五月 20

Björk, the Producer

アイスランド人アーティストBjörkの音楽の変遷を振り返っていく

By Daniel Montesinos-Donaghy

 

アルバムリリースのタイミングこそフライング気味だったかも知れないが、Björkの活動が本格化している。今年のBjörkはその9枚目のスタジオアルバムのリリースと共に、ニューヨーク近代美術館(MoMA)での回顧展、カーネギーホールでの短期間のレジテントなどを複数の大きな動きを展開している。

 

これらの活動は、ソロキャリアを通じ正当な評価を受けてこなかったプロデューサーとしての彼女の才能を再確認する機会となっている。彼女が感情を豊かに表現した今年3月のPitchforkのインタビューは、彼女がこれまで音楽を通じて表現してきた自身の作家性に触れたことで注目を集めた。彼女はその中で次のようにコメントしている。「自分のアルバム群をマッピングして、誰がどこにどう関わっているのか図で示すのはどうだろうって考えた時があるわ。でもそれって自己防衛であると同時に凄く情けない作業だと思うのよ」

 

今回は自身のキャリアの体系化を行うつもりがない彼女に代わり、今回我々がキャリアを紹介していく。Björkの大ファンであるDaniel Montesions-Donaghyに彼女の過去のインタビューや特集を引用しながら、プロデューサーとしての彼女の変遷をアルバムごとに振り返ってもらった。

 

 

DEBUT (1993年)

 

1987年のSugarcubesのデビューシングル「Birthday」の成功を受け、このバンドのヴォーカルだったBjörkは数々のメジャーレーベルからソロアルバムのオファーを受けることになった。母国アイスランドではわずか11歳でプラチナアルバムをリリースしていた彼女は、公衆の目に晒され、過剰な期待がかかるソロ活動には懐疑的だった。しかし、その一方で、彼女は作品化するかを決めないままソロアルバムの制作をスタートさせていた。彼女はデモをレコーディングする段階になっても、作品をどうするのかについて何も決めておらず、エンジニアやミュージシャンに対しても、「作品化するかは分からないが、もしリリースされたら正当な金額を支払う」という形で参加を要請していた。

 

そしてOne Little IndianのDerek Birkettにサックスとヴォーカルだけの3曲を送ったBjörkは、このレーベルからサポートを受けることになった。Birkettはヒット曲を求めていたが、BjörkがLAで作曲家Franne Gold(The Commodoresの「Nightshift」やWhitney Houstonの「I Belong to You」などを提供)とセッションをこなしたあと、Birkettは『VOX Magazine』誌に対し、「彼女には好きなことをやらせる」と明言。こうして自由を得た彼女は、週替わりのようなペースで頻繁にスタッフを入れ替えながら制作を進めていった。

 

当時のBjörkはKarlheinz Stockhausenのようでありながら、Quincy Jonesのループも使う楽曲が作りたいとし、「これが私のやりたいこと」と強調していた。

 

しかし、その後BjörkはNellee Hooperと意気投合する。当時のボーイフレンドだったDom Thruppの紹介で出会ったHooperはSoul II SoulとMassive Attackの作品により、クール・ブリタニアサウンドを発展させたアーティストのひとりとして世界的な評価を得ており、Björkにとって当時のダンスミュージックが向かっていた方向性をひとつにまとめて分かりやすく示してくれる存在となった。こうしてBjörkが鍵盤に向かってアルバムの90%を手がけていく中(1993年の『Chaos Control』誌のインタビューを参照)、HooperとプログラマーMaurius De Vriesはアルバムのビートを組み、Björkのアヴァンギャルドな音楽への興味とダンスミュージックの即効性の中間点を探っていった。この試みには、彼女のアヴァンギャルドへの欲求を緩和して、少なくともアルバムを「アヴァンギャルド」そのままにはしないという意図も含まれていた。1994年の『Select』誌のインタビューでHooperは、当時のBjörkはKarlheinz Stockhausenのようでありながら、Quincy Jonesのループも使う楽曲が作りたいとし、「これが私のやりたいこと」と強い姿勢を見せていたと振り返っている。

 

このアルバムの佳曲群は2人の関係性を見事に表現している。Björkのヴォーカルは完成形に近く、HooperはそのBjörkが目指すアルバム像のアシストに徹している。また、このアルバム以降の彼女の全作品に通じるアプローチも、アルバム中間部の「One Day」をはじめ、鳥や乳児の声やビッグバンドジャズ、そして90年代初頭のアジアンアンダーグラウンドサウンドが用いられている「Aeroplane」などに顕著に表れている。これらの楽曲群は最も伝統的なBjörkサウンドであり、彼女の音楽と自然界の繋がりや、世界を旅してきた彼女の幅広い音楽的趣向が示されている。

 

