六月 14

DJ Bone:無双の魂

カルト的な人気を得ているデトロイトテクノの重鎮が少年時代、インディペンデント精神、ホームタウンへの貢献などについて語った

By Lauren Martin

 

デトロイト生まれデトロイト育ちのDJ Boneはミッドウェストのテクノシーンで最も尊敬されているアーティストのひとりだ。

 

10代の頃にMusic Instituteに忍び込んでBelleville Threeなどのローカルヒーローたちのプレイをチェックし、Electrifying Mojoのラジオ番組を聴いていたDJ Boneは、テクノのルーツを学べる最高レベルの教育を受けていた。ターンテーブル3台を使用する彼のDJセットアップはハウスとテクノを立体的に表現するユニークなプレイスタイルに置換されており、ハイレベルなミックスワークによってポリリズミックなサウンドが生み出されていく。

 

また、骨の髄までDIY精神が染みこんでいるDJ Boneは、自身のレーベルSubject Detroitを徹底的にインディペンデントな形で維持し続けており、DJ Bone名義とDiffer-Ent名義を使い分けながらオリジナルトラックのリリースを続けている。

 

これまでに数多くのEPとシングルをリリースしてきた彼は、DJ Bone名義のアルバム2枚(2007年『Out of Knowhere』と2018年『A Piece of Beyond』)をSubject Detroitからリリースしつつ、2017年にはDiffer-Ent名義のアルバム『It’s Good To Be Differ-Ent』をUKのテクノレーベルDon’t Be Afraidからリリースしている。

 

Red Bull Radioのインタビューからの抜粋となる今回の記事の中で、DJ Boneはキャリアを形作ることになった様々な部分における強い拘りについて語っている。

 

 

DJになりたいと思ったのはいつですか?

 

基本的に全てはデトロイトのクラブMusic Instituteと、The WizardとElectrifying Mojoのラジオ番組から受けた影響から始まっている。あとは両親が持っていた古いソウルのレコードからも影響を受けている。俺は音楽全般を好んでいたが、Music InstituteでのDerrick MayのプレイとMajestic TheaterでのBlake Baxterのプレイを聴いたあと、エレクトロニック・ミュージックに強い興味を持つようになった。衝撃を受けたよ。

 

この音楽が何なのかを理解しようとした。とにかく新しかった。当時の俺は高校生だったから、クラブには忍び込まなければならなかったが、色々と調べていくうちに、クラブでプレイされているトラックの多くがデトロイト産まれだということが分かった。

 

10代を通じてラジオでそういう音楽を聴いていた俺は、今度はクラブでその音楽を聴けるようになった。聴いたことがない音楽だったし、この新しい音楽に没頭するための最適な方法を見つけたいと思っていた中で、それを見つけることができたのさ。そこからは、テクノ、テクノ、テクノだよ。

 

DJになりたいと思った瞬間について話すと、かなり若い頃からそうなりたいという気持ちを持っていたと思う。小学生の頃からダブルカセットデッキを使ってミックスやリエディットをやっていたんだ。当時、デトロイトではダンス番組『The Scene』が放映されていて、その番組では最高の音楽がプレイされていた。だから俺はいつもその音楽を録音しようとしていた。

 

だが、当時のテープレコーダーは質が悪く、テレビから直接録音することができなかった。だから、テープレコーダーを抱えてテレビの前に座って音楽を録音していたんだ。そうこうしてうちに、両親がホームステレオを買ったんだ。興奮したよ。

 

 

そのホームステレオは安物だったが、俺には丁度良かった。ダブルカセットデッキだったからだ。そのデッキを見て「これはドープだぞ」と思った俺は、持っていたカセットテープを空のカセットテープに録音し始めた。要するにダビングを始めたんだ。それで、途中で録音をストップして音源側のカセットテープを巻き戻し、好きなポイントからまた再生して、録音側のポーズを解除するというのを繰り返していた。そうやって同じトラックをループさせたり、ビートを半分で区切ってBPMを倍にしたりしていたんだ。

