一月 14

追悼:David Bowie

唯一無二のミュージシャン、プロデューサー、作家、役者として活躍した異星人の死を悼む。

By Aaron Gonsher

 

David Bowieは自分の死を悟っていた。オフ・ブロードウェイで上演されたミュージカル『Lazarus』を手がけ、25枚目のスタジオアルバム『★』を2016年1月8日にリリースしたばかりでもあったが、病は彼の生命力を上回った。Bowieは自分の人生が終わりを迎えつつあることを公言していたわけではなかったが、実は我々の目の届く所に隠されていた。『★』は死の必然性に関する彼の考えが随所に見られ、「Lazarus」のミュージックビデオでは臨終を迎えた自身の姿が描かれていた。実に捕らえどころのないアーティストであるBowieは、死へのダークな心象をアルバムに収録された楽曲と歌詞に表していた。そして、肝臓がんによってBowieが旅だったことが公表されたのは自身の69歳の誕生日だった『★』のリリースから2日後の1月10日であり、世界はその精度に肯いた。David Bowieは自分の死を悟っていた。『★』は彼の碑文なのだ。

 

 

私がDavid Bowieの音楽を初めて聴いたのはいつだったのか、正確な時期は思い出せない。また、1972年にティーンエイジャーだった人ならできるのかも知れないが、私の場合は「Bowieが私の人生を変えた」という断言ができない。人生を “Bowie前” 、“Bowie後” に分ける明確な境界線を生むようなひとつの出会いがあったわけでもない。そうではなく、Bowieが私の中に永遠に存在することはずっと前から決まっていたという方が近い。世界は彼のものであり、そこに私は生きていた。そうなるのは時間の問題だった。

 

しかし、2004年に父が私を『Reality』ツアーへ連れて行ってくれた時のことははっきりと憶えている。Bowieが「Rebel Rebel」でコンサートをスタートさせると、会場の一番奥に座っていた私たちでも、最初のキックが打ち鳴らされると同時に大観衆がステージ前方へ詰め寄っていく様子が確認できた。そしてBowieはヒットソングを次から次へと演奏した。私には『Let’s Dance』の収録曲が『Ziggy Stardust』の名曲群よりも数多く演奏されたことがたいして気にならない程度の知識しか持ち合わせていなかったが、「I’m Afraid of Americans」の力強いピアノや、「Five Years」のほのかな揺れに興奮したこと、そして「Under Pressure」の脆弱なヴォーカルを憶えている。彼はこの曲で、コーラスと合わせるために1オクターブ下げて歌っていた。しかし、あのコンサートで最も鮮明に憶えているのは、自分がBowieを体験するには早過ぎたと感じていたことだ。そして、あのコンサートがBowieを生で見る唯一のチャンスになるとは思ってもいなかった。しかし、同年後半に心臓を患ってこのツアーの後半をキャンセルしたBowieは、これ以降、人前でのパフォーマンスは数えられるほどしか披露しなかった。

 

その後約10年に渡るBowieの冬眠は、彼のこれまでの軌跡を追うに十分な時間を私に与えることになった。私が興味を持ったのは、自らの意志では止められないかのように見える彼の自己破壊への欲求とそこからの復活劇だった。アルバム『Station To Station』を制作したことさえ憶えていないという彼の発言は、美しく退廃的に感じられた。彼は深淵を覗き込む欲望を抱えていたか、もしくはそこに背を向ける能力を持っていなかったのだろう。

 

 

このアルバムを制作した頃のBowieは、ベルリンでIggy Popと共同生活を営みながら、キャリア最盛期と言える音楽を生み出した。しかし、その音楽は魂を完全に潰してしまった人間が生み出したものだ。この頃のBowieについては、"たった10秒の音楽を生み出すのに何時間も費やした" 、または "薄暗いホテルの部屋に閉じこもり、黒魔術によって自分の魂を奪おうとする外部の力が存在すると吠えていた" などの様々な逸話が残っている。この時代の彼は見事な生産性を誇っていたが、同時にちょっとした悲劇では片付けられない状態だった。鬱状態になって駐車場を運転して自殺を試みたこともあるこの頃の彼は、ロマンティックでもグラマラスでもなかった。

 

David Bowieが1976年に『Station To Station』をリリースした後にこの世を去っていたらどうなっていただろうか? たとえそうなっていたとしても、我々は『Ziggy Stardust』、『Aladdin Sane』、『Young Americans』、『Diamond Dogs』、『Hunky Dory』、『Space Oddity』、『The Man who Sold The World』などが聴けていた。1967年から1975年までのBowieは素晴らしいほど幅広い領域をカバーしていたと言える。一方で、『 “Heroes” 』や『Low』を含むベルリン三部作は存在せず、Lou ReedやThe Stoogesをプロデュースすることもなく、『Lets’s Dance』や『Scary Monsters」、そして「Dancing In the Streets」や「Under Pressure」も誕生していない。

