七月 11

ポーズボタンとヒップホップ:ポーズテープの歴史

Easy Mo Bee、Public Enemy、De La Soul、A Tribe Called Questなどが通過した「カセットデッキを使ったトラックメイク」の歴史と影響を紐解く

By Gino Sorcinelli

 

1960年代初頭、電気機器メーカーPhilipsのためにカセットテープを開発していたオランダ人エンジニアLou Ottensは、このメディアがラップとサンプルベースの音楽の進化において重要な役割を担うことになるとは思っていなかったはずだ。

 

耐久性と携行性に優れているオープンリールの安価な代替品として謳われていたOttensの発明品は、1963年にベルリンで開催されたBerlin Radio Showで初披露されると大きな反響を得た。そして、このポケットサイズのサウンドカプセルに対する世間の熱の高まりを受け、それからたった1年後にブランクテープの大量生産がスタートした。

 

消費者の手に渡ったカセットテープはすぐに人気の音楽鑑賞方法となったが、同時に音楽制作にも組み込まれていった。

 

カセットテープのクリエイティブバリューを示す初期例を挙げると、Rolling StonesのKeith Richardsは1965年にベッドの横に置いていたPhilips製テープレコーダーを使ってヒットシングル「Satisfaction」を作ったとしている。また、同じ年に米国では音楽があらかじめ録音されているカセットテープの販売が始まると、たった5年で音楽セールスの約30%を占めるようになった。

 

The New York Times』は、1975年のミドルクラスのステレオシステムの価格が800~1000ドルだったのに対し、1980年を迎える頃にはブームボックス(ラジカセ)が100~600ドルで買えるようになっていたと記しているが、この新たに登場した手頃さによってブームボックスは1980年単年で全世界780万台が売れた。

 

低コストでカセットに再生と録音ができたブームボックスとステレオカセットコンポは米国家庭に欠かせない存在となり、カセットテープテクノロジーの進化に尽力した発明家やデザイナーの知らぬ間に、新しくてエキサイティングなサンプリングと再文脈化のテクニックをラップのパイオニアたちに提供することになった。

 

Russell Myrieが2010年に刊行した『Don’t Rhyme for the Sake of Riddlin’: The Authorized Story of Public Enemy』の中で、Chuck Dは「カセットデッキが発売されると、ブラックたちがカセットデッキを使ってポーズテープ(Pause Tape)を作り始めたんだ。ポーズテープは世界初のリミックステープだった」と振り返っている。

 

 

 

"低コストでカセットに再生と録音ができたブームボックスとステレオカセットコンポは新しくてエキサイティングなサンプリングと再文脈化のテクニックをラップのパイオニアたちに提供した"

 

 

 

若いヒップホップファンたちが自分たちの感性を活かした何かを作るために必要だったのは、優秀なポーズ(一時停止)ボタンと瑞々しい想像力だけだった。

 

ダブルカセットテープのブームボックスやステレオシステムを手にしたDJやプロデューサーを目指す若者たちは、まずサンプルネタのフレーズをデッキ1で再生し、デッキ2のブランクテープにそれを録音(サンプリング)したあと、デッキ1のフレーズの再生が終わった瞬間にデッキ2を一時停止し、デッキ1をフレーズの先頭まで戻して再生ボタンを押し、同時にデッキ2の一時停止を解除するという作業を数分間繰り返した(ポーズ / 一時停止ボタンを使うことからPause Tapeと呼ばれる)。

 

ポーズテープは、初期ヒップホップDJが使っていたターンテーブルとヴァイナルとは違うメディアを使って制作されていたが、Miles DavisやAlicia Keysとのコラボレーションで知られるEasy Mo Beeは、1970年代のブロックパーティが初期ポーズテープの誕生に大きな影響を与えたと信じており、「ブロックパーティのDJたちが使っていたターンテーブル2台を見て、色々考えたもんだ」と振り返っている。

 

また、この画期的な音楽制作テクニックは、AKAI S-900やE-MU SP-12のような初期サンプラーが登場する遙か前に生み出されていた。このことは20年以上のキャリアを誇るベテラン、The 45 Kingが保証している。

 

Jay-Z「Hard Knock Life」「The 900 Number」、Eminem「Stan」などのクラシックトラックに関わったことで知られるThe 45 Kingは、世界初の “公式” ラップレコード、The Fatback Band「King Tim III (Personality Jock)」がリリースされる4年前の1975年にはポーズテープを制作していたが、彼がポーズテープの制作を始めた理由は “父親からもらったから” で、本人はまだ音楽の道へ進むことなど一切考えていなかった。