 

このホームステレオがミックスを始めるきっかけになった。Sears(米国の量販店)で売られていた、ターンテーブル・ラジオ・カセットがひとつになった安価なオールインワンモデルだったが、いつもそれを触っていたよ。当時の俺はリエディットやリミックスが何なのか分かっていなかったが、Gladys Knight、Issac Hayes、Gil Scott-Heron、Stevie Wonderなどの楽曲を繋げていた。

 

自分でカセットテープを作ればいちいちレコードをひっくり返さなくても音楽をずっと聴ける。俺はそこが気に入っていた。好きな音楽を聴き続けられるのが嬉しかった。当時のレコードの大半はラジオでのオンエア用に3分から3分半程度にエディットされていたから、俺が作った “エクステンデッド” バージョンを近所の連中に聴かせると、「このバージョンをどこで手に入れたんだい?」なんて訊かれたよ。

 

 

 

"Stevie Wonderは俺が出会った最初のストーリーテラーだった。彼はゲットーやドラッグなど、あらゆるテーマのストーリーを語ることができた"

 

 

 

これが本格的なミックスやリミックスに興味を持つきっかけになったんだと思う。当時の俺はかなりオタク的な考えを持っていた。テクニカルな部分に拘っていたんだ。自分に相当厳しかった。録り終えたカセットテープを聴き直して、ポーズを解除するタイミングが遅かったり、ビートが前後に少しでもずれたりしているのに気付いたら、最初から全部やり直していた。俺は若い頃からクオリティに拘っていたんだ。

 

おそらくこれが今の自分へと向かう第一歩だったんだが、Music Instituteに足を踏み入れるまでそれに気付いていなかった。Music Instituteで全てが噛み合ったんだ。

 

 

その拘りや考えはあなたのDJや制作に影響を与えたのでしょうか? テクニックを磨いていこうという気持ちで取り組んでいたのでしょうか?

 

カセットテープでのリエディットやミックスは、他とは違うことをやるというアイディアを追求するきっかけになったんだと思う。俺は何か違う存在になりたかった。作品にアクセントが欲しかったのさ。リスナーが「お、この音楽は聴いたことがないぞ!」と思うような音楽を生み出したかったんだ。

 

ミックステープを売り始めた頃の俺は、ミックスをスポーツのようなものとして捉えていた。トレーニングを重ねていたんだ。毎日本気で6時間練習していたよ。自分の時間を全て費やしていた。

 

当時の俺はロフトに住んでいて、いとこがその下に住んでいた。そのいとこが俺の部屋へやってきて、その週に買ってきたレコード数枚を俺に預けるんだ。俺はそれをミックスして繋げていた。それがどんな音楽でもミックスしなければならなかった。テクノからハウス、ハウスからヒップホップと繋げながら、関連性と立体感を備えたひとつの流れを生み出す必要があった。

 

また、そのいとこがテーブルにぶつかると、その上に置かれていたターンテーブルの針が飛んだ。一瞬で全てが台無しになる可能性がある状況でトラブルが起きたら何秒で復帰、修正できるのかということを学んでいったよ。コンピューターが登場する前は、全てを人間が担っていた。針が飛んだら、それを自力で修正する方法を見出す必要がある。自力でビートを取り戻さなければならなかったのさ。

 

 

昨年初めてデトロイトを訪れるチャンスに恵まれたのでTechno Museumを見学したのですが、わたしが非常に驚いたのは、ブラックアメリカンのミュージックカルチャーの歴史とデトロイトの政治情勢がレコードと同じくらい大きく扱われている点でした。テクノの出自と影響、その創出に関わった意外な人物、知られざるイメージ、政治背景などを盛り込んだ自分史、あなただけの "タペストリー" を織るとしたら、それはどんなものになるでしょう?

