八月 02

Collaborative Instruments

2人以上の演奏者のためにデザインされた画期的な楽器の歴史を紐解いていく。

By Harley Brown

 

挑戦的なエレクトロニック・ミュージシャンたちのグループが1970年代後半のサンフランシスコで人間とコンピューター・ネットワークを組み合わせた即興演奏をした瞬間、彼らはそれまでのコンピューター・ミュージックの固定概念を打ち破った。

 

そのグループLeague of Automatic Human Composersのメンバーで、The Hubのメンバーとしても知られるTim Perkisはその試みについて次のように記していた。

 

「人間の演奏者の不完全性を排除しようとしているのではありません。世の中に存在する電子機器を使用して音楽制作のソーシャルな部分を拡大しようとしているのです」

 

このようなコラボレーション精神は、文化的・世代的な違いを飛び越え、人間のエゴを融解させる。楽器に持ち込まれた時は特にその傾向が強くなる。演奏者たちが各自の演奏パートの合算以上の音楽を生していく東アフリカのログシロフォン、南米アパラチア山脈のカップルが夫婦になる前に愛を誓い合うコーティング・ダルシマーなどの楽器は、複数の演奏者が同時にそれぞれの枠を広げ、自分自身を超越することを求める。

 

このような楽器の中には、音楽制作の現場で愛されてきたものというよりは、ただの珍しいガジェット、またはクリエイティブな発明品に近いものもあるが、全てが非常にユニークなアイディアを備えていることに変わりはない。

 

今回は人類の長い歴史の中で産み落とされてきた、複数の演奏者を想定している楽器を年代順にいくつか紹介していく。

 

 

 

ログシロフォン / アマディンダ(紀元300年~1400年)

 

「自分が聴いたリズムが想像の世界のものではなく本当に存在するということをここに強調しておかなければならないだろう。アフリカの楽器は聞いていたイメージと実際の演奏のイメージが異なることがままある」

 

1962年、ログシロフォン(Log Xylophones)のユニークな奏法について民族音楽学者のGerhard Kubikはこう記している。

 

現在は音楽の知覚に関する研究が進んでおり、当然の分野になっているが、Kubikがアフリカ音楽の研究を始めた1950年代後半は、中央アフリカと東アフリカの音楽の特徴のひとつ、インターロッキング(Interlocking:複数のリズムの組み合わせにより、複数のリズムパターンが生まれる現象 / 手法)によって様々な聴こえ方がすることについてはまだあまり知られていなかった。

 

アマディンダ(Amadinda)、そしてその従兄弟的楽器のアカディンダ(Akadinda)は、ウガンダのブガンダ王国の中央に位置しており、王宮内でのみ演奏される楽器だった。1966年にブガンダ王国が終わると、この楽器とその伝統は世界へと広まっていった。

 

この楽器は、それぞれ異なるマレット奏者を必要とする、「オクナガ(導入)」、「オクワウラ(分割)」、「オクコーネラ(打擲)」という名称が付けられた3セクションに分かれている。また、セクションごとに異なるシーケンスが用意されており、それぞれが三つ編みのように絡み合って演奏されることで、リスナーは実際の楽譜には書かれていない反復的なフレーズを聴いているかのような感覚を得る。目の錯覚と同じで、耳の錯覚が起きるのだ。

 

 

 

 

オルガニストロム(10世紀後半~11世紀前半)

 

オルガニストロムはハーディ・ガーディの前身だ。ハーディ・ガーディは、クランクを回しながら演奏する奇妙な弦楽器で、日本のエクスペリメンタル・ミュージックのアイコン灰野敬二やDeep PurpleのRitchie Blackmoreが好んで起用していることで知られている。オルガニストロムは2人用ハーディ・ガーディで、ひとりがクランクで皮が張られたホイールを回してバイオリンの弓のように弦を鳴らし、もうひとりがタンジェントと呼ばれる小さな木製の楔を弦に押しつけてピッチを変える。

 

ハープシコードとチェロの中間のようなオルガニストロムのサウンドは、レオナルド・ダ・ヴィンチが15世紀にアイディアをスケッチした “ヴィオラ・オルガニスタ(Viola Organista)” のサウンドにも通じるところがある。オルガニストロム(Organistrum)という名称は、インストゥルメンタム(Instrumentum)とオルガヌム(Organum)を合わせた造語だ。後者は中世ヨーロッパに誕生した、ひとりが旋律、残りがその旋律の完全4度と完全5度を歌う合唱技法を意味している。