 

 

 

 

「音楽をキャリアにしたいからポーズテープの制作を始めたわけじゃない。親父がポーズボタン付きのラジカセを買ってくれたからさ。Marantz Superscopeシリーズで、押し込むタイプのポーズボタンだった。押せば音がしたから分かりやすかった。優秀なポーズボタンのラジカセだったね」

 

ポーズボタンはメガミックスやDJスタイルのミックステープの制作も促すことになったが、当時最新のセットアップを手に入れていたアーティストたちは4トラックレコーダーやカセットデッキのオーバーダビング機能を使ってループを複数重ねていた。しかし、ループを重ねる作業は楽ではなかった。サンプルのテンポと音程をマッチさせるのは非常に難しく、ダビングを繰り返せばテープヒスも生じた。

 

しかし、Marley Marlとのコラボレーションで知られ、Redefinition Recordsに所属しているK-Defが滅入ることはなかった。Lasonic製ブームボックスでポーズテープ制作を始めたあと、Tascam製4トラックレコーダーでループを組むようになったK-Defは「俺はポーズボタンの扱いが上手かったから、3トラックを録音したあとそれを1トラックにバウンスしていた。そのあとでそれを使ってまたダビングしたのさ」と振り返っている。

 

またK-Defは、ポーズテープ制作は正式なサンプラーへ移行した際に必要となったエディットやタイムストレッチ、ピッチシフトなどのスキルの基礎を学ぶ助けになったと信じている。

 

「最近の連中はビートを組みたいだけで、オーディオエディットについて何にも分かっちゃいない。オーディオエディットはヒップホップで特に難しい部分なんだ。サンプルの長さを正確に合わせることができなきゃ、ビートはだらしなく鳴る。こういうことを俺はポーズボタンから学んだ。ジャストで合わせなきゃならなかったからね」

 

ポーズテープから生まれた発明やポーズテープから学んだレッスンの例は枚挙に暇がない。

 

J Dillaポーズテープを制作しており、サンプルをさらに長くできるようにテープデッキを改造していたと言われている。また、Soul Councilのメンバーでグラミー賞にノミネートされた経験もあるKhrisisは、ティーンエイジャーだった1990年代中頃、ブームボックスのトーンノブを回してPete Rock、Q-Tip、Wu-Tangなどのベースラインを真似ようとしていたと振り返っている。

 

「ベストの高さになるまでノブを回して微調整していた。ハイパス&ローパスフィルターを組み合わせていた1990年代のトラックのベースサウンドに近づけようとしていたのさ」

 

多くのトップDJとビートメイカーのトレーニンググラウンドとして機能したポーズテープ制作は、ラップミュージックの最初の15年でも重要な役割を果たしていた。レコード化されたポーズテープの初期成功例のひとつが、1980年にBozo Meko Recordsからリリースされた「Flash It To The Beat / Fusion Beats (Vol. 2)」だった。

 

 

 

 

これまでに何回もリプレスされているBサイドのブートレグパーティシングル「Fusion Beats (Vol. 2)」は、James Brown「Get UP, Get Into It, Get Involved」、The Mohawks「The Champ」、Dyke & The Blazers「Let A Woman Be A Woman and A Man Be A Man」のブレイクを組み合わせていたことから、リリースされてすぐにブロックパーティやクラブで高い人気を誇るようになったが、このトラックを制作したAfrika Islamはすべてをベッドルームのカセットデッキで制作したとしている。

 

ポーズボタンを使ったループ制作はニューヨークシティ周辺で盛り上がりを見せていたが、全米各地でも行われていた。

 

ベースミュージックのアイコンとして知られるオーランド在住のDJ、Magic Mikeは1981年にブームボックスのポーズボタンを使ったエディットとミックスでミックステープの制作を始めると、そのテープのクオリティの高さから13歳で地元ラジオ局のDJに抜擢され、18歳の誕生日を迎える前にニューヨークシティのクラブでレジデントDJとなった。

 

また、プロデューサーとしての才能が見過ごされがちなヒューストンのレジェンド、UGKのPimp Cも、Red Bull Music AcademyのコントリビューターAndrew Nozが2007年に行ったインタビューの中で、ポーズテープを制作していた過去に触れている。

 

