファーストダブアルバム” を生み出した人物の有力候補のひとりと言える。Studio Oneは同じリズムトラックを初めて複数の楽曲に使用したレコーディングスタジオだった。

 

当時、USではカヴァーソングという手法がすでに確立されており、1964年までには無数のアーティストが「Autumn Leaves」のカヴァーを吹き込んでいたが、ジャマイカでは、ミュージシャンたちが目的に合わせて楽曲を変化させていく中で “ヴァージョン” というユニークなアプローチが生み出されており、ヴァージョンは、マルチトラックレコーディングでリズムトラックの再使用が可能になったことで、カヴァーとは完全な別の存在となった。

 

たとえば、1965年のStudio Oneでは、Lee Perry「Hold Down」のリズムトラックがRoland Alphonsoのサックス・インストゥルメンタル「Rinky Dink」に再使用された。また、翌年もBob Marley & The Wailers「Put It On」のリズムが同様のプロセスを経てLee Perry & The Soulettes「Rub and Squeeze」に再使用された。かつてDoddは次のように語っている。

 

「1964年にAmpexの2トラックテープレコーダーを手に入れたあと、ひとつのアイディアを思いついたんだ。最初に楽曲をレコーディングして、そのあとでアーティストを呼んで歌を吹き込んでもらえば良いじゃないかとね。このアプローチが俺にはピタリとはまったんだ。なぜなら、ミュージシャンとアーティストを同時に呼べば、作業を中断・再開する回数が増えるからね。先にレコーディングしておいたあるリズムを聴いた時に、同じリズムを他の楽曲にも使えるじゃないかと思った。それで最初に試したのが、Bob Marley & The Wailers “Jailhouse” のリズムで、このリズムにRoy Richardsの歌とハーモニカを合わせたのが “Green Collie” だ。スウィング感が半端なかったね」

 

 

時間を数年早送りすると、当時まだ見習いエンジニアだったKing Tubbyの姿が浮かんでくる。King Tubbyは、1968年にTreasure Isleで行われた伝説のセッションに立ち会っていた。このセッションのBサイド用インストゥルメンタルは、エンジニアByron Smithによる革新的なミキシングでクラシックとなった。

 

そのミキシングテクニックが偶然の産物だったのかどうかは分からないが、その伝説のセッション、つまり、Ruddy RedwoodのSRS Sound Systemのためのワンオフトラックのミックスダウン中に、Smithはヴォーカルを抜いたヴァージョンを制作。これがBサイドとして残り、そのむき出しのリズムのトラックはRuddy Redwoodのパーティで大人気となった。U-Royがそこにアドリブでトースティングを加えたあとは、その人気はひときわ大きくなった。

 

「世界初のダブアルバム」に関わってくるもうひとつの作品が『Soul Revolution Part II』だ。これは、Bob Marley & The Wailers『Soul Revolution』のインストゥルメンタルヴァージョンで、Lee Perryが1971年にリリースしたこの作品は、『Soul Revolution』からヴォーカルを完全に排除しているが、そのサウンドには、King TubbyがBサイド用として重用した、エコーやリバーブなどのダブの代名詞と言えるエフェクト処理は一切施されていない。

 

Lee PerryがStudio Oneの初期作品群に関わっていたこと、そしてこの『Soul Revolution Part II』が前例のないユニークなインストゥルメンタルアルバムだということを踏まえれば、Lee Perryが世界初のダブアルバムをリリースした人物だとしても何もおかしいところはない。

 

しかし、現在手に入るあらゆる証拠をくまなく確認してみると、最有力候補はHerman Chin-Loy『Aquarius Dub』という結論に落ち着く。『Soul Revolution Part II』と同じく、このアルバムはほとんどヴォーカルなしのリズムだけで構成されており(Dennis Brownが参加している “Rest Your Self” だけヴォーカルが加えられている)、最も純粋な形でダブが表現されている。レコーディングトリックも加えられておらず、ドラムとベースが強調されているだけだ。また、ダブの主導者のひとりAugustus Pabloがフィーチャーされていることも、Herman Chin-Loyの優位性をさらに高めている。

 

 

「私の知っている限り、『Aquarius Dub』が最初のダブアルバムだ」と強調するHerman Chin-Loyは次のように続ける。「事の顛末を教えよう。当時は、自分の楽曲を持っている客がDynamicに来て、私にダブプレートの制作を頼んでいた。当時のダブプレートはほぼリズムだけだった。ディージェイはそれをプレイしながら、そこにトースティングを重ねていた。だから、私はVal Douglas(ベース)、Michael Richards(ドラム)、Mikey Chung(ギター)だけを集めて、Dynamicsのセカンドスタジオで30分ほどかけてレコーディングをしたんだ。それをCarlton Leeがミックスした。これも30分程度で終わった。当時、他にダブアルバムはなかった。全てはこのアルバムのあとだ」

