二月 25

EVENT REPORT : RED BULL MUSIC ACADEMY MTL 2016 WORKSHOP SESSION 東京 @RED BULL STUDIOS TOKYO

by 渡辺克己

 

高橋幸宏、小山田圭吾、砂原良徳、TOWA TEI、ゴンドウトモヒコ、LEO今井によって結成されたMETAFIVE。今年1月にファーストアルバム『META』を発表し、単独ライブを終えたばかりだ。メンバー全員の豊富なキャリア、そしてプロデュースやリミックスといった客演も多いことから、アルバムは職人的ないわゆる“大人な作品”に仕上がることを想像していた。しかし、そんな予想を裏切り『META』は、非常に肉感的でアッパーな楽曲がラインナップされており、パワーとグルーヴはライブでも遺憾なく発揮された。再公演の声が高まる中、高橋と砂原の二人が、2/13 に行われた『RED BULL MUSIC ACADEMY MTL 2016 WORKSHOP SESSION 東京 @RED BULL STUDIOS TOKYO』に登壇し、スペシャルトークセッションが行われた。話はまず結成のいきさつから。

 

 

ーー忙しい人たちばかりに声をかけたんだけど、奇跡的に叶っちゃった(高橋)

高橋 <EX THEATER ROPPONGI>がオープンすることが決まり、そのこけら落とし期間中にライブをやれないかという話が、2013年にありました。僕へのオファーは翌年の14年1月。で、それより前の12月には、細野(晴臣)さんと教授(坂本龍一)のライブが決まっていた。僕はメンバーである以上に2人のファンだから、夢のような組み合わせだなと思って。

 

砂原 いろいろな意味で、本当にレアな組み合わせですよね。

 

高橋 そのライブには、僕も小山田くんや青葉市子ちゃんたちとゲストで出演しました。それはそれで満足していたんだけど、僕へのオファーにはどう応えようかといろいろ考えた結果、思いっきり80年代みたいなことをやろうと思い付いたんですよね。その時点で想定したメンバーが、結果、METAFIVEのメンバーなんだけど、みんな忙しいからダメ元でお願いしたら、奇跡的に叶っちゃった。ライブのタイトルを<テクノリサイタル>に決め、事前の打ち合わせということでメンバー全員を招集して、いきなりバンドの写真撮影と食事会を開催しました。バンド名を募ったところ、テイくん(TOWA TEI)が“クルーファイヴは?”とか言い出して。確かに、ムード歌謡は好きだからいいけどね(笑)。で、ふと思いついたのは、YMOの初めの頃、細野さんと、自分たちのやっている音楽を“メタポップ”と称していたこと。“メタ”とは、超越的なとか高次元のといった意味があるけど、そこに“メタモルフォーゼ=変化”といったものもかけて、そんなメンバーが5人で“METAFIVE”にということになった。だから最初のライブは高橋幸宏 with METAFIVEという名前での出演なんです。

 

70年代から、サディスティック・ミカ・バンドなど、世界の第一線で活躍してきた高橋。砂原はもちろん、小山田やテイ、ゴンドウといったメンバー全員が高橋やYMOから影響を受けた世代になる。リスペクトする音楽家と活動することは、大きなプレッシャーにも繋がることも少なくない。しかし、METAFIVEのメンバー間のやりとりを聞いていると、尊敬と自由が同居する、どこか楽しげな空気を感じる。


ーー新しい機材を手に入れると、YMOのコピーをして音色を試します(砂原)

 

高橋 最初の会食の時、どんな音楽をやるか全員で話し合ったんだけど、“YMOの完コピもやろう”ということになった。そういえば「Ballet」という曲(81年『BGM』収録)は、あまりライブでやってこなかったことを思い出して。まりん(砂原)に相談したの。とにかく、YMOのことについては僕より詳しいので(笑)。そうしたら、自分で完コピしたベーシックトラックが既にあったんだよね(笑)。なんで持っていたの?