 

俺のデトロイトテクノやそのルーツを説明する、自分史的なタペストリーを織るとするなら、巨大だがシンプルなものになるだろう。描かれる人物はもう分かっている。たとえば、Bruce Lee、Muhammad Ali、Rosa Parks、Thelonious Monk、Malcolm Xは必ず入る。

 

他にも沢山いる。Jimi Hendrixもそうだ。多種多様な人物が描かれるだろうね。全員がミュージシャンではない。変わった人物も数人含まれる。たとえば、コメディアンがそうだ。社会の壁を壊してくれたコメディアンさ。Eddie Murphyもいくつかの壁を壊してくれた。尊敬しているよ。

 

彼らは白人が支配しているフィールドに乗り込み、マイノリティながらそこを圧倒した。俺はそこを尊敬している。自分のタペストリーに描きたいヒーローは数多くいるが、その理由はシンプルだ。自分を保ちながら凄いことをやってのけたからだ。Jimi Hendrixがギターを手にした時、誰もがギターじゃ新しいことなんてできないと言ったはずだが、彼はフィードバックやワウペダルを他の誰とも異なる方法で使用した。神がかっているよ。

 

俺の中のJimi Hendrixのオールタイムフェイバリットのひとつは、「Star Spangled Banner」だ。デトロイトのクラブThe Shelterで良くプレイした。ラストトラックとしてプレイしたんだ。とてもエモーショナルなトラックで、オリジナルの国歌よりも訴えかけてくるものがあった。彼の情熱を感じることができた。Jimi HendrixやStevie Wonderは本当に凄いことをやってのけたアーティストだと思う。

 

Stevie Wonderは俺が出会った最初のストーリーテラーだった。地元の友人Deetronと一緒にやっている “The Storytellers” というプロジェクトがある。俺たちは音楽を通じてストーリーを語ってくれたアーティストたちを尊敬しているんだ。Stevie Wonderはゲットーやドラッグなど、あらゆるテーマのストーリーを語ることができた。ドラッグについては両親から学んだが、音楽を使って教えてくれる時もあった。父親がGil Scott-Heron「Angel Dust」をプレイして、ドラッグの落とし穴について教えてくれたのを憶えているよ。

 

 

 

"他のレーベルと契約するというのは、俺を含む多くのアーティストにとって近道になるかもしれない。だが、俺にとっては長く続けることが重要なんだ"

 

 

 

タイミングを問わず、俺はいつでも彼らのようなタペストリーに描かれる人物たちから何かしらを抜き取って自分のテクノに活かすことができる。DJ中でさえもできるね。たとえば、ブースの中でRosa Parksのことを思えば、彼女の何かしらが俺のDJセットの中に活かされていく。Kraftwerkでも、Parliament/Funkadelicでも同じだ。活かせるね。Bruce Leeや彼の寸勁(ワンインチパンチ)もそうだ。あれも凄い。

 

人物だけじゃない。自分のタペストリーには物理の世界も描かれるだろう。なぜなら、俺は物理に夢中なんだ。本当に大好きなのさ。だが、俺が受けた影響の話を続けるなら、もちろん、Electrifying Mojoについて触れないといけない。彼は知らない間に俺のタペストリーを広げてくれた人物だ。彼を知るまで、俺は彼がプレイする音楽の大半を知らなかった。

 

彼の番組を聴いていなければ、俺はJ. Geils Bandを知らなかった。Eurythmics、Depeche Modeも知らなかった。Jimi Hendrix「Star Spangled Banner」を初めて聴いたのも彼の番組だった。また、彼はクラシックを演奏しているブラックの演奏家も紹介してくれた。芸術の話をすれば、俺はRachmaninoffの特定の曲を聴くのが好きだ。Kandinskyも聴いている。俺に影響を与えたものは幅広い。

 

デトロイトの外に出るようになる前の段階で、多くのインスピレーションを得ておくのはとても重要だ。常に何かから影響を受けていた。学校、伯母、叔父、両親、祖父母などから様々なインスピレーションを得ていた。俺の両親は貧しかったが、無理をして家に用意してくれたものがひとつあった。大金を払って俺と妹のために百科事典一式を揃えてくれたんだ。俺たちは毎日その百科事典を読んで、できる限り多くのことを学ぼうとした。こういうことが俺のタペストリーには描かれるだろうね。

 

 

あなたはインディペンデントな姿勢を貫きながら自分のレーベルSubject Detroitを運営しています。どうやったらここまで強固にその姿勢を貫けるのでしょうか? プレス工場、ディストリビューター、レコードショップとどういう関係を築きながらインディペンデント精神を維持しているのでしょう?