 

紀元880年に音楽学者、作曲家、ベネディクト修道僧だったフクバルトによって発見・理論化されたこの技法はやがてポリフォニーへと発展し、西洋音楽理論の中核を担うようになった。

 

 

 

転調鳴鐘(17世紀前半)

 

教会の鐘を計算されたタイミングで鳴らす奏法、転調鳴鐘は何世紀前から存在しており、世界を代表する教会の鐘の多くとほぼ同じ長さの歴史を持つ。100ポンド~3600ポンド(約450kg~約1630kg)まで幅広い大きさが存在する巨大な銅製の鐘は耐久性が非常に高いのだ。そしてそれゆえに、多くの製造業者が倒産に追い込まれている。

 

1570年から2017年まで続いたロンドンの鐘製造業者Whitechapel Bell Foundryの最後のオーナーだったAlan Hughesは「1583年にうちで鋳造した鐘を2個、ウェストミンスター寺院に納品したんだが、今もほぼ毎日のように鳴らされているし、何も問題はない。だから困るんだよ」と発言していた。

 

鐘製造業者のビジネスチャンスは減っているが、転調鳴鐘の演奏グループは世界各地に存在しており、今も積極的に新メンバーを加えている(10歳~12歳のメンバーもいる)。

 

転調鳴鐘はフィジカルの要求度が高い演奏ではないが、どの鐘をどのタイミングで鳴らすのかという順番は非常に複雑で、演奏者間の優秀なコミュニケーションとシンクロニシティが必要になる。転調鳴鐘を指す英語、“Change Ringing” の “Change” は “順番” と同義であり、この奏法に同じ順番は存在しない。つまり、どの鐘も2周目は必ず異なる順番で演奏されるのだ。

 

スペース的にも人数的にも余裕がないことから、鐘楼内に楽譜が用意されないため、演奏者は “メソッド” と呼ばれる演奏順と演奏パターンを記憶する必要があるが、メソッドには “Plain Bob Royal”、“Plain Bob Cinques” 、“I Can’t Believe It’s Not Plain Bob Treble Place Minor” など、シュールでユニークな名前が付けられている。転調鳴鐘奏者たちはユーモアセンスに欠けるというのはどうやら誤解のようだ。

 

 

 

 

オクトバス(1850年)

 

この巨大なヴィオラは、コントラバスの約2倍の大きさで、ピッチも非常に低く、一番下のCは人間の聴覚範囲外だ。直立させると12フィート(約3.7m)にもなるこの巨大な楽器の最初の1台は、1850年にフランスの弦楽器職人Jean-Baptiste Vuillaumeによって製作された。1人でも指板の最上部の演奏ができるようにレバーとフットペダルを追加されているため、この楽器は2人ではなくて、1人でも演奏可能だ。尚、2人で演奏する場合は、片方が弓を、片方がピッチを担当する。

 

作曲家のHector Berliozは、オクトバスが世界的に広まると予想し、その予想は見事に外れたのだが、Mahler、Wagner、Brahms、Tchaikovskyが交響曲の楽器として採用したので、そこまで悪い発明ではなかったと言えるだろう。

 

このような巨大な楽器関連の記事は数世紀前から存在する。ドイツの新聞紙『Die Gertenlaube』は、1615年のオランダのコンサートで風車の力を借りて演奏された巨大なコントラバスに関する記事を1872年に掲載している。また、世界最大を喧伝する楽器は19世紀末に米国で複数製作されており、Chicago Opera Companyが1905年にドイツの楽器職人Otto Rothに全長13フィート(約4m)の機械演奏式コントラバスの製作を依頼した他、1889年に開催されたCincinnati Music Festivalにも15フィート(約4.6m)のコントラバスが展示されたが、こちらは大き過ぎるという理由からまともに扱ってもらえなかった。

 

 

 

 

コーティング・ダルシマー(1800年代中頃)

 

最近の恋愛をけしからんと感じているなら、1800年代中頃から後半にかけて南米の奥地で一般的だったデートについて知っておくべきだろう。

 