 

砂原 新しいシンセサイザーやソフトウェアを買ったら、まずはどんな音が出るのか試すじゃないですか。その時に、大体YMOの曲をコピーしてみるんです。僕は小学4年、9歳の時からYMOを聴いて育ち、中学生時代にYMOのコピーバンドを組んで、自分でも演奏したり、作曲するようになりました。これまで、いろいろな機材を演奏してきましたが、昔は“この音がなかなか出ない”ということが多かったけど、今のソフトシンセなど、本当にいろいろな音が出るようになった。曲調はもちろん、音色も明確に覚えているYMOの曲をコピーして、音の確認をするんですよね。

 

 

 

高橋 まりんはハードウェアにも精通していて、アナログへのこだわりもありつつ、普通にソフトシンセも併用するよね。

 

砂原 試行錯誤を繰り返し、行きついた結果ですかね。結局、安定しているし、早いですからね。

 

高橋 それが個人的には新鮮だった。実は僕もアナログにはあまりこだわりがないからね。

 

砂原 ちょっとお聞きしたいんですけど、70年代後半から80年代前半、シンセサイザーやドラムマシンが出てきた頃、生演奏を仕事にしてきた音楽家にとっては脅威だったと聞きました。

 

高橋 コンピュータに仕事を取られるんじゃないか、なんて思っていた人もいたのかな。

 

砂原 幸宏さんはヘッドフォンでクリック音を聞きながらドラムを叩かれていましたね。今は当たり前だけど、当時は珍しかったんじゃないですか?

 

高橋 そうだね。70年代、よく僕のドラミングを聴いた諸先輩方から“走っている”と指摘された。でも、クリックを聞きながら叩いてみると、実際は僕の方が合っていることがわかったんだよね。友人でもある身近な音楽家がね、ある泣く子も黙るような某大物ドラマーを起用したら、ひどく演奏がもたる、と。それを指摘したら“魂とクリック。どっちが大切なんだ?”と問われたので、「クリック」と答え、大御所をクビにしたという逸話があります。

 

砂原 さらに、幸宏さんはドラマーにも関わらず、ドラムマシンが出てくると、自分でも打ち込みを始めて。

 

高橋 YMOの後期やソロなど、歌いながらドラムを叩くのが、カッコ悪く思えてイヤだったの(笑)。

 

砂原 衝撃的でしたよ。

 

高橋 だから、新しいものが好きで、いい音楽を作るなら形式を問わないという意味では、まりんはもちろん、小山田くんやテイくんも僕と一緒だよね。

 

砂原 METAFIVEはメンバーそれぞれ個性はあるけど、宇宙規模でみると似た者同士が集まったといえますね。

 

高橋 宇宙規模(笑)。

 

14年の初ライブが評判を呼び、その後 Taicoclubや World Happinessといったフェスへも招聘されることになる。当初は1回だけのつもりで結成されたが、まわりが放っておかなかった。「YMOの代わりに呼ばれているような気がして。早く名刺代わりになるオリジナル曲が作りたかった」(砂原)。これは砂原だけに限らず、メンバー各自 METAFIVEでの展開を模索し始めていた。

 


ーー誰かに指示されるのではなく、自分で仕事を探すバンド(砂原)

 

砂原 小山田くんが『攻殻機動隊』のサウンドトラックを担当していて、『攻殻機動隊ARISE boarder : 4 Ghost Stands Alone』(14年)のエンディングテーマをMETAFIVEで作ろうと提案してくれたんですよね。そこから、また違うステップを登り始めた感じで。

 

高橋 初のオリジナル曲。まずはレオくんと小山田くんの事務所へ行き、歌詞は日本語でやるかなど相談して。デモの段階で、もうメロディもついていたから、それにあわせて歌詞を書き始め、データを交換して進めていった。

 

砂原 この曲は小山田くんが最後まで仕上げていく“責任者”という立場で。

 

高橋 その後、『攻殻機動隊』の発表イベント、(日本科学)未来館で行ったライブは非常に手応えを感じたんだよね。

 

砂原 バンド感がありましたね。

 

高橋 あった。でも、全然普通のバンドというものとは違う。いまだにアルバムを作ることになったキッカケなど、誰も覚えてないの(笑)

 

砂原 誰もハッキリ言い出さないままここまできているというのは“みんなそのつもりではいたんだろうな”と思いましたね。

 

高橋 バンドらしくないといえば、メンバーを決める時、ドラマーという立場の僕からすると、ベースを誰にするかっていうのをまず考える。でも、いざライブのリハーサルを始めようという時に、気付いたらベーシストがいませんでしたからね(笑)。

 

砂原 小山田くんはギタリスト、レオくんはボーカル兼ギタリスト、ゴンドウさんはホーンやパーカッション。トラックにEQの調整やエフェクターをかける、僕とテイさんの役割がかぶるんですよ。

 

