十二月 06

ロングインタビュー:DJ Shadow Part 1

DJ Historyのアーカイブから、レコードディギンをひとつのアートに昇華させたアーティストの2005年のインタビューを2回に分けて紹介する

By Bill Brewster

 

ある人は、DJ Shadowがサンプルベースのトラックメイクをネクストレベルに引き上げたと言い、またある人は、6万枚以上ある彼のレコードコレクションを引き合いに出して、レコードコレクションとレコードディグのレベルも引き上げたと言う。長年に渡り、DJ ShadowことJosh Davisは、ほとんど知られていない隠れた名盤や入手困難なサンプルソースを最大限活用して、他のアーティストが無視してきたサウンド・グルーヴ・ループを持つ素晴らしいシングルをリリースしながら、アンダーグラウンドヒップホップシーンで注目を集めてきた。

 

このアプローチがひとつのピークを迎えたのが、完成までに約2年がかけられた、スモーキーなビートと多層のサンプルコラージュによる精巧なマスターピース、1996年のデビューアルバム『Endtroducing』だった。ターンテーブル2台とAKAI MPC60、借り物のPro Toolsによって制作されたこのアルバムは、今も世界最高のサンプルベースアルバムのひとつとして高く評価されており、「サンプルだけで制作された世界初のアルバム」としてギネスブックにも載っている。尚、DJ Shadowはトリップホップを確立させたレーベルのひとつMo’ Waxから一連のシングルをリリースしていたことにも助けられ、『Endtroducing』がリリースされる前から、すでに同ジャンルのパイオニアのひとりに数えられていた。そのレコードノイズも取り込むカット&ペーストのサウンドプロダクションは、USと海外の地方の小さなレコードショップまでもカバーする長延なディグによって集められたグルーヴィなビート、日常生活音、サンプルなどが大量に放り込まれた未来のサウンドスープと言える。

 

2005年、Island Recordsからのファーストアルバム『The Outsider』のリリースを半年後に控えたタイミングでDJ History.comのBill BrowserがDJ Shadowにキャリアやディグの魅力について語ってもらった貴重なインタビューを、Part 1 / Part 2に分けて紹介する。

 

 

 

いつからレコードを集め始めたのでしょう?

 

俺は昔からコレクターだった。小さな頃はベースボールカードを集めていたし、8歳くらいになるとコミックブックを集めていた。そのあと、1982年頃からヒップホップに興味を持ち始めたんだ。Grandmaster Flash & The Furious Five「The Message」なんかをラジオで聴いたり、小遣いを握りしめてレコードショップへ行って12インチやアルバムを買ったりしていたんだ。

 

レコードを買い始めた時から、俺は "コレクター" だった。最初の70枚くらいまでは、買った日付を細かく記入した小さなステッカーを貼っていたよ。初めて買ったアルバムは『Street Beats Volume II』で、これはSugar Hill Recordsのコンピレーションアルバムだった。買った理由は収録曲数が多くてコストパフォーマンスが良かったからさ。

 

このカルチャーにハマっている連中は、お互い引き合うようになる。俺の学校にも10人くらい本気でのめり込んでいる奴らがいた。その中に、地元から一番近い大都市だったサクラメントにしょっちゅう通っている奴がいて、地元じゃ手に入らないレコードを持っていたんだ。で、そいつが自分のコレクションを売り払うことにした時に俺が全部引き取った。この頃から俺は常にレコードを探し回っていたのさ。

 

1987年頃から昔のレコードを掘り始めるようになった。サンプリングや、アーティストが使っているサンプルネタに興味を持つようになったからさ。それで、父親のレコードコレクションの中から、いくつかサンプルネタを探し当てた。父親はIssac HayesのレコードやClifford Coulterのようなジャズアーティストのアルバムを持っていて、その中に多少ファンキーなトラックがいくつか収録されていた。

 

初めてブレイクやサンプルを掘るためだけにレコードショップに行った日のことを良く覚えているよ。1987年の話で、James Brown『Payback』とSoul Searchersのセカンドアルバム、あとはHerman Kelly「Dance To The Drummer’s Beat」を買った。当時はこういうレコードがゴロゴロ転がってた。誰も気に留めていなかったんだ。少なくとも、俺の地元ではね。冗談抜きに8〜9年はそんな感じだった。

