十二月 13

ロングインタビュー:DJ Shadow PART 2

レコードディギンをひとつのアートに昇華させたアーティストの2005年のインタビューの後半を紹介する

By Bill Brewster

 

2005年、Island Recordsからのファーストアルバム『The Outsider』のリリースを半年後に控えたタイミングでDJ History.comのBill BrewsterがDJ Shadowをキャッチした貴重なインタビューのPart 2は、今も高値が付けられているレア盤を見つけた経緯や優秀なDJの定義などについて語られている。

 

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自分の音楽をヒップホップだと思いますか?

 

その質問に回答するのはほぼ不可能だね。ヒップホップは音楽をキャリアにしたいと思うきっかけだったし、俺にとってのパラダイムだ。俺はヒップホップを通して全てを見ている。宗教みたいなものさ。他に言葉が見つからないからこう言っているだけで、この言葉を使うのは大嫌いだ。ヒップホップは世の中を見るためのスクリーンだ。俺はヒップホップを通して政治や歴史など見ることで多くを学んできた。ヒップホップが人生のほとんど全てを教えてくれた。

 

だから当然、俺のトラックメイクには、ヒップホップを長年聴いてきたという経験が持ち込まれる。俺はヒップホップを20年以上聴いてきた。俺が作る音楽がヒップホップじゃないと言われたら驚くね。でも同時に、今の俺はひとつのスタイルやシーン、ジャンルに拘ることに興味がなくなっている。ヒップホップが与えてくれたものよりも俺は多くを学んだように思う。俺がヒップホップ純粋主義者だった時代は過ぎ去ったんだ。

 

 

自分がサンプリングやミックスをしたレコードの人気が高まることについてはどう感じていますか?

 

俺に言わせると、いつもそうなるのは簡単に見つけることができた3~4枚のレコードなんだ。凄いブレイクが入っている誰も知らないレコードじゃないのさ。いつも同じ3~4枚さ。レコードの隅から隅までを活用しようとしているだけだ。レコードの価値が高まることを昔は嬉しく思っていたけれど、今はもう何も感じないね。

 

 

他人のレコードだけを使ったトラックメイクを最初からアートとして捉えていたのでしょうか?

 

ああ。ラップに興味を持ったのも “音楽” としてだったしね。「The Message」と「Planet Rock」をほぼ同時に聴いたんだけど、「Planet Rock」はなぜかラジオでインストゥルメンタルバージョンがプレイされていた。「The Message」はリリックが全てだった。俺が好きなヒップホップが出てきた時代は、ちょうど俺が音楽を夢中になって聴いていた頃だった。13歳から16歳っていうのはスポンジのように吸収する。自分のヒーローたちと同じ格好をしたり、部屋の壁にレコードを飾ったり、ライブに行ったりしていたよ。

 

その頃にサンプリングも始めたんだ。当時の俺にとって、サンプリングっていうのは、ニューヨークのひと握りのトップDJだけが知っている秘密のテクニックだった。だから興味津々だった。何とかして知りたいと思っていた。『Rap Attack』を聴いたり、映画『Breakin’ / ブレイクダンス』でDJがターンテーブル2台を使ってプレイしているシーンを観たりして貴重な情報を集めていた。あとは雑誌の記事を読むこともあった。

 

昔は『NME』と『Melody Maker』、『Soul Underground』を買って読んでいた。ヨーロッパの雑誌を扱っているニューススタンドがあったんだ。『Melody Maker』ではSweet Teeが表紙を飾っていたし、『NME』ではJust Iceの5ページの特集が組まれていた。こういう記事はUSの雑誌では読めなかった。『Rolling Stone』や『Spin』にも載っていなかった。『Spin』は1987年頃にBoogie Down Productionsの記事を載せて少し方向が変わったけれど、いずれにせよヒップホップは読めなかった。当時は『The Source』もインターネットもなかった。黒人系の雑誌もラップを支持していなかった。

 

 

 

 

秘密のグループに関わっているような感覚を得たのではないですか?

