十月 07

Daisuke Tanabe:アーティスト/日本

RBMA卒業生が、ニューアルバムと日本でのアーティスト活動における苦悩などについて語った。

By Laurent Fintoni

 

Daisuke Tanabeは10年以上音楽制作を続けているが、自分をフルタイムのアーティストだと考えるようになったのはここ数年の話だと言う。「自分は半々だと思っていました。アーティストになるのがどういうことなのか分かっていませんでしたし」、生活のための仕事か、仕事のための生活かという世界共通の悩み。「いつの日か音楽で築き上げてきたものをすべて失い… ダメになってしまうのではという恐怖がありましたね」

 

 

Tanabeは兵庫県に生まれた後、日本国内を転々とし、最終的に千葉県に落ち着いた。今も都内から40分程の距離にある同県柏市に住んでいる。農地と工業地がパッチワークのように延々と並べられた平坦なベッドタウンだ。Tanabeの柔和な性格が窺えるようなこの静かな街で彼は音楽制作に励んでいる。また、彼をエレクトロニック・ミュージックに引き合わせたのもこの街だった。「15歳の時に音楽好きの学校の友人がAphex Twinを教えてくれました。最初に聴いた時は理解できませんでしたね。混沌としているそのサウンドに衝撃を受けました。Aphex Twinには大きな影響を受けました」

 

Tanabeは卒業後にグラフィックデザイナーの職に就くと、これが自分にとっての仕事であり、他の日本人の多くと同様、「音楽は副業/趣味」と考えていたが、00年代の数年間、英語を学びにロンドンへ留学した際にすべてが変わった。友人にスクワットパーティーへ連れて行かれ、アンダーグラウンドシーンと出会ったTanabeはそこから大きな影響を受け、彼の音楽制作にも変化が現れるようになったが、音楽ファンからアーティストへステップアップするにはもうひとつ別のショックが必要だった。

 

その頃、別の友人がTanabeにTony Nwachukwuがオーガナイズし、イーストロンドンのPlastic Peopleで毎週開催されていたパーティーCDRを紹介した。CDRは自分たちで制作した曲を持ち込み、それをTonyがクラブのサウンドシステムでプレイするというスタイルで、クリエイティブな人たちに対するサポート環境を提供するというパーティーだった。「Tonyからフィードバックをもらえたのはカルチャーショックでしたね。それまでは自分の音楽を誰にも聴かせたことが無かったので、フィードバックをもらったことがありませんでした」

 

 

CDRでの体験は、今まで意識していなかった音楽制作の別の一面を気付かせることになった。「CDRに通い始めてから、オーディエンスのことを考えるようになりました。それまでは考えていなかったんです。オーディエンスが気にいるかどうか、ダンスしてくれるかどうかを意識するようになりました。自分の音楽を他人がどう受け取るのかは考えたことがありませんでした」

 

その後、Tanabeはロンドン時代に小規模のインディーレーベルから作品をリリースするようになり、その過程で繊細なメロディー、ソリッドなベース、奇妙なサンプル、そしてダンスミュージックとヒップホップを組み合わせたIDMの影響が色濃い複雑なリズムという、彼のスタイルが構築されていった。しかし、特筆すべきは高域の扱い方だ。一聴すると軋むような痛々しいサウンドだが、徐々に中高域のカコフォニーから美しい情景が浮かび上がってくる。ロンドン時代に低域の重要性を学んだTanabeだが、元々は高域に強いこだわりを持っている。「力強いサウンドは、最初に聴いた時に楽しい、悲しいといった感情を伝えてくれます。僕は常にサウンドが生み出す感情について考えています。サウンドの中に感情を見出し、それを人に与えたいんです」

 

 

2010年、Tanabeはデビューアルバム『Before I Forget』をリリースした。このアルバムは、 微妙なバランスのヒップホップグルーヴ、グリッチーなテクスチャ、ダビーなエナジーというTanabeの美学の土台を固めることになったが、同時に時代性も持ち合わせており、彼を00年代のビートシーンの一員に組み込んでいる。そして、これらの特徴は、UKのプロデューサーGerard Roberts(Kidkanevil)との共作によって更に強固なものとなった。2010 Red Bull Music Academyで出会った2人は、2012年にお互いの個性を組み合わせ、よりダンスミュージックにシフトしたアルバム『Kidsuke』をリリースした。

 

Tanabeは『Kidsuke』制作中に、自身のセカンドアルバム『Floating Underwater』の制作をスタートさせた。今年9月、長年Tanabeの音楽をサポートしているKi Recordsからリリースされたこのアルバムの制作は、特に方向性を決めることなく2年間に渡って続けられてきたが、最後になってその方向性を決めるきっかけに恵まれた。「『Paper Planes』を作った時に、過去に作ったことがあるような曲だなと思えたので、この曲をスタート地点にしました」

 

スケッチが好きなんですよね。リラックスできますし、オーディエンスを考えなくて良いですから

そして過去の作品よりもリズムとメロディーを更に細かく複雑にすることにフォーカスすることで、アルバム制作が急速にまとまりを見せ始めていくと、Tanabeはこの方向性を更に推し進めたいという理由から、同じく千葉県に住む友人Yosi Horikawaにマスタリングを依頼した。Tanabeが言うところの「日本の音」を見つけるのにHorikawaの起用は非常に大きかったと本人は説明する。「僕たちのシーンでは、欧米のようにコンプレッサーを強めにかけて、ベースを前に押し出すマスタリングになりがちですが、Yosiさんが自分でマスタリングした彼のアルバムを聴いた時に、凄く柔らかいサウンドだと感じたんです。それで僕もこのサウンドが欲しいと思いました」そしてこのアルバムはTanabe本人が描いたアートワークと共に完成した。その「矢で射抜かれている馬」のアートワークは Tanabeが数年前に適当に描いたものだ。「スケッチが好きなんですよね。リラックスできますし、オーディエンスを考えなくて良いですから」

 

日本人アーティストと長年インタビューを行ってきた中で繰り返し話されてきたテーマが、 個人主義が重んじられず、長時間労働が常識とみなされる日本という国でクリエイティブなライフスタイルを選択する難しさだ。「今でも日本でアーティストになるのは良いアイディアだとは思いませんね」冗談交じりにTanabeは言う。「上の世代は僕たちの音楽やカルチャーを理解する必要性をあまり感じていませんし、音楽をアートだとも思っていません。一方で若い世代はアーティストが良い生活を送っていると考えていて、現実を誤解しています」Tanabeは、国内である程度のライブ経験を持っているものの、正式なツアーを組んだことはない。一方で、ここ3年間でヨーロッパ、東南アジア、オーストラリアを回っている。

 

 

日本のアーティストたちは、インターネットの登場によって自国で直面する様々な制約から解き放たれ、欧米のオーディエンスたちと繋がれるようになったが、クリエイティビティという面では日本と欧米の間には格差が残っている。それはこの国で時間を過ごしてみれば簡単に理解できるものだ。今年東京で開催されるRed Bull Music Academyが、モダンなアートの価値について語り合えるような場を提供することになると思うか訊ねてみると、Tanabeは最近の大阪在住アーティストSeihoの成功や、時代遅れの風営法によってクラブが営業停止に追い込まれ、全国のナイトライフの沈静化が行われたことに関してクラブシーンで活発な議論が行われつつあることなどに触れながら次のように回答した。「音楽の聴き方を変える手助けになれば良いなと思っています」

 

Daisuke Tanabeは10月18日に恵比寿Liquidroomで開催される『RBMA presents EMAF』に出演する。