彼女の他のソロアルバムと比較すると、『Debut』は著名なプロデューサーが意欲的な新人作曲家だったBjörkを指導しているようなサウンドに聴こえる。このアルバムは彼女にとっては足掛かりとなったが、彼女自身もその点を理解していた。1993年末、何ヶ月にも渡るプロモーションと『Debut』の成功による混乱に疲弊していた彼女は、『The Face』誌のEkow Eshunとのインタビューの中で、「『Debut』はリハーサルのような作品で、そこまで良い作品じゃないの。今はもっと良い作品を作れるってことを自覚しているわ」とコラボレーションの限界に対する苛立ちを述べている。

 

 

 

 

POST(1995年)

 

『Post』もHooperの影響が色濃く残っている作品で、4つ打ちではあるが、ユニークなリズムプログラミングの1曲目「Army of Me」はその影響が特に顕著だ。しかし、このアルバムのBjörkは複数のプロデューサーと組んでおり、このアルバムでの彼女の役割は「作曲」よりも「キュレーション」に近く、各パートナーの特徴(Trickyが最も顕著)を活かし、それを自分に当てはめるという方法論を選択している。

 

「最初から最後まで自分ひとりでやってみたいの」(1995年)

 

アルバム用のバハマでのセッションが行き詰まったBjörkは、エンジニアを一新してロンドンで再度レコーディングを行った。Hooperがいない中、『Debut』よりも “エレクトリック” で、且つ散漫なイメージを与えかねないバラエティに富んだ楽曲群(ターンテーブリスト的な手法のヴォーカル処理「The Modern Things」、Busby Berkleyのミュージカルへのオマージュ「It’s Oh So Quiet」、アトモスフェリックなオーケストラが用いられた楽曲「You’ve Been Flirting Again」、「Cover Me」など)をひとつのアルバムにまとめるという大きな課題に取り組んでいった彼女は、サウンドに対してより具体的な指示を出すようになった。

 

1995年のツアー中に喉を痛めてしまった彼女は、『i-D』誌との筆談インタビューの中で次のように記している。「最後までひとりだけでアルバムを制作するように自分を仕向けているのよ。別に素晴らしい才能を持った他のアーティストと仕事をするのが嫌という訳じゃないけれど、最初から最後まで自分ひとりでやってみたいの」

 

 

 

 

HOMOGENIC (1997年)

 

今改めて聴いてみると、『Post』以降のサウンドはBjörkが自分のサウンドを探りつつ、個性を表現しようとしているように思える。メディアで報道されたバンコクでの暴行事件、恋愛の泥沼化と恋人との別離、そして精神異常をきたしていたファンからの殺害予告などで精神的にパニック状態となっていた彼女は自分のキャリアを振り返ることになり、その結果として初のマスターピースが生み出された。

 

『Homogenic』リリース前後のインタビューを読むと、彼女がエレクトロニック・ミュージック、そしてそれと自然との関係性に強い興味を持っていたことが理解できる。『Q』誌では、「テクノと自然は同じ」と語り、『Ray Gun』誌では、このアルバムはアイスランドの山へラジカセを持って行って聴けば最高の形で楽しめると語っている。そして多くのメディアが、その後のキャリアを通じて彼女につきまとうことになる「小悪魔的な魅力」を打ち出すためにこれらの発言を多用した。改めて考えてみると、このような発言が彼女の作品制作における美学を定義づけていったとも言える。

 

「ベースを入れると、クリエイティビティをはじめとした他の部分が眠ってしまう」(1997年)

 

『Homogenic』におけるBjörkは、最近逝去したMark Bellは別として、コラボレーションパートナーをそこまで重用していない。自分の裁量でアルバムを制作していた彼女は、前作のTrickyとのコラボ−レションで用いられたミニマリズムを更に押し進め、かつてのせわしないメロディーを一度完全に消化しきったかのようなアイスランド・テクノ的作品を生み出した。「Five Years」のメロディーは空虚なスペースで鳴っているかのように実体が感じられず、ひとつずつサウンドが暗くなり、エコーの中へ消えていく。他の楽曲では、『Post』で用いられていた壮大なストリングスがより複雑になっており、その空間を活かしたサウンドは孤独でスピリチュアルだ。後日、本人はストリングスについて、「当時はストリングスを弓で神経を弾いたようなサウンドだって思っていたの」と説明している。

 

その他の部分に目を向けると、ドラムサウンドは以前よりも「素材」として扱われるようになっており、ようやく彼女が好んでいたエレクトロニック・ミュージック的なサウンドに近づいた。しかし、そのサウンドはクッションを1枚挟んだかのように聴こえる。これは彼女がベースを破棄したことに一因がある。『Ray Gun』誌のインタビューで、彼女はベースラインを使用しないという課題を自らに課したことについて触れており、「ベースを入れると、クリエイティビティをはじめとした他の部分が眠ってしまうの」とコメントしている。ベースの欠如がこのアルバムに異世界的ムードを与えており、往年のスタイルから核が取り除かれることで、突如として新鮮なサウンドが生み出されることになった。