当時、この地域で女性に恋をしている男性は、デート時にコーディング・ダルシマー(Courting Dulcimer)を携行する必要があった。この楽器がなければ、女性側の家族から2人きりになることを許されなかったのだ。コーティング・ダルシマーは2人用のダルシマー(Courtは "交際する" という意味)、それぞれが両手を使って演奏する必要がある。つまり、演奏が聴こえている間は、「2人が行儀良くしている」を意味していた。そして、全てが問題なく進んで結婚となれば、結婚式当日には、その2人が使用していたコーティング・ダルシマーで2人が奏でていた楽曲が演奏された。

 

100年ほど、音楽学者たちはこの楽器を過去の遺物として扱うのではなく、本格的な楽器として正当に扱うべきだと訴えてきた。しかし、20世紀にある新たな興味がある程度生まれていたが、結局、この楽器が正当に扱われることはなかった。ダルシマーの大ファンだったCharles Seager(Pete Seagerの父)でさえも、1958年に発行された季刊『Journal of American Folk Music』の中で、「コーティング・ダルシマーのこの微妙な人気が、今後の音楽にどのような影響を与えるのかについては何とも言えないところだ」と記していた。

 

しかし、近年米国の一部でこの楽器が老若カップルに積極的に使用されていることを知れば、満足するかもしれない。

 

 

 

 

テルプシトン(1932年)

 

Léon Thereminの代表作テルミンと同じ技術が使用されているテルプシトン(Terpsitone)は、1932年にプリマバレリーナだった妻、Lavinia Williamsのために開発された。ギリシャ神話の舞踏の神、テルプシコラー(Terpsichore)にちなんで名付けられたこの非常に奇妙な演奏装置の中心を担っているのは金属プレートで、この金属プレートの上で複数のダンサーが踊ると、コントロールが難しい不気味なサウンドが鳴るようになっている。また、この演奏装置にはカラフルな照明セットも接続されており、ダンサーの動きに合わせて鳴るサウンドに反応して点灯・消灯する。

 

Léon Thereminがモスクワで親戚と友人にテルプシトン(彼のはとこでテルミン奏者のLydia Kavinaが現存する唯一のオリジナルを所有している)の演奏方法を教えていたが、ニューヨークにいたJohn Cageは、Thereminが生み出した楽器群に不満を感じていた。Cageは1937年の『The Future of Music: Credo』の中で「Theremin奏者たちは、この楽器を新しい可能性を秘めた存在に押し上げるべく全力を尽くしていたが、そのサウンドは昔からある楽器のようだった。彼らは胸くそが悪くなるような甘ったるいヴィブラートを加えるのに苦労しながら、過去の名曲を演奏していた」と記している。

 

しかし、1965年を迎える頃には、Cageと彼の長年の共同制作者でコリオグラファーでもあったMerce Cunninghamは共にテルミン奏者となっており、テルプシトンのシステムを『Variations V』で使用した。世界最初のマルチメディア作品のひとつとも言えるこの映像の中で、パフォーマーはステージ上のモーションセンサーと照明を組み合わせながら、オーディオをトリガーしていた。

 

最終的にCageはテルミンの新しい可能性を見出すことができたわけだが、この作品に関してはさすがにリスナーには “先を行き過ぎていた” ようで、彼らは音楽と動作の関連性を理解していなかった。

 

 

 

TONTO(1970年)

 

1971年に製作されたThe Original New Timbral Orchestra(TONTO)のドキュメンタリー映像の中で、Malcolm Cecilは、自分とプロデューサーRobert Margouleffが生み出した、このARP、Moog、EMS、OberheimRoland、Yamahaなどのモジュールをフランケンシュタイン的に組み合わせたモジュラーシステムで、鳥の鳴き声や波の音を再現している。TONTOは、世界初・世界最大のマルチティンバーポリフォニックアナログシンセだった。Cecilは映像内で「通常、これらの機材は並んで演奏されるのを好まない。お互い口をきかないんだ。TONTOはそれを解決するためのシステムだ」と説明している。

 