 

 

 

 

7インチを掘り始めるようになったのは1989年の後半になってからだった。高校3年の時さ。掘り始めるきっかけになったのは、近所に住んでいたある大学生だった。俺の地元は大学都市で、当時周りでSP-1200を持っていたのは彼だけだった。彼はニューヨーク出身で、Public EnemyのプロダクションチームBomb Squadと繋がりがあると言っていた。

 

彼が7インチを大量に持っていたんだ。そのコレクションを見せてもらった俺は「なんで集めているんだい?」と尋ねた。当時の俺は、7インチは12インチに収録されているトラックのショートバージョンくらいにしか思っていなかったからね。でも、そう説明すると彼から「おいおい、7インチが一番面白いんだぜ」と言われた。それで、何枚かプレイしてくれたんだ。General Crook「Gimme Some」をプレイしてくれたのを覚えているよ。俺はラベルを食い入るように眺めていた。

 

 

黄色と赤のラベルですよね?

 

それだよ。それで「すげぇ! 俺も7インチに注目するべきだな」と思ったんだ。

 

 

 

 

何があなたをレコードコレクションの世界に引き込んだのでしょう?

 

俺が思うに理由は2つだ。まず、俺にはコレクターの血が流れているってこと。そして、俺には音楽が全てだったってこと。レコードを掘るっていう行為は俺を立体的に満足させてくれた。レコードはコミックブックと同じように触知的だし、レコードはさらに聴覚を通じてこちらに語りかけてくる。1990年代半ば頃からは、コンディションを気にしたり、レア盤を探し回ったりするようになったけど、最初の頃はそうじゃなかった。

 

 

スクラッチをする限り、レコードを消耗品として扱う感覚も多少必要ですよね。

 

そうだね。さらに言えば、掘り始めた頃の俺は、ラップは俺以外には何の価値がない音楽だと思っていたし、ただ単純に知識を得るために集めていただけだった。また、ラップは1990年代に入るまで中古で出回らなかったから、当時は、俺が通っていたようなレコードショップでは見かけなかった。

 

当時は、ラップをどこに分類したら良いのか分かっている奴なんていなかったし、買う奴もいなかった。マージナルな音楽だったのさ。だから、いわゆるコレクター的な視点で集めていたじゃなかった。単純にできる限り多くの音楽的知識を得るためだったんだ。

 

 

そのようにしてレコードを大量に集めた今の自分をどう捉えていますか? キュレーター? 考古学者? それともただのDJですか?

 

俺には仲が良い友人が何人かいて、奴らが俺の家に来た時は、家の外にはまず持ち出さないお宝というか、世の中に1枚しか存在しないようなレコードについてオタクな話をしているんだ。でも、俺の持っているレコードの大半はどんと積み上げられていて、順番も適当だ。俺はとにかく沢山聴きたいんだよ。インスピレーションを得るための音楽を聴けば、DJ用の音楽も聴くし、サンプリング用の音楽も聴く… 俺がレコードを買い集める理由は色々あるんだ。

 

ある意味、強迫観念に囚われていると言えるんだけど、いつの日か家にレコードを手に入れることができなくなるんじゃないかって思っているんだ。何しろ、中古レコードショップがどんどん消えているご時世だからね。だから、「聴くレコードがなくなっちまった」という状況に陥らないように注意している。10年前に買った時にもう二度と聴かないだろうなと思っていたようなレコードがあるんだけど、そういうレコードを興味深く聴き直しているよ。

 

今の自分について話すと、俺は自分がやっていることを凄いなんて思っていない。確かにプライベートコレクションとしてはかなりの枚数だと思うよ。でも、別に重要なことだとは思っていない。

 

 

ですが、結果的にあなたはDavid Axelrodのようなアーティストのキャリアを再び軌道に乗せることになりました。あなたの活動は、直接的なモチベーションにはなっていないかもしれませんが、副産物は生み出していると思います。

