五月 16

1964年のBlue Note

伝説のジャズレーベルBlue Noteは今から丁度50年前、わずかな数のレーベルしか味わえない最高の1年を送った。J.D. Swerzenskiがその年にリリースされた作品を紹介する。

ニュージャージ州イングルウッドにあるRuby Van GelderのスタジオVan Gelder Studioで土曜日に行われたそのセッションは特別なものではなかった。Lee Morganはそれまでの8年間に渡り、数々のBlue Noteのレコードをここでレコーディングしており、そのすべては知名度こそ低かったにせよ、温かく迎えられていた。しかし、Morganはこの日のセッションに向けて自分のトランペットに少しばかりの魔法を忍ばせていた。その魔法とはシンプルな12小節のブルースのリフで、これが彼の後のキャリアにおける名刺代わりとなった。

Morganと彼のバンドがこの “The Sidewinder” をレコーディングしてから3ヶ月後、この楽曲は全国のビリヤード場と安酒場を中心に人気が出始め、その後メインストリームで認知されると、1965年1月にはBillboard Pop Chartsで25位を記録した。



“The Sidewinder” はBlue Note Recordsでこれまでに一番売れていた作品の約10倍も売れ、Blue Noteにおける最多販売枚数記録を更新した。しかし、Blue Noteがヒットさせたのはこの1枚だけではなかった。Blue Noteはこのヒットをきっかけに、その後1年に渡って数々のヒットを飛ばすことになった。

今でこそBlue Noteの成功は当然のように思えるが、1964年当時の状況は今とは完全に異なっていた。1960年代中頃はジャズミュージシャンたちによって数々の素晴らしい作品が生まれていた時代ではあるが、「ジャズ」というジャンル自体はBeatles系やMotown系によって隅に追いやられていた。“The Sidewinder” はBlue Noteの作品群の中では比較的ソウルフルでベーシックな楽曲であり、ゆえにミュージシャンや自称文化人以外のリスナー層にまでアピールできた。この「親しみやすさ」は1964年のBlue Noteの成功の大きな理由のひとつだったが、それだけが理由ではなかった。1964年の成功の最大の理由は、保守派のアーティストたちが新しい音楽に反応し、その他のアーティストたちが本領を発揮し、更には新しい才能も生まれたという、レーベル全体が動きを見せた非常にユニークなタイミングだったということにある。そしてその結果、この1年で実に30曲以上のクラシックがBlue Noteから生まれた。今回はその中から数曲を紹介する。



Art Blakey
1人目はArt Blakeyが適任だろう。偉大なドラマーである彼のキャリアは他のどのアーティストよりもBlue Noteと密接な関係を築いたアーティストであり、50年代初頭のThelonious MonkやMiles Davisのセッションを支えるなど、Blue Noteの初期作品から関わり続け、またJazz Messengersを経由してHank Mobley、Lou Donaldson、Bobby TimmonsなどのトップアーティストたちをBlue Noteへ連れてきている。しかし、何よりも特筆すべきは、彼のそのグルーヴィーで色彩豊かなハードドラミングで、これがBlue Noteサウンドの原型を形作った。

1964年、Blakeyは過去最強のグループを結成する。ピアノにCeder Walton、ベースにJymie Merrit、そしてドラムにBlakey本人という隙のないリズムセクションと、トランペットにLee Morgan、サックスにWayne Shorterというパフォーマンスと構成力のピークを迎えていた2人を加えたこのグループは向かうところ敵無しだった。1964年にリリースされたJazz Messengersの4枚のアルバムはどれも素晴らしいが、特にBlue Noteからリリースされた2枚は、このバンドの素晴らしさを物語ると同時に、MorganとShorterの加入が生んだ音楽性の幅広さを見せてくれている。