 

もっと簡単に情報が手に入って、もっと簡単に吸収できていたら良かったと思うけれど、俺にできたのは、ヒップホップがメインストリームに進出する瞬間をたまに確認するくらいだった。俺はニューヨークに住んでいなかったから分からないけれど、『Village People』には色々な情報が載っていたかもしれないな。あとは、『NME』か『Melody Maker』のサンプリング特集号を読んだのを覚えているよ。Mantronixがロングインタビューの中で色々なビートについて話していた。カバーには「Blag Blag Blag」(編注:Blagは “盗む” の意味)と大きく書かれていて、Elvis Costelloの写真と一緒に「Norman Cook’s Top Ten Breaks」と書かれていた。

 

こういう記事に書かれていた音楽をリングバインダーに書き留めて、地元のレコードショップに持ち込んで探していた。Incredible Bong BandやThe Soul Searchers「Ashley’s Roachclip」などをね。この頃から、7インチでしかリリースされていないトラックや、Melvin Bliss「Synthetic Substitution」のようなトラックを見つけることができなくて苦労するようになったんだ。

 

 

 

 

色んなことが少しずつ積み重なっていった。小さい頃に両親が離婚したから、父親が住んでいたサンノゼに行くと、レコードショップへ連れて行ってもらっていた。あとは、金曜と土曜の夜にラジオを聴いたあと、地元のレコードショップへ行って、プレイされていた12インチを数枚買うとかね。そういう日々の積み重ねさ。

 

 

サンプルネタとサンプラーだけでトラックメイクを進めるのでしょうか?

 

そうだね。でも最近は、基本的にPro Toolsで進めているよ。フレキシブルだからね。MPCの融通が利かないトラックメイクに飽きてしまった。先月、ロンドンでトラックメイクをしていたんだけど、レコードは1枚も使わなかったな。昔は決まった場所にサンプルをはめたり、特定のトラックにパーカッションを入れたりしていた。最初の2枚のアルバムでは、サンプリングについての自分のステートメントを世に示そうとしていた。

 

今は、自分のトラックにベースギターのサンプルが上手くはまったことに大騒ぎするようなことはない。そういう作業はアートに感じなくなっているんだ。昔はそう感じていたよ。なぜなら、そういう作業に価値が存在したからね。いずれまた価値が出てくるのかもしれないけれど、今はトラックにフィットしているなら何でもできるという自由を楽しんでいるんだ。

 

 

今もファンクの7インチを集めているのでしょうか?

 

ああ。

 

その土地固有の音楽を掘ることに興味はありますか?

 

質問の答えになるのが、「The Number Song」の最後に入れてあるブレイクビーツだ。これは韓国のレコードで、なぜか海を渡ってカリフォルニアにやってきたのさ。色々な国のレコードがUSには転がっている。イスラエルやトルコなんかのレコードがね。大量じゃないけれど、見かけるよ。1990年にUKのDemon Fuzzのレコードを買ったけれど、中身を知っていたわけじゃない。たまたま出会ったんだ。

 

 

 

 

色々な国のファンキーなトラックを掘ることを強く意識したことはない。「ファンキーな音楽をやらないと!」なんて言って、わざとファンキーなトラックを作るバンドは世界中に昔からいるのは知っているし、ヨーロッパ産ファンクやジャズに強い思い入れもない。ピンとこない。要するに、レコードショップの連中が「トルコ産ファンク」なんて謳って売り出そうとしているしょうもないレコードよりも、伝統的なトルコのレコードをサンプリングするってことさ。

 

 

Reginald Milton & The Soul Jetsのレコードはどこで見つけたのでしょう?

 

1995年のAustin Record Conventionだね。

 

 

レコードボックスを掘っていて偶然見つけたのでしょうか?

