四月 22

「Contemporary modern music」が捉える射程

阿木譲氏が「0g night “DO BLOOM IN THE SILENCE”」で提起したコンセプトをひも解く。

2014年4月20日、アートナイトで盛り上がる六本木を舞台に、トークとライブ/DJの二部構成のイベント『0g night "DO BLOOM IN THE SILENCE”』が行われた。トークでは、音楽批評家の阿木譲、デザイナーの秋山伸、『アイデア』編集長の室賀清徳、学芸員の梅津元らが登場。阿木氏が80年代に深くコミットしたパンク~ニューウェーブシーンのキーパーソンを記録した貴重なプライベートフィルムを上映しながらの進行となった。

阿木氏の提起する『Contemporary modern music』というコンセプト;すなわち、「70年代音楽から先端音楽まで、現代音楽からロック、クラブミュージック、エレクトロニックなどなど、すべての音楽をもういちどアートとしてとらえる」という試みの射程が浮かび上がる、非常に興味深いイベントとなった。


今回のトークのために、阿木氏の手元に残る膨大な資料から秋山氏がざっくりと編集したというビデオには、Klaus & Thomas Dinger、This Heat、 DAF、Genesis P-Orridgeなどなど、今や歴史の1ページとなった錚々たるミュージシャンたちが次々に登場する。
DAFのライブ映像では、いかついパンクスたちがエレクトロニック・サウンドで踊るという、当時のドイツならではの光景が映し出された。パンクスたちに混ざってフロアで踊りまくる若き日の阿木氏の姿も記録されており、思わず会場の笑いを誘う。インダストリアル、ジャーマン・ニューウェーブなど、後に続く豊穣な音楽のルーツとなったパンク・ムーブメントの雰囲気をリアルに伝えるドキュメントに、会場の興味も一気に引きつけられる。


阿木氏は、当時のドイツとイギリスのミュージシャンの大きな違いとして、イギリスのミュージシャン達の苦悩の深さを指摘する。70年代後半〜80年代の当時にして既にイギリスにはBeatlesやQueenといった偉大な先達が屹立しており、そうした歴史へのコンプレックスは我々の想像以上に深く、そこから逃れようとするが故の諧謔精神がイギリスのミュージシャンにはあったのではないかというのだ。一方、ドイツのミュージシャンはそうしたしがらみとは無縁であったため、イギリスに比べて自由奔放な表現が目立つ。実際、記録されたインタビュー映像を観ていても、ドイツのミュージシャンたちは皆一様に表情が非常に明るく、生き生きしているようだった。DAFの場合も、ストレートにロックやロカビリーに対する憧憬を示しつつ、メンバーにクラシックの素養があった事も作用して、非常にユニークな進化を遂げており、今聴いても面白い発見がある。

また、この当時のドイツの先鋭的な音楽は、本国ではまるで評価されず、外国からの評価によって逆輸入されるといったケースがほとんどであったという点も興味深い。こうした状況は、且つての日本のノイズ、アヴァンギャルドの受容にも非常に似た図式であると阿木氏は語った。

他にも、サンプリングとカットアップによる手法で、今のクラブミュージックの先駆けのようなサウンドを展開したDavid Cunningham、非常に知的で言語化への意志が高く、阿木氏からの質問にも丁寧に答えてくれたというDavid Toop、未だに阿木氏をして「訳の分からない、理解の及ばない存在」であると言わしめるGenesis P-Orridge、果てはThis Heatのメンバーの貴重なプライベート映像に至るまで、非常に興味深い映像が続いた。

ライブ映像の記録に顕著だったのが、ステージと客席の距離感の近さである。Palais Schaumburgのライブ映像では、客席から演奏に対するヤジや空き缶などが容赦なく飛びかい、演奏が一時中断するなど、非常に緊張感溢れる様子が記録されていた。しかしバンド側も慣れたもので、平然と演奏を再開させており、当時のタフなシーンが垣間見える印象的な映像となっていた。


当時のロックミュージシャンたちは、音楽以前に、文学的・観念的なものへの志向が非常に強かったと阿木氏は語る。そうした中、阿木氏がみずから渡欧して行った一連の取材で解き明かそうとしたのは、『欧州のミュージシャンが宗教性をどのように捉えているか』という事だった。ロックやパンクが生まれる背景の物語として、キリスト教からの影響が如何に大きいかという事が、当時流行したポストモダン思想のガイドラインもあり、取材を通して理解出来るようになったのだという。Genesis P-Orridgeが阿木氏にとって「訳の分からない存在」であったことも、キリスト教的世界観が我々にとって未だ完全なる他者であるが故なのだ。

音そのものの背後にある『物語を語る』という行為は、音楽に対して言葉が担う大きな機能の一つであろう。それはいわば、音楽のもつ世界観を強化するためのファンタジーをリスナーへと提供する行為である。『音そのもの』の背後にある思想や文学性がある種の”謎”として作用することで、隠された部分が呪術的とも言えるオーラをまとう。こうした物語の創造は、時に音楽そのものへの正当な評価を曇らせる悪行ともなり得る諸刃の刃だ。音楽ではなく『物語の消費』にいとも容易く堕してしまうという点については、佐村河内氏の一連の騒動が記憶に新しい所である。こうしたリスクも含め、音楽を語る物語を引き受けていくということ。『ロックマガジン』に続いて阿木氏が刊行した『ego』においては、こうした観念的なロックへの落とし前をつけようとしたと阿木氏は語った。

