一月 09

Charlotte Gainsbourgに影響を与えた音楽

2017年にリリースしたニューアルバム『Rest』が各方面で高評価を得たフランスを代表する女優・歌手が自身の音楽性に影響を与えた曲とアーティストを紹介する

By Geraldine Sarratia

 

Charlotte Gainsbourgは、フランスのエンターテインメント業界のカリスマでシャンソンのスター歌手だった父Serge Gainsbourgのプロデュースで、わずか13歳で歌の世界に足を踏み入れた。Charlotteは、Charlotte & Gainsbourg名義で議論を巻き起こしたシングル「Lemon Incest」をリリースしたあと、1986年にアルバム『Charlotte For Ever』でソロデビューを果たした。

 

当時すでに女優としても活動していたCharlotteは最終的に映画の道を選び、『なまいきシャルロット』、『ブッシュ・ド・ノエル』、『アンチクライスト』、『メランコリア』、『ニンフォマニアック』などで称賛と賞を獲得しながら、20年に渡って世界各地のビッグスクリーンに何度もその姿を現した。

 

しかし、彼女は2006年にAir、Jarvis Cocker、Nigel Godrichが参加したセカンドアルバム『5:55』で音楽活動を本格的に再始動させ、その後10年は女優業と音楽業を両立させながら、Beckと組んでアルバム2枚をリリースした他、映画のサウンドトラックへの参加やライブ活動も積極的に展開した。

 

Red Bull Music Academy Festival Paris 2017の一環として、Éléphant Panameで行われた公開トークショーの中で、Charlotteは、両親が自宅でかけていた音楽や映画のサウンドトラック、そしてエレクトロニック・ミュージックへの興味をさらに高め、SebastiAnとのコラボレーションに繋がるったアーティストの作品などを紹介しながら、自身の音楽性の進化について振り返った。今回はそのトークショーの中で取り上げられた曲を彼女の言葉と共に紹介する。

 

 

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Ian Dury「Sex & Drugs & Rock & Roll」

 

 

この曲がリリースされた当時、わたしは6歳か7歳だったと思います。父とRue de Verneuil(ヴェルヌイユ通り)に住んでいて、姉とベッドルームをシェアしていました。姉は4歳年上だったので、音楽に関しては彼女から大きな影響を受けていましたが、この曲に関しては、自分の音楽だと感じていましたね。この曲にはコミカルな感じがありますが、当時のわたしはそこが好きでした。また、声とリズムも気に入っていましたが、内容のくだらなさについては気付いていませんでした。

 

この頃は、両親からレコードを沢山受け取っていました。レコード会社との打ち合わせが終えると7インチの白盤を抱えて帰ってきたので、そのような白盤を聴かせてもらっていたのです。色々な音楽がありましたね。良い曲もあれば酷い曲もありました。また、Annie Cordy、Dorothée 、Chantal Goyaは聴くことを許されていませんでした。

 

わたしのレコードコレクションはこのような与えられた音楽から始まりました。姉の方がはっきりとした音楽の好みを持っていましたね。姉はBlondieとディスコの世代で、わたしもそのムーブメントをフォローしていましたが、まだ幼かったですね。わたしが自分でレコードを買い始めたのはかなり遅く、ティーンエイジャーになってからでした。

 

 

Michael Jackson「Thriller」

 

 

ティーンエイジャーだった頃に、父と同時にこの曲を知りました。わたしたち全員と同じように父も衝撃を受けていました。自宅の大きなテレビでこの曲のミュージックビデオを観ていたことを良く覚えています。「Billie Jean」と「Thriller」は、最もパワフルなミュージックビデオに数えられると思います。わたしが初めて観たメジャーミュージックビデオのひとつでした。

 

 

Bonnie Tyler「It’s A Heartache」

 

 