 

 

 

 

VESPERTINE (2002年)

 

Björkの2枚目のマスターピースとなった今作は、『Homogenic』が打ち出した「心痛と疲労」の代わりに、「精神の安定」が打ち出されている。この頃の彼女は再び「母」に戻り、ニューヨークでパートナーMatthew Barneyとの生活を営んでいた。 『Vespertine』の歌詞世界は、母なる地球へと成長しようとしていくアーティストの喜び、そしてオルガスムスを迎えたあとの女性の喜びが表現されている。

『Homogenic』では、テクノのテクスチャやストリングスの叙情性を用いた荒々しくも美しい風景が描かれていたが、『Vespertine』には清潔感と優しさが感じられる。Björkは今作でアイスランドの女性コーラスを初めて起用しており、また、雪の上を歩く音のサンプルなどの自然音をパーカッションに用いている。ベースは今作でも重用されておらず、このルールが作曲におけるハードルを高く設定することになった。彼女はコラボ−レーションパートナーに聴かせるまで3年間をかけてラップトップと格闘し、アルバム用の楽曲を用意したが、各楽曲は過度な感傷は感じられず、ラップトップで制作された音楽にありがちな怠惰なミニマリズムも回避されている。ベースの重力から解放されているコーラスとスノーサウンドは天を舞っているかのように美しい。

 

 

 

 

MEDÚLLA(2004年)

 

『Vespertine』に伴うツアーはクラブやフェスティバルではなく、オペラハウスをサーキットするという仕様で行われた。これは本人が言うところの「ポップス」と「エキセントリックな音楽」の間に「流れを生む」ことを目的として企画されたコンセプトで、彼女の役割はその両スタイルの中間地点に立つことだったが、その役割はキュレーターに近かった。そしてこの『Medúlla』でも、キュレーターという役割が継続された。

 

『Medúlla』はBjörkが「プロデューサー」としての立場を最も明確に打ち出したアルバムだ。収録されている14曲はすべてヴォーカルだけで構成されており、シンセサイザーやベース、または鐘(Mike + The ManiacsのPeter Van Hookeによるもの)が時折差し込まれるだけだ。オーディオエンジニアと共にアルバム制作を進めていった彼女は、その手法の「穴」を埋めるべく、The RootsのビートボクサーRahzel、Faith No MoreのフロントマンMike Patton、喉歌歌手Tanya Tagaqなど、様々なコラボレーションパートナーを起用している。

 

彼女のこの制作プロセスは今作の制作の様子をRagnheidur Gestsdóttirが追ったドキュメンタリー映像『The Inner or Deep Part of an Animal or Plant Structure』で確認できる。あるワンシーンではTagaqと彼女が「Mouth’s Cradle」のデモバージョンを流しながらTagaqが入り込めるスペースがどこにあるのか、またどこからTagaqが作曲を担い、別次元の楽曲に変化させるべきかなどについて議論を交わしている。

 

Gestsdóttirの映像では、ロンドンのOlympic StudiosでミキシングエンジニアSpike Stentとアルバムを仕上げるまでの期間、上記のようなプロセスが3大陸のスタジオで繰り返されていく様子が確認できる。尚、そのような念入りなレコーディングのあとでもファイナルミックスの作業は非常に流動的だったようで、Björkが未処理の素材を持ち込んで、Stentとのミキシングを通じて楽曲をまとめていく様子も確認できる。『Medúlla』は、コラボ−レーションパートナーたちの度重なる努力が盛り込まれたアルバムであり、その彼(彼女)らの努力を自分のヴィジョンの中に収めていくという彼女のキュレーションが肝となっている。

 

 

 

 

 VOLTA(2007年)

 

アヴァンギャルドな方向性の『Medúlla』の次にリリースされた『Volta』はBjörkのポップスへの回帰作だ。この方向性は、長期に渡って噂されていたTimbalandとのコラボレーションがついに作品化されたことが原因だが、マネージャーのBirkettの、「次のアルバムは彼女の作品の中で最もコマーシャルな作品だ」という『Music Week』誌への発言も一因になっている。

 

アルバムのリリースの話題性を作るために制作された一連のビデオポッドキャストの中で、Björkは「スタジオに籠もっているマニアックな自分に多少飽きた」と発言している。Matthew Barneyの映画『拘束のドローイング9』のためのブラスサンプルを再編したセッション以外、このアルバムのプリプロダクションは前2作より明らかに緻密さが欠けている。その代わりに、Timbaland、バゾンボグループKokono No 1、バロックポップのAntony Hegartyなど、世界各地のアーティストを迎えた、より直感的なコラボ−レションが行われている。