 

ディストリビューターについては悪いイメージしかなかったが、幸運に恵まれたんだ。自分でレコードを売り始めた頃、ある孤独な男からファックスを受け取ったんだ。まぁ、実際は孤独じゃないんだが、ロンドンに住んでいる若い独身男性で、Junoを立ち上げたばかりだった。それで彼から「あなたのレコードをオーダーしたいのですが」という内容のファックスが届いた。「250~400枚ほどお願いします」と続けて書いてあったから、「それならできる」と返した。

 

それで正式にオーダーが届いてプレスを進めていくと、彼からまた連絡が来た。この時に初めて電話で話したんだが、彼から「オンラインで販売します」と言われたんだ。クレイジーだと思ったよ。「オンラインでヴァイナルを買う奴なんているのか?」という感じだった。ヴァイナルをオンラインで売るなんてアイディアを聞いたのはあのときが初めてだった。当時は誰もがレコードショップで買っていた。

 

1996年の話だったと思う。それで全てが終わり、支払いの段階になると、それまでより1ドル高い単価で支払ってくれた。ディストリビューターを通していなかったからだ。彼は中間手数料が発生していないならそうするのが妥当だと思っていた。だから余計な手数料が引かれていない金額を手にすることができた。それでそのオーダー分が全て売れて数週間経つと、彼から追加オーダーが届いた。凄い勢いで売りさばいていたのさ。

 

しかも、即金に近いペースで支払ってくれた。だから俺たちの関係は強固になった。今もJunoには直接卸しているよ。今のJunoはとんでもなく大きな規模になっているが、俺は彼らを最初から知っている。ほぼ立ち上げ当初から知っているんだ。そして彼らはずっと俺に良くしてくれている。本当にフェアなんだ。ディストリビューターと良い関係を築けることを教えてくれた。

 

その最初のリリースのあと、妻がレーベルをまた軌道に乗せるべきだと俺の背中を押してくれた。俺はトラックを大量に作っていたし、ゼロの状態からまた力強く、勇敢にレーベルを進めていった。同時に3枚リリースして復活させたんだ。また、プレスを含む全てのプロセスを合理化した。なぜなら、同時に5~8タイトルを動かしていたからだ。そうすることで、プレス工場の中での優先順位を上げたんだ。大量に発注し、支払いもきちんと済ませていたから、プレス工場に借りを作ることは一度もなかった。

 

プロセスを合理化した今は、全てが正しく進んでいるし、まともなプロモーションもできるようになっている。俺はリリース日に拘るタイプじゃない。リリースされる時はされるし、出会う時は出会う。そういうものだ。俺はそれが音楽の良さだと思っている。偶然出会ったり、誰かに教えてもらったりするのがね。必ずしも雑誌や記事じゃないのさ。信用できる人物に「これは良い」と言ってもらうことが大事なんだ。

 

他の多くのレーベルはアーティストを潰してしまう。だから俺は「Tipping Point」("転機" の意味)を作ったんだ。俺には、他のレーベルと契約してリリースするかどうかについて悩んでいた時期があった。だが、そういうレーベルから届くオファーを断っていくと、どんどん自分が楽になっていった。そうする方が、翌日に目を覚ました時に気分が爽快だった。これはとても重要だった。他のレーベルからのオファーを受ける必要はないと思えるようになった。

 

他のレーベルと契約するというのは、俺を含む多くのアーティストにとって近道になるかもしれない。だが、俺にとっては長く続けることが重要なんだ。

 

 

 

あなたは団体やチャリティに参加していますが、どんな活動をしているのでしょうか? デトロイトテクノのコミュニティはデトロイトという都市に具体的にどのような形で関わっているのでしょうか?