 

8〜9年前にある言葉を耳にしたんだ。"都市考古学" さ。全てが噛み合うと、特別な瞬間というか、自分の国でもどこでもいいんだけど、掘ったことがないレコードを掘っていると、全身に電気が走るような感覚を得る時がある。ディガーならこの感覚は分かるはずさ。何か立派なことをやっているという感覚を得るんだ。実際はそうじゃないとしてもね。

 

 

 

“俺に言わせれば、7インチってのはクラックコカイン、レコードコレクションのファイナルフロンティアさ”

 

 

 

エジプトのミイラ発掘に近いですよね。

 

その通り。何しろ、ミシガン川の水が染みだしていて、ネズミがあちこちを走り待っている地下室で、「マジかよ。ここで何かを掘り出せるのはこれが最初で最後のチャンスだな」なんて思いながら膝まで水に浸かった経験もあるしね。レアトラックを集めたコンピレーションやミックステープを作って、ファンが探せるようにしたいがためだけにさ。これが、ディグが最も “立派な” 状態だと思う。でも、同時にディグには立派じゃない部分も沢山含まれているし、どうしようもない連中も沢山関わっている。

 

 

掘り続けていると音楽を楽しむ気持ちを忘れてしまいませんか?

 

それはないね。ヒップホップが俺に教えてくれたことを忘れることはない。俺はいつもヒップホップに立ち返るようにしている。ヒップホップが俺に掘る楽しさを教えてくれたし、他の音楽も楽しむことを教えてくれた。ヒップホップでサンプリングされているのを知るまで、俺はいわゆる普通のロックンロールは全くリスペクトしていなかった。ヒップホップの連中はBlack SabbathやLed Zeppelinをサンプリングしているけど、昔の俺はThe Beatlesが大嫌いだった。親が聴く音楽だと思っていたからさ。

 

子供の頃から音楽好きだったけど、人から無理強いされるのがとにかく大嫌いだった。1986年頃にSteve Winwood、George Harrison、Traveling Wilburys、Grateful Dead、Jefferson Starshipみたいなベビーブーム世代の連中がこぞって悪趣味なポップミュージックを作り始めて、全員が成功を収めていたのを良く覚えているけど、その理由は、俺の両親が買っていたからさ(笑)。

 

とにかく、俺はそういう音楽が大嫌いだった。で、そういう音楽の中にラップは一切入っていなかったけど、その一部が再構築されているヒップホップを聴くようになった。それで、徐々にそういう音楽をリスペクトするようになり、他の音楽を聴くようになっていったんだ。サンプルを探していくうちにそうなっていった。どんな音楽を使っても構わないというヒップホップの美学に自分を当てはめていったのさ。Kraftwerkはそういう音楽の好例だね。

 

 

非常に自由なアプローチで音楽を聴いていますよね? ロック評論家的なアプローチで聴いていると、“ロックの聖典” や “ソウルの聖典” に逆らっていないか、伝統を守っているかどうかを重視してしまい、いつの時代も存在する “偶然の天才” が入り込めるスペースが生まれません。

 

とても自由だよ。実は、今朝ちょっと考えていたんだ。「今聴くべき10枚を教えてください」って質問されるたびに困惑してしまうことについてね。俺がトレンディなリスナーだったことは一度もない。俺がありとあらゆるシングルを買い集めていた頃のヒップホップだって、当時は全くトレンディじゃなかった。俺は目の前に無理矢理出される物に激しく抵抗するタイプなのさ。

 

だから、俺がここ最近聴いていたのは、ベイエリア出身のグループ、Phantom Limbsのアルバムと、ほとんど忘れ去れている1990年にリリースされたBlack Maleのヒップホップアルバム、あとはGoldfrapp『Felt Mountain』だった。しかも特別な理由なくね。どれも今とは関係ないレコードだよな。多分、俺が今聴いているべきなのはTV On The Radioとか…

 

 

DFAですか?