時を同じくして、Stevie WonderはTonto’s Expanding Head Bandのデビューアルバム『Zero Time』を聴いていた。Motownとの契約内容を更改してプロデュース権を得たばかりだった彼は、このアルバムの色鮮やかなテクスチャ、サイケデリックなメロディ、そしておそらくは「Jetsex」のような怪しいトラック名に惹かれ、CecilとMargouleffのスタジオを訪れた。そして、CecilとMargouleffは、ジャジー過ぎるという理由からStevieからアップライトベースを取り上げ、代わりにTONTOの低音を試すように促した。これが、『Innervisions』や『Music of My Mind』のような1970年代のStevieの名盤群を生み出すことになった。

 

 

TONTOのフューチャリスティックなシンセファンクは、Gil Scott-Heron & Brian Jackson、Joan Baez、Quincy Jones、Bobby Womack、The Isley Brothersなどのアルバムで聴くことができる。また、このミュージシャンたちから愛された巨大なアナログシンセは、ブライアン・デ・パルマ監督の1974年作品『ファントム・オブ・パラダイス』にカメオ出演している他、最近もギレルモ・デル・トロ監督が担当した『ザ・シンプソンズ』シーズン26の「Treehouse of Horror」のオープニングシーケンスにもフィーチャーされている。

 

しかし、Cecilはこのシンセサイザー最良の時はまだこれからだと考えている。カナダ・カルガリーのNational Music Centre(現保管先)に移管された直後に、Cecilは「今から45年前に作られたこのシステムは、時代を45年先取っていた。つまり、TONTOの時代はこれからなのさ」とコメントしていた。

 

 

 

 

League of Automatic Music Composers(1970年代後半~1990年代)

 

このミルズ大学関係者たちで構成されているDIYエクスペリメンタリストグループは、 The Hubのメンバーと組んでコンピューター・ネットワーク・ミュージックを生み出した。コミュニティ内の “長老” 的存在だったJim Hortonは、これを試みた最初のひとりで、1976年に発売された最初期のマイクロコンピューターKIM-1を購入したあと、そのシリコンのニューロンを音楽の作曲に活かそうとした(これは当時人気を誇っていたコンピューター雑誌『Byte Magazine』の使用方法のアイディアとは異なっていた。彼らは読者に「KIMと親密な関係になろう」と呼びかけていた)。

 

1977年、コンピューター・ミュージックの風雲児John BischoffとマルチメディアアーティストPaul Kalbachを含む、2人~4人の作曲家によってランダムに構成されていたLeague of Automatic Music Composersは、お互いのKIM-1をインタラクトさせてライブパフォーマンスを行っていた。メンバーがそれぞれアルゴリズムのコーディングを学んでいくに連れ、それぞれが用意したコンピュータープログラムは、楽曲をリアルタイムで修正しながら、他のメンバーが持ち込んだ楽曲に合わせる作曲を行うようになった。

 

この作曲プロセスは非常に複雑で厄介だったが、それでも、1985年に発行された『Composers and the Computer』の中でGeorge Lewisは「即興演奏をするミュージシャンたちが集まったようなサウンドを出していた」と表現している。

 

トロンボーン奏者、奨学生、そしてAdvancement of Creative Musiciansの創設メンバーだったLewisは、人工音楽知能が生身の演奏者から仕事を奪うのではないかという危惧に対して今も異議を唱えている。

 

Lewisは『The Oxford Handbook of Algorithmic Music』の中で「機械による即興演奏が人間のアイデンティティを揺るがしていますが、機械による即興演奏は、音楽体験のシミュレーションではなく、音楽制作そのものです。人工生命が非人工生命を生み出す行為なのです」と記している。

 

 

 

グローバル・ストリング(1999年~2000年)

 

「モデムさえ持っていれば、会場にいる人と同じコンサート体験ができるようになる日が来るのだろう」 - 1987年に『The Village Voice』のKyle Gannはこう記している。これは、コンピューター・ネットワークをベースにした即興演奏のセクステット、The Hubが、モデムで繋がったニューヨークの2地点で同時演奏を試みたコンサートのレビューの一部だ。作曲家たちが指揮を執る様子を、他の場所からダイヤル式電話経由で視聴してレビューが書ける日が来るに違いないというGannの予想は結局外れたが、大外れでもなかった。現在、我々はライブストリーミングでコンサートを体験することができる。また、ライブストリーミングでの視聴をベースにしたレビューも書かれている

 

