十二月 03

Enka and Japanese Psychedelic Music

日本のアヴァンギャルド音楽のルーツとしての演歌、その考察

 By David Keenan

 

日本産の新たなサイケデリック・ミュージックの波が最初のピークを迎えたのは、1990年代中頃だった。私はPSF Records所属アーティストのMusica Transonic、東方沙羅、Mainliner、狼の時間の初のUKツアーのために自分の貯金を全てはたき、母親のクレジットカードまで使い込んでいた。これら全グループに、プロデューサー/ヴォーカル/ベーシストの南条麻人、後にAcid Mothers Templeを結成するギタリスト河端一、そしてドラマー吉田達也が様々な形で参加していた。

 

私たちはロンドン北部のとあるバーにいた。そこには10人が集まっていた。狼の時間による酩酊と哀愁のブルースが終わった後、全身黒尽くめでRay-Banのサングラスをかけた南条がひとりでステージへ戻った。彼の小柄な体格、赤くけばけばしいカーテンの曲線、はげたペンキ、単発のスポットライトがひとつとなって、彼の演奏した楽曲を再構築していた。それは、私にとっては私と私の新しい日本の音楽への熱狂に捧げられたラヴ・ソングのように響いた。私はその楽曲をよく知っていたか、あるいは知っている気がした。絶対にどこかで聴いたことがあった。灰野敬二の曲だっただろうか?それとも不失者?はたまた静香だっただろうか?

 

公演後、私は南条に訊ねた。すると彼は「演歌だ」と答え、それ以上でも以下でもないシンプルなものだと言わんばかりに肩をすくめた。「Enka」- なるほど。南条は既に私を魅了した裸のラリーズというバンド、つまり当時欧米ではまだ無名だったが、後にLes Rallizes Denudesとして知られることになる伝説のグループのことを教えてくれた人だったので、私は彼の一語一句を信じた。南条、モグラ、と彼は言い、自分の胸を指差した。私はメモの一番上に「Enka」と記した。私はそのサウンド、私が熱中していた新しいサイケデリック・ミュージックの核心である音楽に取りつかれた。しかし、その「演歌」とは何なのか?彼にそう訊ねると、彼は「演歌は1曲の歌だ」と答え、まるで私に王国への鍵を手渡したかのように頷いた。

 

実のところ、演歌には数多くの楽曲が存在しているのだが、南条の説明には詩的な真意が込められており、否定出来るものではない。演歌は1960年代に人気を獲得した日本の音楽ジャンルで、当時の文化の急激な発展と共に、その形態を変えていった。演歌は、The Beatles、そしてそのハイブリッドに対する回答として生まれたグループサウンズの隆盛に反応しながら、そこと平行して存在し、新しい音楽が次々と生まれる時代の流れの中で、より伝統的でダークでセンチメンタルなバラードを提供してきた。

 

 

確かに演歌は暗い。エレクトリック・ブルースのように、演歌は近代都市に辿り着いたばかりの地方労働者たちの混乱する感情を捉えたもので、時としてPerry Comoが歌うSkip Jamesのような、感情的かつ経験的な様式で還る場所の喪失、貧困、絶望などについて歌う、内省的な歌詞を伴う。楽曲の構成は平凡で展開も予想しやすく、基本的には深いビブラートのヴォーカルとドラマチックなマイナー・コードの上下動によって成立している。美空ひばり、藤圭子、都はるみといった偉大な歌手たちの作品を聴いた私は、すぐに演歌とは、東京のPSFや大阪のAlchemy Recordsからリリースされていた新しい日本の音楽の中心に隠されているDNAだということに気がついた。

 

 

私はMerzbow、Incapacitants、Masonna、暴力温泉芸者などの新しい日本のノイズ・ミュージックを好んだのと同様に新しいサイケデリック・ミュージックも好んでおり、特に狼の時間のレアなカセットや、三上寛や友川カズキの作品、静香のアルバム『天界のペルソナ』、そして最近の作品では灰野敬二の『ここ』や、彼の哀秘謡名義の全作品などを愛聴していた。新しい日本のサイケデリック・ミュージックは、演歌のマイナー・コードと最後には死が待つという退廃性を極限まで誇張し、果てしなく暴力的なエレクトリック・ギターで血まみれにしたものなのだ。