ティーンエイジャーだったわたしが自分で買ったレコードのひとつです。自分で選んだ曲ですね。ボーディングスクール(寄宿学校)を出た年に買いました。自分で自分の道を歩むことを決めたんです。Sony Walkman(ポータブルカセットプレーヤー)が発売されたばかりの頃でした。Walkmanは新しい音楽の聴き方でしたね。ひとりで音楽を楽しむというのは。寄宿学校へ向かう電車の中で、窓外の風景を眺めながらこの曲をWalkmanで聴いていたことを良く覚えています。Bonnie Tylerの声は、ティーンエイジャーならではの体験や悲しい孤独感にピタリと合っていたので、わたしはこの曲について大騒ぎしていました。

 

 

Charles Aznavour「Emmenez-Moi」

 

 

ティーンエイジャーの頃は、フランスの音楽も好んで聴いていました。ですが、この曲を自ら好んでいたことを理解するのは難しいですね。子供の頃から、音楽に関しては常に父か姉が影響を与えてきましたから。ですが、これはわたしが自分ひとりで選んだ曲でした。わたしがこの曲を好んでいたという事実は父を酷く傷つけました。なぜなら、父はCharles Aznavourにジェラシーを抱いていたからです。Charles Aznavourは突出した才能の持ち主でした。わたしは、この曲の世界観に魅了されていました。この曲はメロディよりも歌詞なんです。しばらくの間、この曲に夢中でしたね。

 

 

Bob Dylan「Lay Lady Lay」

 

 

父に聴いておく必要がある曲やレコードについて尋ねた時のことを思い出しますね。父からはこの曲とJudy Garlandの「Somewhere Over The Rainbow」を教えられました。Bob Dylanに関しては、ひとつ後悔していることがあります。いわゆる『グレイテスト・ヒッツ』から入ってしまったということです。Bob Dylanに関しては、アルバムを追いながら魅力を見出したわけではありませんでした。すぐにこの曲を知ったんです。以来、この曲はいつもわたしの側にいます。

 

わたしは10年ほど前に映画『アイム・ノット・ゼア』に出演したのですが、この映画はBob Dylanの半生を追ったものです。彼はわたしの中で非常に重要な人物ですし、彼の音楽に飽くことはありません。ちょっとしたパーティなどでBob Dylanの曲をかけすぎれば、嫌がる人も出てくるかもしれませんが、わたしは何時間でも聴いていられます。彼の書く歌詞は素晴らしいですが、彼の歌声、性格、個性も素晴らしいと思います。

 

 

Glenn Gould「J.S Bach: The Goldberg Variations」

 

 

父がGlen Gouldのこのアルバムを持っていて、妹のLou Doillonの父で、わたしの継父Jacques Doillonもこのアルバムを持っていました。同時期に両方の家にこのアルバムがあったんです。心を落ち着かせるアルバムだと思っていました。このアルバムを聴けば、いつも良い気分になりました。ある意味、安心して戻ってこられるアルバムなんです。

 

父はピアノが弾けましたが、自宅で弾くことは滅多にありませんでした。夜の街に繰り出したあと、最後にバーで弾いていました。父は幼い頃に祖父に厳しくピアノを教えられていたので、それがトラウマになっていたんだと思います。彼はその日々から逃げ出したんです。ですので、父がピアノを弾いている姿を見たのは、主に彼が作曲をしている時でした。父はレコーディング用に自動ピアノを持っていました。楽譜が自動で演奏されるので、それに合わせてレコーディングしていました。父がニューアルバムを制作している時は、わたしたちにメロディのアイディアを聴かせてくれました。それをわたしたちが星で評価していました。

 

 

 

“父は自分の音楽を自宅で良く聴いていました。当時のわたしは自惚れの強い人だと思っていましたね。ティーンエイジャーだったわたしは、なぜ父が自分の音楽を聴いているのか理解できませんでした”

 

 

 