 

そう。あと2年くらいしたらバックカタログを全部聴き直すかもしれないけどね。そういう意味では、俺がかつてMo’ Waxと契約していたっていうのは皮肉だよな。Mo’ Waxはトレンドセッターで “今” を追うレーベルだ。でも、俺はそうじゃなかった。俺はただ自分が受けた影響を再構築していただけだ。

 

 

サンプルやブレイクを探し始めたことがレコードの堀り方に影響を与えましたか?

 

1992年にAutomator(aka Dan The Automator)に会ったんだ。彼は俺より5歳くらい上でさ、ニューヨークにしょっちゅう行って、Lenny’s Record ShopやDownstairs Recordsのような、Large Professorのような連中がブレイクを堀りに顔を出していたレジェンドクラスのレコードショップに通っていたんだ。だから、彼と初めて会った時は、その深い知識に感心したよ。カリフォルニアには、彼のようにニューヨークのブレイキンカルチャーを良く理解している人はほとんどいなかった。

 

俺たちは同じ “言葉” を話すことができたし、彼のような人は俺の周りにはほとんどいなかった。あと、俺が初めて出会った “ポータブルターンテーブルを持ち歩いている人” だった。バークレーでADD Records(現在は閉店)を経営しているDanny Bも持っていた。俺は2人のことを尊敬していた。なぜなら、彼らはそれを使って掘りまくっていたからさ。「何で思いつかなかったんだ!」と思ったよ。

 

それで俺もポータブルターンテーブルを買った。だから、君の言う通り、俺はひたすらブレイクスを掘るようになったんだ。もちろん、最高のループやトラックが見つかればそれはそれで手に入れていたけどね。でも、何年もポータブルターンテーブルを持ち歩いたあと、突然ポータブルターンテーブルがどうでも良くなった。それで持ち歩かなくなった。

 

その頃から、俺は直感に従うようになったんだ。何千、何万枚とレコードをチェックしていると、そのうち、今まで見たことがないレコードが感覚で分かるようになる。それで、それが聴くべきレコードなんだって理解するようになるのさ。

 

今でも「7インチの世界は深すぎるからから手を出すな」って誰かが言っているのを耳にするけど、俺に言わせれば、7インチってのはクラックコカイン、レコードコレクションのファイナルフロンティアさ。クレイジーなレーベルとレコードが大量に存在する。12インチが登場する前の12インチみたいなもんだな。ヒップホップで12インチを集めていなければ話にならない。俺は、ソウルやファンクも同じだってことに気が付いた。ソウル、ファンク、ガレージロック、パンクのような7インチの頃から存在してきたジャンルは7インチを集めないと話にならないのさ。

 

12インチのファンクアルバムでマストなのは約300枚だ。多くてもね。で、この300枚にはJames Brown一派も含まれている。でも、7インチのマストファンクの数はエンドレスさ。ファンクはアルバムカルチャーのジャンルじゃないんだ。ヒップホップはファンクよりも5〜10倍多作なカルチャーなのさ。

 

 

あなたがシーンに登場する前の段階でサンプリングカルチャーは少し下火になっていたと思いますか?

 

面白いことに、またサンプリングをする奴が増えているんだ。KMEL(編注:ベイエリアのラジオ局)を聴くと、Kanye Westのようなアーティストの作品の多くがソウルのサンプルを使っているのが確認できる。もちろん、Neptunesのようなスタイルのトラックもあるけど、Cash Moneyのようなレーベルでさえ、サンプルを使ったトラックをリリースしているんだ。奇妙で興味深い時代と言えるね。というのも、サンプリングがノスタルジックなものとして扱われているからさ。今クラシックなブレイクをサンプリングしているのは、懐かしい感じがするからだ。

 

ニューヨーク1強時代があった。当時の『The Source』では、基本的にニューヨーク以外のヒップホップは認めないということになっていた。でも、カリフォルニアに住んでいた俺はそうじゃないことを知っていた。俺はニューヨークに住んでいる連中よりも広い視野を持てていたと思う。ロンドンや東京の連中と同じようなね。

 

もちろん、『The Chronic』とSnoop Doggのアルバムがリリースされてビッグシフトが起きた。奴らはサンプルも多少使っていたけど、シンセサイザーと興味深い形で組み合わせていたし、サウンドパレットが広かった。この特徴が奴らをヒットさせたんだ。

