七月 04

1960年代末から1970年代初頭のHerbie Hancock

Herbie Hancockのヒットアルバム『Head Hunters』直前の時期にリリースされた奇妙だが必聴のアルバム4枚を紹介する。

By Zaid Mudhaffer

 

Miles Davis Quintetに5年在籍し、Blue Noteから7枚のアルバムをリリースしたHerbie Hancockは1968年、キャリアの分岐点を迎えていた。Miles Davisのアルバム『Bitches Brew』の成功を受けて伝統的なジャズからの逸脱を考えていたこの頃のHancockは、ジャズとロックを組み合わせ、アヴァンギャルドな音楽性を取り入れ、シンセサイザーで実験を重ねながら、未知の領域に深く踏み込んでいく。ベトナム戦争を受け米国各都市で起きていた混乱と反対運動が色濃く反映されたこの時期のHancockの音楽は不穏で激しく、長尺で無秩序に広がっていたため、新たに移籍したレーベルWarner Brothersはポップフォーマットとは異なるこのような音楽に理解を示せず、セールスは苦しんだ。

 

この4枚のアルバムは、Hancockが大胆不敵で、自由で、挑戦的なピアニストであることを定義づける重要な作品群となった。

とは言え、似たような考えを持った少数のフォロワーたちは、このアルバムの独特なサウンドを歓迎した。ギタリストPat MetheneyはBob Gluckが2012年に発表した著作『You’ll Know When You Get There: Herbie Hancock and the Mwandish Band』の推薦文の中で次のように評価している。「このアルバム以降の音楽作品で私の人生に大きな影響を与えたものはない。私にとってこのバンドはジャズのすべてが詰まっている存在だった。このバンドはバンドレベルでも、個人レベルでも、その当時のディープなサウンドをしっかりと表現しており、ゆえに先験的でタイムレスな存在となった。彼らは私を始めとした同世代のアーティストたちに彼らのような創造性と献身性を持たなければならないと思わせた」

 

Hancockは1973年末に『Head Hunters』をリリースし、ストレートなジャズファンクで再びチャートを賑わせることになったが、このアルバム以前にリリースされた4枚のアルバムは、Hancockが大胆不敵で、自由で、挑戦的なピアニストであることを定義づける重要な作品群だ。

 

 

Fat Albert Rotunda (1969)

Blue Noteを離れて以来初のアルバムとなったこのアルバムは、彼が新たに向かった音楽性の片鱗が見受けられる。Bill Cosbyが制作したスペシャルアニメ『Fat Albert Rotunda』のサウンドトラックとして制作されたこのアルバムはソウル感溢れるジャズファンクアルバムで、Blue Noteの作品群よりも自然体で分かりやすく、やや幅広い層へ向けられた作品と言える。Hancockが全面的に作曲とプロデュースを担当したこのアルバムの中で傑出した出来を誇っているのが「Tell Me a Bedtime Story」で、この楽曲は1978年のQuincy Jonesのアルバム『Sounds… And Stuff Like That!!』により洗練されたバージョンが再録されている。またMobb DeepのHavocもヒップホップクラシック「Shook Ones Pt. II」に「Jessica」を使用している。

 

 

Mwandishi (1971)

Hancockは1970年末の頃までには 新たにセクステットを始動させており、Buster Williams(ベース)、Billy Hart(ドラム)、Eddie Henderson(トランペット/フリューゲルホルン)、Bennie Maupin(クラリネット/フルート)、Julian Priester(トロンボーン)の5人が、Hancockと共に未開の地を目指す旅に参加した。ニューヨークのDevid Rubinsonによってプロデュースされたこの『Mwandishi』(スワヒリ語で作曲家を意味する。尚、アルバムのクレジットではすべてのミュージシャンにスワヒリ語の名前が与えられている)は、ジャズの限界に挑むHancockの新たなスタートとなった。

Miles Davisの『In a Silent Way』からヒントを得たこのアルバムは、アコースティックとエレクトリックを組み合わせ、ジャズのリズムを維持しながらも荒野へ向かっていくスペ−シーでエクスペリメンタルな作品だ。パワー溢れる1曲目「Ostinato (Suite for Angela)」は太く揺れるグルーヴが前面に押し出されており、B面を丸々使った「Wandering Spirit Song」はアブストラクトでドラマティックな20分以上の大曲だ。 しかし、彼らが新たに向かったレフトフィールドな音楽性に無関心だったWarner Brothersの姿勢が、ライナーノーツなし・2色刷りの単純なアートワークという形で現れてしまい、メディアの好意的な評価があったもののセールスには繋がらなかった。

 

Crossings (1972)

プロデューサーDavid Rubinsonがエレクトロニックな方向にかなり力を入れたこの『Crossings 』は、前作よりも更にディープで難解な作品に仕上がっている。このアルバムには1960年代中盤からエレクトロニックミュージックの研究を続けてきた作曲家/シンセサイザープレイヤーで、カリフォルニア出身のロックバンドJefferson Starshipとのセッションを通じて技術を磨いてきたPatrick Gleesonが参加している。このアルバムでHancockにMoogを紹介したGleesonは、これ以降セクステットのツアーに帯同することになった。

Hancockがやや疑い深かったせいか、このアルバムでのGleesonのプレイは「珍しい音」程度の扱いになっている感もあるが、 深海のような「Quasar」や出色の出来を誇る「Water Torture」では彼の与えた影響が明確に残っており、Moogが独特の曲構成の隙間に上手く組み込まれている。Hancockは1997年の再発盤『Head Hunters』のライナーノーツ内のインタビューでこのアルバムについて「音楽の持つ空気感の上層を色々試していた」と振り返っている。

 

 

Sextant (1973)

『Crossings』のリリース後、HancockはMiles Davisの『On the Corner』の制作に参加し、1年後に発作的で異世界のような趣を持つ「Rain Dance」などが収録されたこの『Sextant』でより深淵に迫った。この頃、コスミックサウンドのキーマンだったGleesonの助力を得たHancockは、自分のシンセサイザーのラインナップにARPを加えている。「私たちの音楽に不快を示す人たちもいた」Gleesonは2009年のHydra Magazineのインタビューで振り返っている。「彼らからは『まるで発狂したテレフォンオペレーターのようだ!』と言われた。私たちはその意味が理解できなかった。私は自由度が高く統合的なシンセサイザーを用いることで、ジャズの音色の幅を広げようとしていた。その部分に真剣に取り組んでいたんだ」

 

 

『Sextant』は『Mwandishi』で結成されたバンドの最後の作品となった。 明らかによりポップなPointer Sistersのツアーのサポートアクトというブッキングミスと共にこのバンドは終わりを迎えた。大量の最新のシンセサイザーを使ったツアーは予算オーバーだったのだ。またこの頃になると、実験という名のもとに展開していたメインストリームを無視した活動に対して、本人も興味を失っていた(アルバムをリリースした新レーベルColumbiaは胸をなでおろしたことだろう)。「この頃の私には『拘束』されるような感覚が必要だった。世間と繋がっているような感覚がね」Hancockは『Head Hunters』のCD再発時のライナーノーツで振り返っている。「当時の私はヘヴィーな音楽をやっていると感じていて、そのすべてがヘヴィーな状況に疲れてしまった。もう少し軽い音楽をやりたいと思ったのさ」