 

彼のその多種多様な “時代” と “キャラクター” により、それぞれの功績に対して異なった祈祷文が読み上げられるだろう。しかし、個人的なBowie体験は、ひと続きの系譜上に示せるような、シンプルな楽曲対リスナーの関係ではない。私にとってのBowieは、1973年の「Panic In Detroit」の明快な破綻や、1971年の「Life on Mars」で続くピアノと切なさ、服従と祝福のストーリーを紡いでいく「Five Years」のイントロのドラム、1977年の「 “Heroes” 」のクオーテーションマークに暗示された心の距離を凌駕する強い愛。更には、1997年の「I’m Afraid of Americans」で打ち出される、痺れるようなエレクトロニックと故意に逆をついた外人恐怖症の歌詞、1981年の「Cat People」の酩酊したイントロ、2013年の復帰作『The Next Day』に収録された物悲しいノスタルジアの「Where Are We Now?」などであり、枚挙にいとまがない。

 

 

D.A. Pennebakerの手がけたドキュメンタリー『Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』での「Moonage Daydream」のパフォーマンスを思い出す。Mick Ronsonの激しいギターとBowieのヴォーカルは、30年経った今でも、この映像の中の観客が感じている興奮と同じ興奮を私に与えてくれる。これこそがBowieのパワーだった。彼の音楽はいくつもの人生を生きながら、その姿とインパクトを変えながら時代を超えていく。そう、生みの親Bowieのように。

 

本人以外の作品の中でさえも、Bowieは魅力的だった。彼の声は亡霊のようなエコー、またはループサンプルのように力強く楽曲を支えた。思い出すのはPhilip Glassの「"Heroes" Symphony」のAphex Twinリミックスの中で急襲をしかけたり、陽動したりする彼の声で、その声は幻覚のような効果を生み出している。また、Arcade Fireの「Reflektor」でのゲスト参加もある。彼の声はバックグラウンドレベルでも、聴き逃しようがない存在感を放っている。

 

Bowieの音楽を聴くと、Bowieの人生が謎と答えを少しずつ提示しながら、自分の目の前で瞬いているように感じられる。私はいつも「Space Oddity」の後半の歌詞の中のやりとりに魅了されていた。トム少佐が地球の管制室に向けて「Tell my wife I love her very much(妻に愛していると伝えてくれ」と伝え、「She knows(妻はそれを知っているけれど)」と叫ぶ。「She knows」部分でのメリスマは、様々な感情を喚起させる。切ない信頼と喪失、絶望と恐怖。ほんの数音節に人間らしさが存分に感じられるのだ。

 

 

Bowieの歌詞は遠回しで曖昧なため様々な解釈が可能だが、同時に普遍的な感情を表現している。また、彼の音楽も歌詞同様にとらえどころがないが、こちらもテンプレートとして起用されたジャンル(例えばスタンダードなロックンロール、ジャズ、ドラムンベースなど)の要素を露骨に用いている。彼は独自のイメージで様々なジャンルをリメイクするために、婉曲したアプローチを用いていた。Bowieは「モノクロの世界に存在するグレーに光を当てていた」と表現することも可能だが、本人にとっては、「赤と紫を足して赤紫にしていた」に近かった。彼のキャリアはある意味、ひと言で片付けられることを拒否する得体の知れないものだった。

 

Bowieはすべての層に好まれる存在だった。よって、私は彼のどの部分をどのように悼むべきかが記された追悼文に同調するつもりはない。彼は数十年に渡りミュージシャン、作家、画家、プロデューサー、役者として活動した「生けるハイフン」だったのだ。人によってBowieの好きな曲、好きな時代、好きなアルバムは異なる。たったひとつの追悼記事でこのような多岐に渡る活動を要約しようと考えるのは無駄だ。彼の人生で定量化できる部分は、今も衰えない彼の音楽の影響力の前では色褪せてしまう。そのような部分が「Space Oddity」、そして次に紹介する「Lazarus」の歌詞の最後を聴いた時よりも彼を理解する助けになるとは思えない。

 

Look up here, I’m in heaven

I’ve got scars that can’t be seen

I’ve got drama, can’t be stolen

Everybody knows me now

 

Oh, I’ll be free.

Just like that bluebird

I’ll be free

Ain’t that just like me.

 

見上げてごらん、私は天国にいる

私には見えない傷がある

奪い去れない物語がある

そして今、誰もが私を知っている

ああ、私は自由になれるんだ

 

あの青い鳥のように

私は自由になれる

実に私らしいじゃないか


 

Bowieはバイオグラフィーの外側に生きていた。神話の世界そのものに生きていた。彼は “地球に落ちてきた男” だったが、私は彼がどこから来たのかについては興味がない。私にとって大事なのは、彼がこの世界に生きていたということだけだ。