しかし、Gannが、The Hubのこのアイディアを現代のデジタルメディアアーティストやエンジニアたちがどうアレンジするのかについて予想するのは、超能力者の力を借りなければ難しかっただろう。

 

2000年、Atau Tanaka教授と彼のチームが、先進的なアートプラットフォームV_2の一環として、振動を伝えるケーブルを天井と床の間に斜めに張った。John Cageの元で学んだ経験を持つTanakaがオーストリア・リンツで鋼鉄製のそのケーブルを揺らすと、その物理的振動がソフトウェアでデジタル化され、サーバー経由でオランダ・ロッテルダムへ送られた。そして、そのロッテルダムにいる別の人物が手元のケーブルを揺らすと、その振動がサイバースペースを経由してリンツに届き、そのデータがオリジナルのケーブルに戻され、振動データが再現された。これがグローバル・ストリング(Global String)だった。

 

Tanaka教授、そして共同研究者のZbigniew KarkowskiとEdwin van der Heideは、Sensorbandとしてユニット活動も展開していた。Sensorbandは「センサー・インストゥルメント・アンサンブルとは、各メンバーが身体の一部を使用してユニークな楽器を演奏するユニットです」と説明されていた。尚、彼らは同じ空間にいない時は、ISDN回線を利用したジャムを行っていた。

 

 

 

 

Tooka(2004年)

 

この特殊なフルートは、League of Automatic Music ComposersやThe Hubのような、コンピューター・ネットワークを活用してミュージシャンたちを繋げていた最初期の即興コラボレーショングループのあとに生まれた楽器だが、先駆者たちのアイディアよりもスケールは小さく、正直に言えば、かなり気まずい。2人の演奏者はお互いの呼吸を吸い込みながら、まるで同期した蛇使いのように演奏しなければならない。しかも、普通よりも長時間アイコンタクトを続ける必要もある。

 

透明のプラスティックチューブの両端にマウスピースが装着されているTookaには、アンプに接続されている空気圧センサーが内蔵されている。各演奏者には4個のボタンが与えられており、白ボタンはオクターブ、赤ボタンはサスティン、2個の黒ボタンはピッチをコントロールする。他の管楽器よりも、頬の筋肉と舌の動きが求められるため、口を使ったサウンドに完全に新しい意味を与えている。

 

また、この楽器を発明したブリティッシュコロンビア大学のチームは、体を動かすことで得られる変化がまだ他にもある可能性を示唆している。彼らは「上半身を上下に動かしたり、頭を動かしたり、顔の表情を変えたりすれば、チューブ内の空気圧が変わり、サウンドに変化が生まれる可能性があります」としている。

 

 

 

 

Matt West “Collaborative Instrument”(2008年)

 

デザイナーMatt Westが生み出した2人用楽器のプロトタイプは、オンラインで発表された当時多少のバズを生み出したが、ゴールドスミス・カレッジのデザイン学科用プロジェクトとして考案されたこのプロトタイプが製品化されることはなかった。ひとりが音程を、もうひとりがリズムを担当するこのシンプルなインターフェイスを持つ楽器について、Westは「異なる2つの機能の違いを明確にしつつ、2人の演奏者がどうやってコミュニケーションを取るのかを実験するためのもの」と記していた。コンピューター・ミュージックに憧れていて、見つめ合う時間がそこまで必要ではないカップルのためのコーティング・ダルシマーを想像すれば良いだろう。

 

当時のWestが、リズムと音程の相関関係も探ろうとしていたら、この楽器はさらに複雑になっていた可能性がある。リズム、別名BPMがある程度のスピードを超えると、人間の脳はリズムをピッチとして捉えるようになる。これは、学士課程というよりは、修士課程向きのテーマなのかもしれないが、Westが現在のように陶芸スタジオを構えていなければ、このテーマについて研究を続けていたかもしれない。

 

 

 

Auerglass(2009年)

 

2000年代初頭、ひとつ屋根の下で退屈だが眠れない夜を過ごしていた2人、ヴィジュアルアーティストのTauba AuerbachとエレクトロポップアーティストのCameron Mesirow AKA Glasserは、クッキー缶と木材を使ってバンジョーを製作した。それから6年後、2人は自分たちのその才能をさらに野心的な方向に活かし、バンジョーを製作した頃の友情と協力関係を思い出しながら、2人用のパンプオルガン(ハーモニウム)、Auerglassをデザインした。