 

当時は誰もファンクを掘っていなかった。俺、Malcolm、Kebのような連中にとっては大事だったが、他の連中にとっては何の意味も持っていなかった。昼下がりに普通にレコードボックスに入っているのを見つけたんだ。ルイジアナと同じで、オースティンも自分たちの音楽遺産を大切にしている。だから、レコードボックスを掘っていると珍品に出会う時があるのさ。

 

Reginald Milton & The Soul Jetsと書かれているのを見て、すぐにこれは誰も知らないソウルやファンクのレコードだろうなと思った。それで、当時はまだポータブルターンテーブルを持ち歩いていたから聴いてみたんだ。高価な7インチが転がっているような場所ではポータブルターンテーブルは便利なんだ。というのも、カントリーやファンクの7インチは似たようなタイトルが付けられているものが多いからさ。

 

 

 

 

あなたの知っている中で最強のディガーは誰でしょうか?

 

誰と一緒にいても、俺がその人を疲れさせてしまうことの方が多いね。別に俺はクレイジーなディガーでもないし、クールなディガーでもない。でも、俺の方が長時間掘るのさ。早く向かったり、遅くまでいたりしてね。あとは、危険を冒すべきじゃないのに危険を冒す時もある。でも、正直に言って、俺はノーザンソウルのディガーほどハードじゃないね。

 

これまでの人生を通じて、色々な人たちとレコード探しの旅を重ねてきた。でも今は、そういう旅をする必要性を特に感じていないんだ。もちろん、一緒に旅する仲間がいるのは楽しいけれど、ひとりで旅をするのに慣れてしまったのさ。誰かと一緒にいるとお互いをけしかけることになるっていうのを学んだしさ。俺がひとつ言っておきたいのは、ファンクがUSで盛り上がってきた頃、つまり、1999年頃に無節操で欲深い連中がシーンに入り込んできたってことだ。この連中は取り憑かれていた。レコードを掘ったり、音楽を聴いたりすることじゃなくて、金儲けをすることにね。

 

 

レコード探しの旅で危ない目に遭ったことはありますか?

 

『Endtroducing』のゲートフォルドを開くと「BLACK-OUT」って書かれているアルバムカバーを見つけることができる。揃いの衣装を着た男性グループが青空をバックに立っているカバーさ。これはオクラホマの高校生バンドの演奏を集めたアルバムだったんだ。Lyrics Bornはディガーとしても有名で、独自の掘り方をしているんだけど、高校のそういうレコードについて俺が話をしたのは彼が最初で最後だ。それで、彼はこのレコードを持っていたんだけど、俺は持っていなかった。彼はオークランドで開催されたスワップ・ミート(交換会)で手に入れたんだ。

 

そこで、『Endtroducing』がリリースされた直後にオクラホマに行ったタイミングで、俺もこのレコードを探してみることにしたんだ。アルバムのアートワークを手がけたB+と、BlackaliciousのChief Xcelとね。ある夜、雪が降った。その日の昼間、俺は電話帳をめくりながら、このレコードを手に入れるためのつてを探していた。それで楽器店に行くと、ある男が「俺はDouglas High Schoolの出身だから、明日になれば何枚か手に入るかもしれないな」と言ってきたんだ。

 

翌朝になると道路が凍結していた。車を運転していたB+は、路面のコンディションをかなり嫌がっていた。「なぁ、こりゃ酷いぜ」なんて言いながら運転していた。他の車が滑っていたし、結局、俺たちの車も横滑りして縁石に激しくぶつかったんだ。それでB+が「見ろよ、こんなの狂ってるぜ」と言うから、後部座席に座っていた俺は「分かった。とにかく俺は行くぜ」と言って、徒歩でその男のところへ向かった。危険を顧みず絶対に手に入れようとした瞬間のひとつさ。

 

 

 

“DJのスキルは関係ない。スキルはプラス材料に過ぎない。フロアを読んでフロアを踊らせることが何よりも大事だ”