“Free for All” は、同名のアルバムに収録された12分の大曲で、フリージャズに傾倒していたShorterのプレイが存分に楽しめる。カオス状態直前のスリルを巧みにキープするBlakeyのコントロールされたドラミングがなければ、完全なフリージャズになっていただろう。とは言え、 “Free for All” はShorterの楽曲で、次から次へと押し寄せる波のようにビルドアップされていくソロが後半に扇情的な炎を立ち上げており、BlakeyでさえKeith Jarrettのようにシャウトしているのが聴こえる(2:50秒あたり)。

もう1枚は謎めいたアルバム『Indescrutible』の “Calling Miss Khadija”だ。Lee Morganはこのソウルジャズクラシックを書かずして成立しなかっただろう。当時でさえもこの楽曲は特別なインパクトを与え、 “The Sidewinder” に次ぐヒットとなった。



Jackie McLean
ハードバップ期に自分たちの基盤を築くのに苦労したビバップの巨人たちは、Blue Noteで復活のチャンスを掴んだ。アルトサックスの名手Jackie McLeanは1963年に『One Step Beyond』をヒットさせていたが、その翌年となる1964年、過去最高の内容を誇る作品『Action Action Action』をリリースした。また若き才能を見出す能力があったMcLeanはこのアルバムでもその才能を発揮しており、後にジャズアイコンとなる当時20代前半だったCharles TolliverとBobby Hutchersonをデビューさせている。



Dexter Gordon
Long Tall DexことDexter Gordonは初期のスウィング期から1964年までの間に、実に3度の失敗と復活を味わっていた。しかし、この前年にヨーロッパへ渡ったことが彼のクリエイティブな才能に存分な追い風を与えた。この時期の彼の作品の中で最も知名度の高い『One Step Up』には、18分を超える大作 “Tanya”が収録されている。トランペットのDonald Byrdによって書かれたこの曲の魅力の大半は、Kenny Drew、Art Taylor、Niels-Henning Osrsted Pedersen、そしてDonald Byrd本人のブルージーな演奏によって生み出されているが、Dexのこの曲における支配力は避けては通れないインパクトを放っており、その8分間のソロは20年を超えるバンド活動によって丁寧に育まれた彼のオリジナリティが見事に表現されている。



Herbie Hancock
1964年のBlue Noteによるクリエイティブな作品の連続リリースは、若き才能に依るところが大きかった。Herbie Hancockもそのひとりであり、この年に“Cantaloupe Island” が収録されている『Empyrean Isles』をリリースしている。彼が参加したWayne Shorter『Speak No Evil』、Jackie McLean『It’s Time』、Stanley Turrentine『In Memory Of』と同様、この作品にも彼のソリッドな演奏が収録されている。



Tony Williams
Miles David QuintetにHancockと共に参加し、後にトップドラマーとして頭角を表すTony Williamsも、デビュー作を1964年にBlue Noteからリリースした。19歳の誕生日を迎えた数カ月後にレコーディングされたこの『Life Time』は、後期作品よりもフリージャズの側面が強いWilliamsが聴ける。しかし、このアルバムでは、70年代のMiles Davis作品と自身のバンドLifetimeの作品の中で聴けるような多才ぶりも顔をのぞかせている。



Chick Corea
1964年後半、Blue Mitchellが自身の作品で若きピアニストChick Coreaを初起用し、他の若手ほど目立たなかったものの、新たな才能をまたひとりデビューさせた。しかし、『The Thing to Do』でのCoreaの演奏は本人を代表する演奏と評価され、その後長年に渡って本人のセットに組み込まれることになった。



Wayne Shorter
リーダーバンドの作品、客演、そしてライブなど、1964年のShorterのすべてのプレイは後にクラシックとなった。Shorterはこの年の1月にBlue Noteと契約を交わすと、間髪入れずに3枚のフルアルバムを発表。作品ごとにクオリティを向上させていった。しかも、『Juju』、『Night Dreamer』、『Speak No Evil』という3枚は、既存のスタンダードを演奏したアルバムではなく、オリジナルがふんだんに盛り込まれている。 この3枚からは “Witch Hunt”、“Speak No Evil” 、“Virgo” など何曲もの名曲が生まれ、後にスタンダードになった。