 

妻が立ち上げた団体があって、俺はそれを手伝っているんだ。Homeless Homiesという名前で、デトロイトのホームレスを助けることが目的だ。シンプルな活動から始まったんだ。食事をしたあと市内を車でドライブして、ホームレースの人を見つけたら、食事の残りを渡していたのさ。

 

実は、妻と出会う前、デトロイトのダウンタウンに住んでいた頃、俺はホームレスのグループに毎週末助けてもらっていたんだ。彼らの元を訪れて話しかけたり、金を恵んでくれと声を掛けられたりしている間に知り合いになっていったのさ。だが、彼らから金を恵んでくれと頼まれても、俺は金を渡す代わりに、何のために金が必要なのかを聞いて、それを買って渡していた。靴や服、カミソリなど、人間らしさを感じるためのものさ。彼らがドラッグや酒を買わないためにそうしていたんだ。

 

やがて、そのグループが俺を助けてくれるようになったんだ。The ShelterでDJの予定が入ると、俺の代わりにフライヤーを配ってくれたり、駐車場や通りに停めていた俺の車が車上荒らしに遭わないように見張ってくれたり、レコードを運んでくれたりしたのさ。

 

俺はできる限り多くの人の面倒を見るようにしていた。場所を問わず、見かけたら助けていた。なぜなら、デトロイトという都市は… 今は多少景気が良くなっているが、そうなるべきエリアでそうなっていない。俺たちの周りは上向きじゃない。俺たちがCass Corridorと呼んでいるデトロイト最悪のエリアのひとつを再開発してくれたことについては感謝している。俺はこのエリアにあった高校、Cass Technical High Schoolに通っていたし、今も毎日その前を通っている。

 

再開発されたそのエリアはデトロイトで最も有名なエリアになり、今はMidtownと呼ばれている。別にMidtownを非難するわけじゃない。だが、デトロイトの他のエリアを無視しているのは間違っていると思う。

 

911で警察に連絡を入れても、来るまでに長時間かかったり、最悪の時は来なかったりするのに、Midtownを作れるっていうのは意味が分からない。あらゆる通りの信号が故障していて、2軒に1軒は廃屋で、3軒に1軒は不法占拠になっている状況で、どうやったらそんなエリアを作れるんだ? 割れたグラスや注射針も至る所に散らばっている。インナーシティ(Inner City:経済・社会問題を抱えている都市部近接エリア)のそういう状況を無視して、Midtownを誇らしげに語るってのはおかしいだろ?

 

だから、妻がHomeless Homiesを立ち上げた時、俺たちは食事の残りを渡す以上の活動をしようと心に決めたんだ。それで、残り物ではなく、ちゃんとした食事を渡すようになった。また、洗面用具一式を渡すようになった。俺がギグのために宿泊したホテルからそういうものを集めて渡しているのさ。他にも寝袋やコート、帽子、手袋、ティッシュなどを渡している。ごく基本的なアイテムを配っているんだ。

 

また、デジタルダウンロードで得た収入は全てHomeless Homiesに回している。1セント単位でね。デトロイトのインナーシティのために活動している人は他にも沢山いる。Mike Banksのような活動をしている人がいるのさ。彼はTechno Museumなどを作っている。重要という言葉では語り尽くせないものを生み出しているんだ。

 

こういう活動をすることで、デトロイトに人が移ってくるようになる。また、以前住んでいた人が10年後、20年後に訪れて「俺はデトロイト出身だ」と胸を張って言えるようになる。そうなればクールだと思うよ。俺は人生の大半をデトロイトで過ごしてきた。公立学校に通い、バスに乗り、電車に乗りながら、30年以上デトロイトで暮らしてきたんだ。だから、俺は真の “デトロイター” だ。だが、正直に言って、デトロイトの状況はインナーシティに積極的に関わって住民に手を貸さない限り良くはならないだろうね。

 

 

Header Photo:© Marie Staggat