父は家族の意見を積極的に聞き入れようとしていました。基本的に家族全員の意見は一致していましたね。亡くなる直前のアルバムでは、ロシアに傾倒した、メランコリックなサウンドに取り組んでいましたが、本当に美しい音楽でした。父はショパンから多大な影響を受けていたので、わたしは父を通じてショパンを知りました。クラシック音楽は父にとってとても重要でしたし、わたし自身の成長においても重要でした。

 

父は自宅ではそこまで多くの音楽を聴いていませんでしたが、聴く時は大音量でしたので、いつも隣人から苦情が来ていました。大音量で聴くか、一切聴かないかのどちらかでしたね。大音量で音楽を聴くというのは素晴らしいことだと思います。父は良く自分の音楽を自宅で聴いていました。当時のわたしは父のことを自惚れの強い人だと思っていましたね。ティーンエイジャーだったわたしは、なぜ父が自分の音楽を聴いているのか理解できませんでした。ですが、今は仕事の一環として聴く必要があったのだと理解しています。

 

 

Serge Gainsbourg「Ballade de Melody Nelson」

 

 

わたしの子供たちがわたしの音楽を一切聴かないのは不思議ですね。子供たちはそのことについて考えることさえしません。わたしは両親の音楽を聴きながら育ちましたし、両親の音楽を聴くことをとても楽しく感じていました。身内を持ち上げているわけではありません。単純にわたしの人生の一部だったんです。

 

父の曲で最初に好きになったのは「L’Ami Caouette」でしたが、父はこの曲をとても恥じていました。キャリア最悪の曲だと思っていたんです。ですが、わたしがこの曲を気に入っていて、口ずさんでいることはやがて父に知られてしまいました。この曲を聴いて以来、わたしは父の全ての音楽を聴いてきました。父は、歌い上げる傾向が強かったキャリア初期の自分の歌声を嫌っていましたが、わたしは気に入っていました。

 

ですが、『Histoire de Melody Nelson』は向き合うのが難しいアルバムです。26年間聴かずに放置していました。ですが、このアルバムの収録曲だった「Ballade de Melody Nelson」は、聴いていなかったにも関わらず、わたしに大きな影響を与えました。今ではわたしの一部になっています。『Histoire de Melody Nelson』は一番良く聴いたアルバムかもしれません。

 

わたしはストーリーが用意されているコンセプトアルバムが大好きなんです。『Histoire de Melody Nelson』は短いアルバムですが、魔法が感じられます。多くの音楽プロデューサーが話題にする有名なアルバムですが、わたしがAir、Beck、SebastiAnなどと一緒に仕事をする時に、このアルバムの話をすることはありません。Beckとは、父が手掛けたパーカッションアルバムについて話をしました。そのアルバムのリズムが、自分たちが目指していたリズムだったからです。

 

 

Charlotte & Gainsbourg「Lemon Incest」

 

 

この曲は、父との音楽体験という意味では最も重要な曲です。この曲でわたしは初めてマイクの後ろに立ちました。曲のテーマ(Incestは近親姦の意味)について理解していないまま、わたしはこのアドベンチャーに参加しましたし、特にショックを受けることもありませんでした。この曲のレコーディングをした時、わたしは12歳でした。その翌年にリリースされると、世間では様々な噂が流れたのですが、わたしはすでにボーディングスクールに入学していたので、そのような混乱からは切り離されていました。レコーディング時のわたしは、歌詞の内容が理解できる年齢ではありませんでした。

 

高音で歌ったり、音程がすこしぶれていたりするわたしを見て、父が喜んでいたのは理解できました。彼はわたしのそういう部分を求めていたんです。わたしは、レコーディングを終えた瞬間にこの曲のことを忘れてしまいました。当時のわたしにとって、特別大事な出来事ではなかったんです。ですが、今のわたしには非常に大切な思い出ですね。

 

 

Portishead「Glory Box」

 

 