また、トークの最中、念を押すように阿木氏が何度も口にしたのが、「この上映は懐古目的で行うものではない」ということであった。そもそも阿木氏は過去の映像を持ち出す事自体が好きではないという。それでもなお、今回の機会を設けたのは、2014年現在の最先端のクラブミュージックにおいて盛り上がりをみせているサウンドが、70・80年代のパンク〜ニューウェーブへ接続可能な様相へと進化をみせているからに他ならない。つまり、今・現在においてアクチュアルに『使える』映像であると阿木氏が判断したからこそ、これらの貴重な映像は日の目を見る事になったのだ。常に現在進行形でありたいという阿木氏の言葉は、最新のクラブミュージックを常にディグし、紹介している彼のブログを訪れたことのある人ならば大いに納得しうるものだろう。

現在の先端音楽から音楽史を俯瞰するというこうした試みこそが、まさに阿木氏の提起する『Contemporary modern music』が捉える射程である。

阿木氏の”言葉”による力は、ある音楽的価値が時代を超えて連鎖していく、その背景にある何ものかを物語る。音楽の背後の『物語』は言葉によって切り分けられ、価値を与えられ、時代を超えて回帰する。阿木譲の審美眼で見いだされ、彼の言葉によって紡がれた物語は、既に歴史化された80年代のサウンドを、今現在にまで一足飛びに接続する事を可能にしている。そして、言語化、物語化による価値の切り分けという『悪行』に転化しうるリスクを引き受ける姿勢があるからこそ、彼の提示する価値には強度が生まれているのではないだろうか。

広い射程で音楽を捉え、常に現在進行形であり続けようとする阿木氏のDNAは、トークに引き続いて行われた第二部のライブアクトに抜擢されたミュージシャンたちにも確実に受け継がれていた。以下、阿木氏の言葉も引用しながら、ざっと6名のアクトを紹介しよう。

・∠yuLLiPPe(大阪)
キュートなルックスに似合わぬダークで硬派なサウンドを展開する女性ミュージシャン。ウイッチハウス、インダストリアル、ダブステップなど様々な要素を感じさせつつ自身の歌を武器に出来るスタイルは、日本的(東京的?)ないわゆる『カワイイ』という女性ミュージシャンに対する画一的な価値観に一石を投じるポテンシャルを示した。

 



・Yui ONODERA(東京)
昨年の大阪ツアーでnu thingsへ出演したという縁もあり、今回の抜擢となった実力派。繊細なドローン、アンビエントが魅力だが、今回は珍しくビートを加えたダビーなセットを披露。クラブミュージックも好きだという彼のサウンドの懐の広さを感じさせる内容となった。

 



・Akihiko MATSUMOTO(東京)
ギターを抱えてプレイするルックスそのままに、現代音楽のアカデミックさを持ちながら、ロック的な荒々しさが同居するスタイルは、エモーショナルなリチャード・ディヴァインというイメージ。グリッチ以後のクラブ系のサウンドへもっと接近してほしいという阿木氏の願いもあり、出演をオファーしたという。

 



・ARMS(大阪)
インダストリアルな記号を使いながら進化を見せているアーティスト。間を贅沢に用いてデザインされた低音がとにかく強力。時には四つ打ちも交えながら、 メリハリの効いたセットを聴かせてくれた。

 


・Isolate Line(大阪)
グリッチ以後のラップトップ・ミュージックを展開し、大阪では名が知れ渡った存在として阿木氏が推薦。しばしばアカデミックな文脈に回収されてしまいがちなグリッチ、エレクトロニカサウンドながら、そうした枠組みを逸脱するアグレッシブなパフォーマンスで観客を魅了。クラブ・ミュージックとしての有用性を示した。




・MADEGG(大阪)
Sonar Sound Tokyoへの出演など、若くして既に全国区の知名度と実力を誇るビートメーカー。Ovalなど、00年代のエレクトロニカの質感とビート系のサウンドを高い水準で融合するそのスタイルは、Seiho氏にも負けずとも劣らない洗練された実力がある、と阿木氏は語る。

 



今回出演した大阪勢は、阿木氏が運営するスペース”nu things”周辺で育ってきたミュージシャンたちである。いずれも特定のジャンルに収まりきらないポテンシャルを感じさせるものであり、ジャンル毎のセグメントが著しい東京のシーンの中にあって、多様性のあるこれらのパフォーマンスは大変刺激的なものとなった。Seihoをはじめ優れたミュージシャンを多数排出している大阪〜関西のシーンのポテンシャルを感じるのに十分な実力を魅せてくれた。

上記の6名による魅力的なライブセットに加え、第二部のハイライトとなったのは、阿木氏による1時間以上におよぶDJ(ブリコラージュ)セットである。ドラムンベース、ノイズ、インダストリアル、トラップと、幅広い選曲でフロアを大いに盛り上げた。比較的落ち着いた雰囲気で進行した本イベントだったが、阿木氏の熱気に惹きつけられるようにフロアが人で溢れたのが印象的であった。

 


阿木氏が若手をフックアップする時の一つの基準として重用視しているのが『ミュージシャンのルックス』だというが、ステージでプレイする阿木氏の姿は、まさにその言葉を体現するかのような色気と風格に満ちており、非常にカッコいい存在であった。こうした理屈抜きのカッコよさこそ、阿木氏の存在をアクチュアルなものにしている証左であり、批評家として、また表現者として、多くの『物語』を引き受けてきた重みに他ならない。