高橋 ある日のリハーサル後、誰かがベースを弾いていると思ったら、まりんがシンセベースを弾いていたの。まさか、ライブで弾けると思わなかったから驚いた。それが凄く良かったんで、そのままライブ本番でも弾いてもらうことにして。今、シンセベース弾かせたら細野さんより上手いと思う。

 

砂原 いえいえ、偽ベーシストですから(笑)。

 

高橋 誰もいないところで猛特訓してたりしてね(笑)。生ドラムにあわせて弾いてくれてるんだけど、凄くファンキーな感じがする。

 

砂原 そんないいものではないですけどね、偽ベーシストですから。でも、METAFIVEは誰かに指示されるのではなく、自分で仕事を探すバンドだというのがハッキリしました。

 

高橋 確かに。テイくんなんか、知らない間にMETAFIVEのロゴ入りステッカーを作っていたりするし(笑)。いつの間にか広報担当みたいになっている。いろいろなバンドをやってきましたが、ここまでメンバーに任せっきりにできることはありませんね。

 

では、実際にレコーディングはどのように進められたのか。全員個々の多忙なスケジュールで活動しながらも、METAFIVEの制作となると、意外と前のめりだったことがうかがえる。


ーーメールベースは便利だけど、顔を合わせながら作業することは大切(高橋)

 

高橋 多くは一斉メールで送られてくる、データのやりとりで進んでいった。
僕は80年代から、海外でのレコーディングを多くやってきたけど、当時はメールがなかったので、実際に会わなければレコーディングできなかった。

 

砂原 そう考えると便利な世の中になりましたね。

 

高橋 メールベースのデータのやり取りが便利なことのひとつに、相手がいい人かイヤなヤツか、わからないっていうことがある(笑)。当時共演していた人たちは、スティーヴ・ジャンセン(元ジャパン、ドラマー)とか、知り合いが多かったといこともあったけど。ハンス・ジマー(82年にザイン・グリフの作品で共演)なんて人は、売り込みが激しくて(苦笑)。ハリウッドで成功したのも頷けます。メールだと、言葉を選んでメールすれば、いい人同士で作業が進められるから、純粋に音楽のやりとりができる気がする。話がそれたけどまあ、地球も狭くなりました。

 

 

砂原 メールだけで完結しているわけではなく、ドラムや歌を録るときは、何人かで集まりましたよね。レッドブル・スタジオ東京でやったこともありました。

 

高橋 データでのやり取りは便利なんだけど、ある程度のところで集まった方がいい。それがあると“バンドやっているな”という気持ちになる。もちろん集まるときはそれぞれギャグを用意して。

 

砂原 集まることは大事ですよ。結果的に、対面での制作があるとないとでは随分違いました。顔を会わせるとの大事さというか。あれ、なんか当たり前のこと言ってるな(笑)。

 

高橋 今日は特別に「Luv U Tokyo」が完成するまでを、解説したいんだけど。
これはまりんが責任者の曲です。

 

砂原 メンバー1人につき2曲づつ、責任を持って最後まで仕上げるノルマがあって。みんながどんな曲をあげてくるか、様子を見ていたんですけど、段々曲が出揃ってきて、アルバムの制作後半になってテイさんから、リード曲を作るよう指令がありました。

高橋 噛み砕いて言うと、スナックでも歌われるようなヒット曲を作れ(笑)。

 

砂原 音楽IQの高い人が多いため、制作当初からマニアックな方向へ向かう可能性を懸念していました。だから、テイさんから指示を“マニアック路線を回避してくれ”と解釈したんです。15年の6月、曲のスケッチとなるリズムのループができた。一晩寝かせてから、少し手を加え、全員に一斉配信したんです。

 

高橋 ベーシックなリズムのデータを“ここに何か加えてください”と指示してメールで送る。制作当初は義務的に感じ、なにかしら加えてきたので、トラックがパンパンになっていたんだけど、「Luv U Tokyo」あたりになると、みんな加える音が的確になってきたね。

 

砂原 責任者が精査して、削除しますから。段々と進め方を理解していったと思います。

 

高橋 「Luv U Tokyo」のリズムが送られてきた翌日には、もうテイくんから平歌とサビのメロディが送られてきていて。

 

砂原 あんなに早く作れるなら、自分で作ればいいのに(笑)。テイさんはこの曲をデュエットにしたかったみたいで、男性と女性が掛け合うサビを、わざわざシンセの音を変えて作ってありました。