1980年代初頭にニューヨークシティ、オーランド、ポートアーサー、テキサスを含む全米各地に住む人たちがお互いの存在を知ることなく独自にポーズテープを制作していたという事実は、ラップミュージック黎明期に共有されていたあるひとつの意識を示している。

 

Red Bull Big Tune 2010のチャンピオン、14KTは2015年のFacebookの投稿で、この意識について次のように解説している。

 

「ガキの頃の俺は自分のことを変人だと思っていた。俺を除いて地元イプシランティ(ミシガン州)でポーズテープを作っている奴をひとりも知らなかったからさ。宇宙人に選ばれて、お前はこれをやれって命令されたみたいな感じだった。“口にされない言葉” として世界に広まっていたなんて知る由もなかったね」

 

ラップとサンプルベースの音楽の人気の高まりを受けて、機材メーカーによって急速に進化を続けるサンプリングテクノロジーが世に出回るようになった。エキサイティングなイノベーションが次々と生まれたのだが、サンプラーは非常に高額だったため、多くの人にとってまだサンプリングは手の届かないところにあった。

 

『Billboard』誌の1986年の記事は「世間一般もサンプリングができるようになった」と記していたが、たとえば、当時人気だったAKAI S-900をベッドルームプロデューサーが手に入れるためには約2,800ドル(2019年現在の価値で6,260ドル / 約68万円)を用意する必要があった。このような予算上の問題から、ポーズテープは妥当な代替手段として残り続けた。

 

1980年代後半、ポーズテープ史に大きな転換期が訪れた。ベッドルームやパーティ用ブートレグレコードで採用されていたこの制作テクニックが正式なラップレコードのデモ制作にも使われるようになったのだ。

 

ポーズテープのビートメイクが初めて採用されたオフィシャルリリースを限定するのは難しいが、ポーズテープ的コラージュがはっきりと確認できる正規レコードレーベルからリリースされた初期作品のひとつが「Public Enemy No. 1」だ。Public Enemy『Yo! Bum Rush The Show』のリードシングルとして1987年3月にリリースされたこのトラックは、リリースから30年以上経った今も彼らの代表作のひとつであり続けている。

 

 

 

 

Fred Wesley & The JB’s「Blow Your Head」をポーズループさせようというChuck Dのアイディアは、地元のローラーリンクのDJたちがこのトラックをプレイする時に自分が満足できるレベルまでループしてくれないと感じたことがきっかけだった。それなら自分で作ってみようと思い立ったChuck Dはカセットデッキを使ってサンプリングしてビートを組み上げたのだ。

 

のちにPublic EnemyはこのChuck Dの素晴らしいポーズボタン作品をスタジオに持ち込み、オープンリールとスタジオエンジニアの助けを借りて再度録音しようとしたが、オリジナルバージョンの「Public Enemy No. 1」の再現は上手くいかなかった。

 

Chuck Dは2013年のインタビューで「Def Jamからリリースするためにこのトラックをスタジオに入って作り直したんだが、Hank(Shocklee / プロデューサー)と俺にはクリーン過ぎるように思えた。ポーズテープのブレイクスはフィーリングとディレクションの両方がファンキーだった」と振り返っている。

 

「Public Enemy No. 1」がリリースされた年に、Native Tonguesのポーズボタン初期作品も生み出された。それはDe La SoulのメンバーPosdnuosがThe Invitations「Written On The Wall」のサンプルをテープデッキでループさせたトラックだった。

 

1986年にDe La Soulからこのトラックを聴かせてもらったPrince Paulは、のちに「Plug Tunin」となるこのトラックにポテンシャルを見出した。そして、Paulのプロダクションテクニックとスタジオでのリワークを経て、1989年のDe La Soulのデビューアルバム『3 Feet High and Rising』のリードシングルとして「Plug Tunin」がリリースされた。

 

同じくNative TonguesのメンバーだったQ Tipは、1980年代にポーズテープの制作を始めると、このアートフォームをさらに進化させた。YouTubeのチュートリアルがルーキープロデューサーたちにビートメイクのいろはを教えるようになる遥か前、Q-Tipは父親のジャズレコードコレクションとカセットデッキを使って何時間もポーズテープの制作を続けた。必要なサンプルを手に入れるために100回録音し直したこともあった。

 

本人は2013年のRed Bull Music Academyのインタビューの中で当時の自分について「完全にのめり込んでいたんだと思うよ。何時間も座ってレコードを聴き続け、そこからほんの一部だけを抜き出してループさせてたんだからさ」と振り返っている。

 