 

時計の針を2002年に進めよう。この年、私がキュレーションを担当するスコットランドのスターリングで開催されているフェスティバル、Le Weekendに灰野敬二と彼のバンド不失者を招聘した。灰野は、ソロ名義でのライブではカバー曲だけを演奏したいと言ってきた。私はそれらが誰の曲だったのかまったく分からなかった。暗闇の中に座ってGibson SGを弾いていた彼は、南条と同じく全身黒尽くめで、日が暮れた後でもサングラスをかけていた。そして彼はあの「1曲の歌」を歌った。息を呑むような演歌を、繰り返し歌ったのだった。

 

ライブ終了後、灰野が控室に戻るタイミングで私は彼がステージ上に残した楽譜を素早く手に取り、中を見てみた。彼が言った通り全てがカバー曲で、The Rolling Stonesの「As Tears Go By」や、The Ronettesの「Be My Baby」などの歌詞やコードが手書きで記されていた。私は圧倒された。灰野はこれらの楽曲を演歌化し、それらを轟音のマイナー・コード、体を痙攣させるようなヴォーカル、そして延々と自由に演奏されるギターが生み出すブラックホールへと落とし込み、流し目と共にステージを去ったのだ。彼は控室で、私に「As Tears Go By」は反戦の曲だと言った。私は彼の言葉の一切を信じた。

 

 

今年初め、フランスのレーベルAn’archivesが見事なプロデュース・ワークによって10インチ・セット『情趣演歌 :Enka Mood Collection』をリリースした。これに収められているのは全て、日本のアンダーグラウンド・シーンを代表する非常階段のJOJO広重と、元・不失者の白石民生が、それぞれの好きな演歌を自由に解釈したカバー曲だ。小さなバーで伝説のギター流しMalenkov(マレンコフ)と共にレコーディングされた白石の激しい楽曲は、演歌を知的なブルースに再構成し、まるでRobert Johnsonの亡霊が録音したかのように、驚くほど現代的でありながら、同時にそれが過去のものであることを感じさせた。

 

JOJO広重は西田佐知子の1960年のヒット曲「アカシアの雨がやむとき」や、坂本九の「上を向いて歩こう」などのクラシックをカバーしているが、最も印象的なのは時代を超えて愛される古典「夢は夜ひらく」の解釈だ。長年に渡り幾度となくレコーディングされてきたこの楽曲は、1970年にリリースされた藤圭子のヴァージョンが最も有名だが、日本のサイケデリック・ミュージックのファンならば、1971年にリリースされた三上寛のヴァージョンの方が馴染み深いかもしれない。

 

「夢は夜ひらく」は、南条が話していた「1曲の歌」の循環だ。作家・翻訳家で親日家のAlan Cummingsによれば、この歌詞には、思春期の女性が男性遍歴を振り返る内容から、四畳半のアパート・低賃金労働・自慰行為を歌った三上寛のヴァージョンに至るまでの、実に20を越えるヴァージョンが日本国内で著作権登録されているという。

 

 

演歌は1曲の歌であり、果てしなく解釈が繰り返され、反動と革新が交互に訪れ、かわいらしくなよなよしていながら、同時に恐ろしく深刻でセンチメンタルで深いものなのだ。日本のサイケデリック・アンダーグラウンドが欧米のロックを探求・再考していく中で、演歌は再生の器となった。「溶解と凝塊」という錬金術のモットーは、まずは全てを破壊し、それを再度1つに固めることを意味する。つまり演歌は、日本のアンダーグラウンドによる錬金術的な現代ロックンロールの改訂における、「第一質料(プリマ・マテリア)」なのである。

 

 

Title Image: From 三橋美智也『軌跡・奇跡・輝石 三橋美智也歌謡全集』