大人になったわたしに初めて大きな衝撃をもたらした曲のひとつです。リリース当時のことを良く覚えています。わたしは20歳くらいでした。わたしと同じように、多くの人が衝撃を受けていましたね。新しいサウンド、新しい個性でした。ステージ上のBeth Gibbonsもそれまでのヴォーカリストとは全く異なるイメージを放っていました。この頃、わたしはまた音楽を作りたいと思うようになったのですが、そのモチベーションを大きく高めた曲でした。

 

 

Radiohead「You And Whose Army」

 

 

Redioheadは大好きなバンドのひとつです。好きな曲を選ぼうとしましたが、多すぎて難しいですね。Bob DylanやDavid Bowieと同じで、聴き通せるアルバムが何枚もあります。10~15年間、わたしはずっとRedioheadのファンでした。このバンドのライブを観て、音楽に完全に包まれる感覚を知ることができました。Thom Yorkeの姿からもそれを知ることができました。ライブでは彼に注目しています。彼のパフォーマンスからは動物的な何かを感じ取ることができるんです。このような感覚を得られる機会はほとんどありません。

 

 

Blood Orange「Best To You」

 

 

Devonté HynesことBlood Orangeは、わたしの最新アルバム『Rest』の収録曲「Deadly Valentine」のミュージックビデオに出演してくれていますが、ニューヨークで偶然知り合ってそうなったわけではありません。彼に会いたいと頼んだのです。知り合ったあとは、わたしの英詞について色々とアドバイスを送ってくれて、正しい表現に整えてくれました。わたしは、フランス語に関しては様々な視点や知識を持ち合わせていますが、英語に関してはややおぼつかないので。母も助けてくれていましたが、Devontéは正しい方向に進んでいるとわたしを励ましてくれました。わたしは彼が優れたダンサーだということを知っていたので、そのあとで、ミュージックビデオに出演してもらったんです。

 

 

John Williams「Theme From Jaws」

 

 

映画のサウンドトラックは私の中で重要な存在です。わたしの音楽に影響を与えてきましたし、女優としても数多くの映画に出演してきたので。この曲が今回のリストに入っているのは母のせいです(笑)。4歳の時に母に連れられてロンドンを訪れたのですが、ロンドンでは公開が禁止されていなかったんです。それでわたしも観たのですが、トラウマになりました! John Williamsの曲は素晴らしいと思います。この映画のサウンドトラックは、映画を初めて観た時からわたしの中に残り続けています。今日も聴きましたがやはり素晴らしいですね。鮮烈な記憶として残っています。

 

 

Richi E Poveri「Sarà Perchè Ti Amo」

 

 

この曲は、わたしが初めて主演を務めた映画『なまいきシャルロット』のサウンドトラックに収録されています。わたしはたったひとりで2ヶ月間撮影に臨みました。この曲は、撮影が始まった時にすでにリリースされていたので、全員がルルと一緒に歩くシーンの撮影時にスタッフが流していました。撮影時の思い出に音楽が残ることは珍しいですね。通常、現場で音楽は流されないので。ですが、この曲は、女優としてのキャリア初期を通じてわたしの中に残っていました。

 

 

Charlotte Gainsbourg「Hey Joe」

 

 

このJimi Hendrixのカバーは、ラース・フォン・トリアーが監督してわたしが出演した映画『ニンフォマニアック』のサウンドトラックに収録されています。クランクアップしたあとでレコーディングしました。監督から直接頼まれたことが嬉しかったですね。『ニンフォマニアック』はわたしたちが組んだ3本目の映画だったのですが、この時まで彼はわたしのことを歌手として認識していなかったと思います。わたしにとっては、曲のクオリティよりも、彼に頼まれたという事実の方が重要でした。

 

 

 

“父が亡くなってから音楽とわたしの関係はとても複雑になりました”

 

 

 

監督は、Beckにプロデュースを頼んでくれないかとわたしに言ってきました。わたしは彼が引き受けてくれるか疑問でしたが、本人はとても前向きに引き受けてくれました。すでにアルバムを共作していたので仕事の進め方はお互い分かっていましたが、この時は別々にレコーディングしました。Beckが父の音楽に大きく影響されたサウンドを用意したあと、わたしが別のスタジオで歌入れをしました。