 

 

 

生きていると、街外れの奇妙なエリアや不気味な状況に放り込まれる時がある。周りを見渡すと危ない奴や非社会的な連中ばかりで、何をされるか分からない状況にね。そういう状況では、思い切って懐に飛び込まなければならない時もある。ある時、俺の友人と一緒にある男のレコードコレクションを見ることになったんだ。かなりの巨漢で、何を考えているのか分からない表情をしていた。行動もどこか怪しかった。その男が「レコードなら沢山ある」と言ってきたんだ。

 

それで、その男の家に向かったのさ。もちろん、家はペンシルベニアの森の中だった。だから俺たちは家の中に入る前に打ち合わせをしたんだ。「少しでも怪しいと感じたら、すぐに “妹を迎えに空港まで行かないと” って言うんだ。これを合い言葉にして家から出よう」と確認した。それでその男に地下室に通されて…

 

 

何か見つけることはできたのですか?

 

何枚かね。行った甲斐はあったよ。

 

 

あなたにとって優秀なDJとは?

 

フロアを読めるDJだ。スキルは関係ない。スキルはプラス材料に過ぎない。フロアを読んでフロアを踊らせることが何よりも大事だ。で、どう考えても、俺はそのカテゴリーのベストではないね。俺は若い頃からDJで人を踊らせてきたわけじゃないからさ。俺が初めてクラブでDJしたのは1993年のドイツだ。

 

 

リリースがきっかけでDJになったということですか?

 

そうだよ。俺は家でミックスしていただけだった。1980年代末はラップがどうなるかなんて分かっていなかった。別にラップシーンが終わるとは思っていなかったけれど、金になるのかどうかは全く分からなかった。どこかのタイミングで生活費を稼がないとならなくなることは分かっていた。だから、ExposéやTone Lōc、マイアミベースをプレイするクラブDJになる自分をぼんやりと思い描いていた。

 

 

では、DJについてかなり猛勉強しなければならなかったのでは?

 

ドイツで、Kings of Pressure「You Know How To Reach Us」をプレイしたのを覚えているよ。BPMがやや遅めの力強いヒップホップトラックだったから、俺は「もう少しアップテンポで踊れるトラックが良いかもな」と思った。そうこうしているうちに理解できるようになっていった。そのヨーロッパツアーの5~6都市目で上手く噛み合うようになった。

 

 

 

 

もうひとつ言えば、初めてのヨーロッパだったからフロアが何を知っているのかも掴めていなかった。だから、俺が好きなトラック、USでホットなトラックをまとめたセットをプレイするようにした。今の俺が抱えている問題は、俺のテイストが非常に男性的でアグレッシブになりがちなところだ。俺はハードファンクをひと晩中聴いていられるけれど、クラブに遊びに来る人の大半はただ楽しい時間を過ごしたいだけだ。プレイされるレコードがレアかどうかは気にしていない。だから、毎回5ドル程度で買えるJames Brownのレコードをプレイしているよ。

 

 

David Axelrodのようなアーティストの再ブレイクに手を貸したことについてどう感じていますか?

 

俺はほとんど何もしていないよ。誰かが彼にインタビューをした時に、彼が俺について、人が音楽を聴くきっかけだと言ってくれたんだ。素晴らしいフレーズだと思った。俺は自分が好きな音楽を紹介するのが好きだ。テネシー出身のダーティサウスのグループでも、1966年のガレージロックバンドでもね。俺は自分の好きな音楽を人に伝えるのが好きだ。それがきっかけとなってその音楽に興味を持ったり、人生に何かが変化が起きたりすることを期待しているのさ。それで満足なんだ。俺はDavid Axlerodを良く知っているし、「なあ、あんたは俺に大きな借りがあるんだぜ!」なんて言わないよ。

 

 

 

※:このインタビューは2005年7月に行われたものです。© DJhistory.com

 

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