 

このアルバムでは、アイスランドのブラスバンドから中国琵琶奏者のMin Xiao-Fen(「I See Who You Are」)まで、参加したミュージシャン全員が非伝統的なサウンドを提供している。そして話題となったTimbalandのプロダクションもそのアイディアが共有されており、各ミュージシャンが導き出したアイディアと意図を見事に融合させている。BjörkもTimbalandも共にワールドミュージックに対して寛容であり、このアルバムでは伝統的なサウンドとエレクトロニック・ミュージックの共生方法を見出そうとしている。

 

 

 

 

BIOPHILIA(2011年)

 

『Medúlla』がBjörkの「プロデューサー」としての立場を最も明確に打ち出したアルバムならば、『Biophilia』は彼女の「アーティスト」としての立場を最も明確に打ち出しているアルバムなのかもしれない。10曲程度が収録されているこのアルバムは、ワールドワイドな教育プログラムと科学ドキュメンタリー、ニューヨーク近代美術館によって制作されたiPadアプリを結びつける存在だ。アルバムを取り巻くこれらの「課外授業」は、Björkがプロデューサーとしての自分を更に進化させるために用いた手段なのだろう。

 

BjörkはMelodyneを使った作業を「教会の天井に絵を描くような作業」と表現した。

 

このアルバムにおけるBjörkは、扱いやすいモダンなテクノロジーを利用しながら徐々に逆行し、テクノロジーが残してきた遺産をサウンドで捉えていくという制作プロセスを用いている。アルバムの大半のパートはタブレットで書かれてまとめられたあと、MIDIデータとして読み込まれた。この手法が用いられたことで、SharpsichodやGravity HarpなどがBjörkの指示によって新たに組み立てられたが、伝統的な楽器ではなく、今回の制作方法に適したデジタルインストゥルメントになっている。また、コーラスもデジタル化された。BjörkはソフトウェアMelodyneを使用してハーモニーを生み出し、それを更に変化させながら、新たな形へ組み替えている。本人はこのMelodyneを使った作業を「教会の天井に絵を描くような作業」と表現した。

 

音楽自体は前作に続きスピリチュアルで、トライベッカ映画祭で上映されたライブ映像『Biophilia Live』の記者会見では、「音楽が自分にとって何を意味するのか説明するのは難しいわ。300年も音楽をやっている私みたいな人にとってはね。音楽が欠けることは人生の大きな一部が欠けることになるわ。私にとって音楽は一番のモチベーションなのよ」とコメントしている。

 

 

VULNICURA(2015年)

 

そして最新作『Vulnicura』だが、このアルバムは1993年から始まったプロデューサーとしてのBjörkのキャリアの集大成に感じられる。長年BjörkのファンだったというArcaと組んで制作されたこのアルバムでは、まるで『Debut』での師弟関係が逆転したかのように、BjörkがArcaを導いている。アルバムは中期と同様、様々なコラボレーションパートナーを起用するキュレーション的手法が用いられており、「Quicksand」ではアイルランド人プロデューサーSpacesを起用し、ミキサーにはドローンミュージシャンThe Haxan Cloakを起用している。『Vespertine』以降のすべてのアルバムと同様、このアルバムはまずBjörkによってミニマル的手法を用いたヴォーカルトラックが用意され、それらにコラボレーションパートナーが肉付けをしていくという形で進められた。

 

『Vulnicura』には、内容的には他のアルバム群との共通点が多いが、数多くのサプライズも用意されている。まずそのひとつが「即時性」で、このアルバムはファイナルミックスが終了した翌日にネット上にリークされ、それから数日以内にデジタルリリースされた。その即時性は収録されている音楽とマッチしている。このアルバムの楽曲には感情的なパワーとスピードが感じられるのだ。このアルバムはデモやコンセプトを元に進められず、Björkの歌詞を中心に据えて進められた。

 

このアルバムは『Homogenic』とは逆のアプローチが取られており、ベースを抜くという作曲的な挑戦をする代わりに、歌詞を元にサウンドが決められていった(とはいえ、このアルバムでもベースラインは殆ど聴くことができない)。Emily Wittが担当した『T Magazine』のインタビューで、Björkはこのアルバムのエモーショナルな点について、パートナーMatthew Barneyとの破局を迎えたあとで制作を慎重に進めることは不可能だったとし、「この先3年間自己憐憫にひたるつもりはないから」と説明している。

 

このアルバムは、テーマ性をアルバムごとに成長・変化させていく意欲的なプロデューサーとしてのBjörkにとってまた新たなステージとなった。このフレッシュな『Vulnicura』と共にBjörkは新たなピークを迎えている。プロデューサーとしてのBjörkには更にエキサイティングな未来が待っているだろう。