“Speak No Evil” はその中でも間違いなくベストと言えるもので、オールドスクールで揺れるメロディーは魅惑的で記憶に残るものだ。Shorterはサックス奏者、またArt Blakeyのディレクターとして1964年の4枚のアルバムの作曲と演奏に参加しながらこの作品を仕上げたが、サイドマンとしても怠けることはなく、Jazz Messengerで活動を共にしたLee Morgan(Search for the New Land)やトロンボーンのGrachan Moncur III(Some Other Stuff)との共演でも素晴らしい演奏を披露している。このような多忙な年だったにも関わらず、年末にはジャズシーンで誰もが憧れていたMiles Davisのバンドにサックスとして加入して自らの地位を高めることに成功した。作曲家、そしてアドリブ奏者として類まれなる才能を持っていたShorterは、Milesの第2期クインテットに欠かせない存在として活躍することになった。



スタンダード
1964年にBlue Noteを中心に育まれた素晴らしいミュージシャンシップがその後長期に渡り高い価値を保てたのは、アルバムに収録された数々のクラシックスの音楽性の高さに依るところが大きい。 “The Sidewinder” の他にも、頻繁にカバーやリミックスが行われ、引き合いに出されることも多い楽曲のひとつHerbie Hancock “Cantaloupe Island” など、数多くの作品が生み出された。

その中で突出していたのがWayne Shorterの作品群だろう。1964年にリリースされた3枚の作品の中から少なくとも最低5曲は、現在でも数多くのバンドのレパートリーに加えられており、特に“Witch Hunt” は根強いファンが多い。神秘的なペンタトニックスケールのメロディーと強烈な緩急のリズムを持つこの曲は、Blue Noteの得意としていたストレートなスウィング感を持つ楽曲群とはかけ離れており、風変わりな楽曲と言える。その奇妙さの中には独特の美しさが備わっているため、今でも繰り返し多くの人たちによって再解釈が行われているが、このオリジナルを超える作品は存在しない。

また1964年後半にはピアニストHorace Silverも才能を開花させ、彼の作品の中で最も知名度が高い楽曲 “Song for My Father” を発表している。この楽曲は彼の作品の中で最も音楽的に豊かな作品であり、またその10年後にSteely Danが発表した『Rikki Don’t Lose That Number』にインスピレーションを与えた作品としても知られている。



フリージャズ
1964年のBlue NoteのサウンドはLee Morganとハードバップによって定義付けられたが、Blue Note側はカッティングエッジなフリージャズを含むすべてのジャズスタイルを網羅しようとしていた。彼らのフリージャズへの注力は、レコードセールスにこそつながらなかったものの革新的な内容を誇る作品を数多く生みだすことになり、前衛的なサックス奏者Sam Riversが強烈なデビューアルバム『Fuchsia Swing Song』を同年12月にリリースした他、ピアニストAndrew Hillも『Point of Departure』と「Judgment!」でアヴァンギャルドな作風を披露した。しかし、ハイライトはEric Dolphyの名盤『Out to Lunch!』だろう。Ornette Colemanの『The Shape of Jazz to Come』やJohn Coltraneの『Ascension』と同等の革新性を持ったこのレコードは、ハードバップの枠組みの中でフリージャズに取り組んだ作品で、聴きやすさと即興が生む自由さが同居する作品になっている。

他のレコメンド



Joe Henderson - El Barrio
ジャズ史上最も難解なサックスのイントロで幕を開け、後半に進むに従いその輝きが更に増していく楽曲。



Kenny Dorham – Mamacita
アフロキューバンの情熱とハードバップのスウィングの完ぺきな融合。



George Braith - Nut City
Braithは、Hammond B3オルガン奏者Jimmy Smithを超える人気は獲得できなかったが、この “Nut City” ではSmithと変わらぬ才能の持ち主であることが理解できる。



Stanley Turrentine – Wahoo
Stanley Turrentineよりもソウルフルなサックス奏者はいない。Duke Pearsonが書いたこの楽曲は、彼の才能が遺憾なく発揮できる土台となった。