その後、Q-Tipは1990年にリリースされたA Tribe Called Questのデビューアルバム『People’s Instinctive Travels The and the Paths of Rhythm』収録トラック大半のオリジナルバージョンをたった16歳で制作した。

 

The Chamber Brothers「Funky」のパーカッションループがビートの大半を占めている「I Left My Wallet In El Segundo」などのトラックには、ポーズテープの影響が大きく見受けられる。

 

 

 

 

このトラックのオープニングとコーラスには他の楽器やスクラッチも重ねられているが、90%はしつこさを感じないシンプルだが効果的なループだ。Q-Tipの制作アプローチは地味だったが『People’s Instinctive Travels The and the Paths of Rhythm』はリリースから間もなくして『The Source』誌のレビューで5マイクを獲得した。

 

ヒップホップアクティビティストでメディアアサシンを名乗るHarry Allenは、このアルバムの25周年記念を祝う記事で「簡単にまとめれば、A Tribe Called Questのヒップホップへの貢献はソニックボキャブラリーの増加にある」と表現し、このアルバムの重要性をさらに高めた。

 

カセットデッキでアイディアの大半が作られたアルバムがジャンル全体のソニックボキャブラリーを増やしたというこの事実は、ラップレコードの最初の10年のエナジーと才能、DIY的クリエイティビティがどのようなものだったのかを如実に示している証拠と言える。

 

1988年にAKAI MPC60が発売され、1980年代が終わろうとしていても、ポーズボタン製ビートは健在だった。Easy Mo Beeは、The Notorious B.I.G.のアルバム『Ready To Die』の3分の1をプロデュースする5年前、ポーズテープとCasio SK-1だけでBig Daddy Kaneの1989年のアルバム『It’ A Big Daddy Thing』のために「Another Victory」と「Calling Mr. Welfare」のデモバージョンを制作したことを記憶している。

 

これらのデモバージョンは、のちにスタジオエンジニアとSynclavierによって作り直されるのだが、カセットデッキとキーボードをどう組み合わせていたのかについての本人の説明は注目に値する。「まずポーズボタンを使って3分のドラムループを組むんだ。次にそのポーズループを再生しながらCasio SK-1を弾いて、それをまたテープに録音する。そしてその録音が終わったら、またそれを再生してまた録音を重ねていったのさ」

 

その後もポーズテープは、Heavy D & The Boyz『Big Tyme』、EPMD『Business as Usual』、Black Sheep『A Wolf IN Sheep’s Clothing』、Beastie Boys『Check Your Head』などのリリースで使われ続けたが、1990年代が進むにつれて、確認できる回数は減っていった。

 

安価で高機能のサンプリングテクノロジーが誕生したため、『Check Your Head』とQ-Tipが手がけたNas「One Love」が最後のポーズテープとなり、やがてこの2作品は1990年代の記念碑的リリースとして扱われるようになった。

 

ポーズテープの使用頻度は下がっていったが、カセットデッキスキルを1990年代中頃から後半まで使用したあと、より優れた機材を使ってキャリアを築いていった最後のポーズテープ世代がいた。

 

バージニア州リッチモンドのビートシーンを代表するOhblivや前出の14KTやKhrisisは、ポーズテープを使ってキャリア初期のアイディアを形にしていたと振り返っており、14KTは、2016年にポーズテープの中からお気に入りの20分を抜き出し、「’96-’97 [Pause Tapes]」としてコンピレーションアルバム『20 Years of Beats [1996-2016]』に収録した。

 

14KTは、その超ローファイなサウンドクオリティについては触れていないが、リスナーがこの原石的作品を最近の作品と比べられるようにすることに価値があると考えている。「俺は美しい作品だと思ってるよ。自分がどうやってキャリアをスタートさせたのか、どうやって進化していったのか、何を学んでいったのかをリスナーに示すことは重要だと思う。恥ずかしいが、実はドープだ」

 

間違いなく、多くの有名アーティストの地下室やクローゼット、倉庫などに大量の未公開ポーズテープが眠っているはずなので、モダンな音楽ファンは、さらに多くのプロデューサーが14KTと同じ道を辿ってポーズボタンで作っていた過去作品を聴いてもらうチャンスを提供してくれることを願うしかないが、その確率よりも、ヒップホップ史に組み込まれている他の多くのリリースのどこかにポーズテープの影響が浮かび上がっていることに気付く確率の方が高いかもしれない。

 

 

Header Image:© Benedikt Luft

 

12. July. 2019