 

 

Charlotte Gainsbourg「5:55」

 

 

映画では自分を完全に預けたいと思っています。音楽は映画よりも自分の意志を持ち、コントロールすることが必要です。わたしは父のあとを追いながら、演技と音楽に対して同じアプローチで取り組んでいました。そして父はそんなわたしを喜んでいました。ですので、わたしの中では至って自然だったのですが、わたしは自分をコントロールされていない状態に置いていました。自分で自分を制限することはありませんでした。女優としてのわたしはその状態を維持し続けました。コントロールされていない状態、つまり、監督の意向に自由に身を任せられる状態を好んでいたからです。一方、音楽との関係は、父が亡くなってからとても複雑になりました。音楽を辛いと感じるようになっていたからです。音楽は父を思い出させました。わたしは今でも父を恋しく思っています。

 

わたしのファーストアルバム『Charlotte For Ever』から、Airと組んだセカンドアルバム『5:55』までは実に20年の開きがあります。音楽を通じて自分を表現しても良いのではと思えるようになるまで20年必要だったのです。そう思えるようになってから、自分の周囲を見渡して、一緒に仕事ができる人を探し始めました。ひとりで作ることは考えていませんでした。ひとりで作りたくなかったんです。その実力もありませんでしたし。父のような、尊敬できる人物が必要でした。ですので、Airと組むのは当然の流れでしたし、Beckもそうでした。わたしはとにかく前進できるようになりたいと思っていましたが、父の死を受け容れることに苦労していました。

 

 

Charlotte Gainsbourg「IRM」

 

 

「IRM」はBeckと始めてくんだアルバムのタイトルトラックです。わたしは彼の作品を心の底からリスペクトしていたので、オファーを出した時は、請けてくれるとは思っていませんでした。スタジオで会った時に、まずはお互いがストレスなく仕事をできるか確かめたいと彼から言われたので、3曲一緒に仕事をしたのですが、素晴らしいケミストリーが得られることに気付きました。

 

このアルバムの一部はロサンゼルスにあるBeckの自宅で作業しましたが、作業を重ねるに連れて方向性が変わっていきました。このアルバムの制作前にわたしは事故に遭い、MRI検査を受けていたのですが、このアルバムに自分自身を上手く組み込むには、この事故について語り、この事故に関する音楽を作ることだと感じていました(編注:IRMはMRIのフランス語)。ですが、別にネガティブな視点から表現したわけではありません。MRIは患者に安心感を与える存在ですので。

 

わたしは何とかしてMRIと音楽を結びつけたいと思っていて、Beckもこれ以上エキサイティングなテーマはないと意見を述べてくれました。この曲は、リズムからスタートしました。2人で父のパーカッションアルバムについて話をしたのもこのためでした。アルバムに収録されている全曲が、すでに彼の手元にあったリズムか、わたしの目の前で彼が組んでいったリズムが元になっています。彼がどうやって歌詞と曲を書いていくかを目の前で理解することができたのは本当に素晴らしい経験になりました。彼にとって音楽制作はとても簡単なことでした。ノート1冊から素晴らしい音楽を生み出していたのです。

 

 

Charlotte Gainsbourg「Rest」

 

 

2度目の大規模なライブパフォーマンスを通じて、Connan Mockasinと仲良くなりました。そして彼は、わたしにフランス語の歌詞を書くべきだと提案し、楽曲制作に手を貸したいと申し出てくれました。それで、わたしたちはセッションを重ねていきました。彼がギターを担当し、わたしが彼の音楽に歌詞を乗せていきました。彼はフランス語を話せないので、わたしはより自由に作業することができましたね。それで、いくつか気に入った曲ができました。

 