 

 

 

“当時、他にダブアルバムはなかった。全てはこのアルバムのあとだ”

Herman Chin-Loy

 

 

 

『Dub Store Special』は音楽的により強力なアルバムに感じられるかもしれない。このアルバムに使用されているリズムは突出したクオリティを誇っているからだ。しかし、Doddの次のコメントには非常に説得力がある。

 

「世界初のダブアルバムを誰が作ったかって? 俺だと言いたいところだが、実際にファーストダブアルバムをリリースしたのは『Aquarius Dub』のHerman Chin-Loyだ。とはいえ、Hermanは俺たちからアイディアを得たんだがね。サウンドシステムでダブをプレイしていた俺たちを参考にしたのさ」

 

当然ながら、Clive Chinは『Java Java Java Java』がファーストダブアルバムだとしている。このアルバムも、Augustus Pabloの才能が示されている作品で、他と同じでむき出しのリズムがベースになっている。Clive Chinは「これは俺とErrolで作った作品だ。当時は斬新だったね。メント、カリプソ、アップタウンレゲエのアルバムばかりだったから、少し違ったアルバムを作って、クールなダブアルバムを聴かせてやろうと思ったのさ。商売っ気はなかった。いつもと同じダブプレートスペシャル的な作品にしようと思っていたし、当時のマーケットはこういう作品を流通させられるほどしっかりしていなかった。だから、ビッグヒットになるなんて一切考えていなかったね」と振り返っている。

 

 

Joe Gibbs『Dub Serial』も候補のひとつで、これもErrol Thompsonがミックスを担当している作品だが、ThompsonがRandy’s後期までGibbsとコンビを組まなかったという事実を踏まえると、これが『Java Java Java Java』よりも先に生まれたとは考えにくい。また、『Upsetters Dub 14 Blackboard Jungle』も最初期アルバムのひとつに数えられるが、初回盤はスプリットステレオの空間処理が施されていたこのアルバムについてLee Perryが繰り返し言及しているのは、これが世界初のダブアルバムだったかどうかではなく、King Tubbyがクレジットされていることについてで、Perryは長年に渡りKing Tubbyはこの作品には一切関わっていないと反論している。

 

ファーストアルバム問題をさらにややこしくしているのが、Prince Buster『The Message Dubwise』だ。Buster本人はこの作品が世界初だとは一度も発言していない。アルバムのタイトルの意味の強調と「初の “秀作” ダブアルバムだ」という発言をしているだけだ。

 

 

「 “The Message / ザ・メッセージ” という言葉を俺がどういう意味で使っているのか世間の大半は理解してないね。当時の俺の周りでは色々なことが起きていた。だから俺は重要な連中にメッセージを送ろうとしていたんだ。音楽も大事だったが、このアルバムには高尚なメッセージも込められていたのさ。世間はライバルプロデューサーたちが世界初のダブを作ったと言っているが、俺は奴らがいつそれを作ったのかは分からない。いつ作ったのかについて具体的な日付は知らない。俺が知っているのは、多くのリスナーが『The Message Dubwise』を、初めて聴いた優秀なダブアルバムとして捉えているってことだけだ」

 

『The Message Dubwise』もDynamicsでCarlton Leeがミキシングを担当した作品で、ラストトラックにBig Youthのヴォーカルをフィーチャーすることで、ダブとディージェイ・ミュージックの密接な関係を強調している(Big Youthはジャケットのフロントカヴァーに大々的にフィーチャーされている)。このトラック以外は完全にヴォーカルレスだ。ジャケットのバックカヴァーに記されている「ロウでピュアで正真正銘の混じりっけなしのジャマイカンリズムがジャマイカ人のフィーリングを表現している」 という文言は、このアルバムの音楽を正確に捉えている。

 

ジャマイカの音楽の他の部分と同様、世界初のダブアルバムがどれだったのかについても正確な答えを得ることはないだろう。しかし、ひとつだけ確実なことがある。それは、今回紹介した全てのアルバムが、ポピュラーミュージックへの一般的なイメージを変えながら、ひとつの正式なアートフォームを熟成させ、開花させる助けになったということだ。