 

2人のデザインを現実に変えたのが、アップステート・ニューヨークに拠点を置くParsons Pipe Organ Buildersだった。彼らに依頼した理由について、Auerbachは「どうやって送風できるのか理解していなかったから」と説明している。

 

鍵盤2組(1組が白鍵、もう1組が黒鍵)、送風機4台、木材7種類、パイプ49本で構成されているAuerglassは、横からみると帆装船のような姿をしている。送風機でお互いのサウンドに影響を与えながら、皮が擦れる音とペダルの軋む音、フルートのような豊かなオルガンサウンドが組み合わさった奇妙なサウンドが生み出されるため、演奏は譜面にある程度の即興を織り交ぜたものになる。

 

 

 

 

 

Social Lamellophone(2012年)

 

オーストラリア人アーティストGary Warnerが製作したムビラ(アフリカ・ショナ族の親指ピアノ。地域で名称が異なる。カリンバが最も良く知られている名称)の “Social Lamellophone” という名称にはやや語弊がある。というのも、ムビラは基本的にひとり用の楽器ではあるが、金属と木材を組み合わせたこの小型楽器は、現地では昔からソーシャルツールとして使われてきたからだ。

 

ジンバブエ、ザンビア、モザンビークに住むショナ族のコミュニティの中心に位置しているこの楽器は、結婚式と葬式はもちろんのこと、様々な就任式や慶事でも演奏されており、さらには死者との会話を試みる際にも使われている。また、1980年のジンバブエ独立以来、ムビラは植民地主義への反抗と自由への戦いの象徴としても扱われている。

 

 

Lamellophoneというのは親指ピアノの総称を指す英語だが、WarnerのSocial Lamellophoneは、この楽器をオリジナルの文脈から切り離している。Warnerはこの楽器をアートギャラリーに設置し、通常は一緒に演奏するホーショ(Hosho)と呼ばれるひょうたんに豆を入れたマラカスや、歌い手、ドラムなども排除した。

 

270個の金属鍵盤は、Warnerが長年かけて収集したシドニーの道路清掃車の金属ブラシのカスを鋳造したものだが、このアイディアは、ムビラからそこまで離れていない。なぜなら、近年のムビラの鍵盤は、ベッドやソファのスプリング、自転車のスポーク、古釘などからリサイクルされているからだ。また、WarnerのSocial Lamellophoneも依然として人と人を繋げるコミュニケーションツールとして機能している。ただし、その方法はオリジナルとは多少異なる。演奏を見たある人物は「携帯電話で遊んでいる赤ちゃんみたいに見えました」とコメントしていた。

 

 

 

 

Dato DUO(2016年)

 

1984年、『The New York Times』紙が、Casio VL-1のようなポータブルキーボードが人気を獲得しているというトレンド記事を発表した。その記事に登場する業界関係者たちは、当時の音楽ビジネスについて「大半が電子系で、マイクロコンピューターが搭載されている高い携行性の小電力キーボードが特に人気だ。何よりも重要なのは、その多くがバッテリー駆動で、ひとりで簡単に持ち運べるサイズにまとめられている点だろう」と発言していた。

 

それからすぐあとに、ソフトウェアベースのシーケンサーを備えたAtari STがもうひとつの衝撃をもたらした。最終的に、このコンピューターはそれから25年後のポケットシンセサイザーブームを生み出すことになった。

 

そのような小型楽器メーカーが、複数の人間が同時に演奏できる楽器を始めて生み出したのは2016年のことだった。 “Synth for Two / 2人用シンセ” と謳われているDato Duoは、子供用ボードゲームと同じで、対象年齢は「3歳~99歳」となっている。両サイドに配置されているボタン、スライダー、ノブで操作するようになっており、ひとりがメロディを生み出せば、もうひとりがそこにフィルターやディレイなどのエフェクトをかけることができる。ドラムパターンにはビットクラッシャーを加えることも可能だ。

 

尚、開発チームは、Dato DUOはKORG VolcaシリーズやTeenage EngineeringのPocket Operatorシリーズのような他のポケットシンセと連動させることも可能だとしている。

 

 

 

 

 

All Images:© Joe Melhuish