その直後に、ニューアルバムの制作について考えるようになりました。かなり前から、エレクトロニック・ミュージックがわたしの中で重要な音楽要素になっていました。わたしはこの音楽スタイルが好きなんです。SebastiAnの作品群を聴いていくうちに、わたしは、彼の暴力性と残虐性、そしてアレンジこそ、わたしが求めているものだということに気が付きました。また、決して力強いとは言えない自分の歌声が、このようなサウンドとどう組み合わさるのかを確かめてみたいとも思っていました。

 

それで、SebastiAnがわたしの家にやってきたのですが、最初の打ち合わせはそこまで手応えが得られるものではありませんでした。彼は自分の音楽に自信を持っていて、わたしがフランス語で歌う必要があるということ、そしてサウンドは1986年に父と一緒に作ったファーストアルバムに近づけるべきだと意見を述べました。一方的な指示のように聞こえるかもしれませんが、わたしは彼がとても魅力的な人物だと思いました。

 

 

 

“『Rest』ではよりあけすけな自分、自己批判的な自分、前向きな自分になることを許せるようになりました。見知らぬ都市で孤独だったということがその助けになったと思います”

 

 

 

彼は、シャイな人なら誰でもそうするように、自分のパートだけを担当し、余計なことはしませんでした。わたしはその姿勢に好印象を持ちました。ですが、実際の作業は中々上手く進みませんでした。まず、わたしは彼にホラー映画のサウンドトラックのリストや、参考になりそうなその他の音楽のリストを彼に渡しました。エレクトロニック・ミュージックシーンに関わっている人なら知っているGiorgio Moroderのような音楽を大量にリストアップしましたが、同時に映画『サイコ』のサウンドトラックや、クラシック音楽もリストアップしました。色々なことをやりたいと思っていたんです。

 

このリストを手にした彼は、わたしが望んでいた通りの、むしろ、わたしの期待を大きく上回る5曲を用意してくれました。わたしはその音楽について意見を返したのですが、そこから先のアレンジが難航しました。彼を捕まえるのがとにかく大変だったからです。最終的にいくつかのセッションをこなすことになりましたが、その頃にはDaft PunkのGuy-Manuel de Homem-Christoと「Rest」のレコーディングを終えていました。元々、この曲は純粋なサイドプロジェクトとしてスタートしたものでした。Guy-Manuel de Homem-Christoのことをとてもリスペクトしていたので、一緒に仕事をすることにしたのです。

 

「Rest」は彼が使いたがっていたループからスタートしました。この頃のわたしはノートブックに日記を書き溜めていました。姉を亡くしていたわたしは、このことについて、日記の内容をまとめて歌うことにしました。今振り返ると、作業の詰めが甘かったと思いますが、姉の死をテーマにするということはごく自然に決まりました。こうしてこの曲は完成し、わたしは一度パリから離れる必要があると感じて、ニューヨークへ移りました。この頃になるとようやくSebastiAnがアルバムについてちゃんと意識を持つようになり、ニューヨークへやってきました。それで、2人で『Rest』を完成させたのです。

 

このアルバムには非常にパーソナルな曲がいくつか収録されています。「Lying With You」の最初に書いた歌詞のひとつで、父の死について触れています。わたしの中の父の思い出は、幼少期の頃と父の死の頃で二分されています。この曲で、わたしは彼に対して率直な意見を述べたかったのです。フランス語のヴァースよりも、英語のコーラスの方が彼への愛情が籠もっていますね。英語は自分の気持ちと距離が取れるので、彼の存在を受け容れる歌詞を書けましたが、フランス語では彼への恨み辛みを書いています。

 

ニューヨークへ移ったことで、よりパーソナルなアルバムを作ることができたと思います。よりあけすけな自分、自己批判的な自分、前向きな自分になることを許せるようになりました。見知らぬ都市で孤独だったということがその助けになったと思います。自分を再発見し、ある意味生まれ変わることができました。このアルバムは、ここ3~4年のわたしの人生の記録です。

 

Header Photo: © Collier Shorr