 

高橋 そうするとテイくんの作品と似てしまうということもあったかもね。

 

砂原 だから、“今回は男っぽくいこう!”と責任者として指示しました。次に小山田くんからギターのフレーズが送られてきたんですけど。

 

高橋 小山田くんは毎回シーケンスを組むみたいに、何本かギターを入れてくる。この音は右、次の音は左に振り分けてという指示があります。でも、 “いらなかったら、使わなくていいです”とも書いてある(笑)

 

砂原 レオくんと幸宏さんが歌詞を書き、仮歌を入れた時点で、ゴンドウさんがつけたホーンのフレーズに、女性のしゃべり声が欲しいなと思ったんですよ。

 

高橋 どんな言語がいいかなといろいろ考えたんだけど、前にスケッチショウ(細野と高橋の二人組バンド)などで、スウェーデンの話し言葉を入れたことがあった。よくよく考えてみたら、レオくんのお母さんは東京在住のスウェーデンの人じゃないか、ということで、実家に帰って録ってきてもらった。よーく聴くと環七を通る車の騒音が入っててね(笑)。

 

 

砂原 テイさんから“東京”というテーマがあって。女性の声というとセクシーなものを想像しがちだけど、できるだけ感情を出さずに、ニュース原稿でも読んでいるように、東京について話してもらった。あがってきたものがバッチリだったので、エコーをかけて、ソノシートの音源みたいに加工しました。

 

高橋 それから“トキオ”というボコーダーの声は、YMO「テクノポリス」(78年)からのサンプリングではなく、自分で録り直しています。

 

砂原 簡単だと思って始めたら、半日くらいかかりましたね(苦笑)。“トキオ”という声だけ100テイクくらい録りました。

 

高橋 マニアとしかいいようがないね。

 

砂原 例えば、双子の兄弟がいて、片方ずつ会うと“やっぱり顔が似ているな”と思うんだけど、二人並ぶと“あ、意外に違うんだ”と感じることがあるじゃないですか。その感じを目指してやりました。

 

こうして完成した『META』は、メンバーそれぞれの個性を感じさせながらも、その誰の作品でもない、METAFIVEの作品になっている。今後ライブ映像なども公開されると思うが、ハッキリ言ってこれで終わりではもったいない。それだけのオリジナリティのある作品になっている。では、今後 METAFIVEがどうなっていくのだろうか。

 


ーー流行を気にしなかったことが、成功の要因かもしれない(高橋)

 

高橋 2000年以降、バンドを組んでは辞めることの繰り返しと言われていて。どれも解散したワケじゃないので(笑)辞めたわけではないんだけど。どのバンドでも、最後は僕がリーダーシップを取っていることがほとんどだった。でも、METAFIVEに関しては、僕が決めたのはアルバムの曲順くらいなんですよ。それだけ放っておいても進むバンド。だから、次はどんなものになるか、想像つかないんだよね。

 

砂原 これだけのメンツが集まって作品を作ると、意外とつまらないものが出来上がったりすることってあるじゃないですか。

 

高橋 そうそう。つまらないものになっていった時、僕がストップをかける役かな、とか思ったりもしたけど、そんな必要は全然なかった。

 

砂原 それから「Luv U Tokyo」のオープニングで、アート・オブ・ノイズが使うようなオーケストラっぽいシンセ音を入れたんですが、大体それを他所でやるとNGなんですよ。

 

高橋 わかる(笑)。僕も大嫌いだったもの。でも、今回聴いてみたら悪くなかった。そういうことって、メンバー間でわざわざ話もしなかったけど、NG事項が一切なかったもんね。流行を気にしたりする、いわゆるマーケティング的なことを一切しなかった。それがよかったのかもしれないね。

 

 

 

渡辺克己 プロフィール

リッチー・ホウティン(以下、R)「そうか、キミはDJもやるのか。
てっきりジャーナリストだと思っていたよ。何ていう名前でやっているの?」
DJ KAZZ(以下、K)「普通に本名のワタナベ・カツミで」
R「長い! だから日本人の名前は憶えづらいんだ」
K「それを言ったらリカルド(ヴィラロボス)なんて、どうなるの?」
R「ベルリンは移民が多いから違和感がないの。そうだ、DJネームをつけよう!今日からお前はKAZ、いやDJ KAZZだ!」
K「今のやりとり、そのままいただいてもいいですか?」
R「もちろん、いいとも」