 

また、同時にサウスでは、ベッドルーム的なサウンドが生み出されていて、そこまでヒップホップカルチャーの歴史の積み重ねを重視していなかった。純粋に “音楽” を追求していた。「伝統を広げないと」という考えはなかった。当時は、誰もがこういう考えをしているような感覚があった。誰もがローカルなサウンドだけを聴くようになっていた。何度も言っているけど、こういう全てが、“ノン・サンプリング” に繋がったんだと思っているんだ。正直に言って、著作権料を払うのが嫌になったからってのは見当違いだと思っているよ。そういう記事をしょっちゅう見かけるけどね。Kanye Westは今もサンプリングをしているだろ。

 

 

 

“参考にできるものなんて何もなかった。何をするべきなのか教えてくれる本もなかったし、何を探すべきかを教えてくれるウェブサイトもなかった。何もなかった。だから、手当たり次第全部聴いた”

 

 

 

あなたの掘り方が周りをさらに掘らせるようになったと思いますか? たとえば、Kenny DopeはUKのKeb Dargeのハードディガーぶりにかなり刺激を受けたようでした。

 

Kenny Dopeはそうなのかもしれないけど、彼はディグするのがクールじゃなかった頃からディグしていたし、1988年頃からヒップホップとハウスのレコードをプロデュースしている。彼と俺とは全然立場が違うし、彼の代弁はできない。

 

俺がUKに初めて行った時のことなら話せるよ。当時の俺は、ノーザンソウルについてほとんど何も知らなかった。俺はJames Lavelleと一緒にUKでDJをするようになったんだけど、当時はファンクを集めていたんだ。で、俺の周りでファンクを集めていたのは8th Wonderという名義で活動していたグラフィティアーティスト、John Hillyardだけだった。

 

ファンクに夢中だった俺たちはやがてロードトリップに出るようになった。参考にできるものなんて何もなかった。何をするべきなのか教えてくれる本もなかったし、何を探すべきかを教えてくれるウェブサイトもなかった。何もなかった。だから、手当たり次第全部聴いていた。

 

 

電話帳をめくってレコードショップを探していたということですか?

 

その通り。実にオールドスクールなやり方だよ。全くテクニカルじゃなかった。最初の行動範囲は200マイル(約320km)くらいだった。隅から隅まで探し回ったわけじゃなかった。初めて全米を回ったのは1993年だった。1991年と1992年の頃は、とにかくあらゆるレコードを聴きまくっていた。今もレア盤として扱われているレコードも見つけたし、別にレア盤でも何でもないけど、クールだと思えるレコードも見つけた。 

 

話を戻すと、UKへ初めて行って、Mr. Bongoで掘っていると、ひとりの客が「こういうファンクの7インチを置いていないかな?」と店員にリストを見せてると、店員が「ウチには置いてないな。Soul Jazzならあるかもしれない」と返した。それで、俺が「ちょっとそのリストを見せてくれないか?」と口を挟んだんだ。

 

結論から話すと、その客はMalcolm Cattoだった。彼からは「君は "Spitting Image" を持っているのか! 君は何者だい?」と言われたよ。ポストレアグルーヴ時代にファンクコレクターのシーンは存在しなかった。だから、俺は彼のリストに興味を持ったんだ。そのリストには俺が持っているレコードと持っていないレコードが書かれていた。最初に彼とトレードしたレコードは 「Spitting Image」だったと思う。「Spitting Image」はカリフォルニアのレコードだから何枚か持っていたんだ。そのあとで、Camden Lock MarketのKebの店に行って、Keb本人に会ったんだ。

 

 

 

 

 

Soul BowlのJohn Andersonのようなコレクターにも会いましたか?

 

Johnと知り合ったのはその数年後だね。彼は間違いなくイングランドにソウルシーンを成立させている人物のひとりだよ。

 

 


Part 2はこちら>>


※:このインタビューは2005年7月に行われたものです。© DJhistory.com

 

Header Photo:© Derick Daily