二月 08

Bernie Grundman:Mastering Masterclass

数々の名盤のマスタリングを手掛けたエンジニアがサウンドへの拘りを語る

By Frosty

 

Bernie Grundmanは幼い頃からサウンドを自分の人生にしたいと思っていた。そして、その夢を学生時代や空軍時代も持ち続け、ハリウッドで実現した。Grundmanは伝説のジャズレーベルContemporary Recordsでしばらく働いたのち、1968年にA&M Recordsのチーフマスタリングエンジニアに就任した。

 

そのA&M Records時代を通じて、Carole King『Tapestry』、Steely Dan『Aja』、Michael Jackson『Thriller』などを含む数々のプラチナアルバムやゴールドアルバムを手掛けたGrundmanは、1984年に自分のマスタリングスタジオBernie Grundman Masteringをハリウッドに設立。ここでもPrince『Purple Rain』、Dr. Dre『The Chronic』などを含む数々の名盤を生み出していった彼は、2005年には自分のスタジオがマスタリングを手掛けた37作品がグラミー賞にノミネートされるという快挙を成し遂げている。

 

Red Bull Radioの番組『Fireside Chat』からの抜粋となる今回の記事の中で、Grundmanは独自のマスタリング哲学やサウンドクオリティへの情熱をかき立てるきっかけになった幼少期の思い出などについて語っている。

 

 

 

 

サウンドとの出会い

 

CD、ストリーミング、ヴァイナル、ダウンロードを問わず、マスプロダクトとしての音楽は全て、制作の最終段階で私のような人物を通過する。このプロセスをひと言で説明するなら、音楽業界の “ポストプロダクション” ということになるだろう。私たちはレコーディングやミキシングを終えた音源を受け取ったあと、その音源を最適化しようとする。バラつきをなくし、どのサウンドシステムでも正しく聴こえるようにするわけだ。現存するあらゆるスピーカーで正しく再生されるように最適化するのは難しいが、作り手はあらゆる環境で自分の音楽が満足できる形で再生されることを望んでいる。そこを目指すのが私たちのタスクだ。

 

私は幼い頃から音楽に興味を持っていた。父親が78回転のSP盤をかけている様子を眺めていたことを良く覚えている。まだ小さかった私は、ターンテーブルに載せられたSP盤から音楽が流れているという事実に魅了されていた。当時の私は5歳くらいだったと思う。

 

 

 

“マスタリングの世界に身を置きたいなら先入観を持ってはいけない”

 

 

 

そのあと、私はルーブ・ゴールドバーグ・マシンのように不必要に複雑なリスニング環境を安価で自作した。父親がどこかから手に入れてきた古いジュークボックスをベースにして組み上げた。木片の上に載せた小型のターンテーブルとアームで、父親のSP盤を聴いていた。当時の私はオーディオについて何の知識も持ち合わせていなかったが、1950年代前半はちょうどLP盤が登場した頃だったので、私はLP盤も聴いていた。当時流行していたビッグバンドのLP盤を買っていたが、そこまで詳しいわけではなかった。また、サウンドの再生についてはそこまで興味がなかった。単純に音楽を聴くことだけを楽しんでいた。

 

14歳の時にスクーターを手に入れた。まだ運転できない年齢だったが、アリゾナ州フェニックス周辺で運転していた。当時のフェニックスはまだ小さな町だったからね。その頃、スクーターで良く通っていた小さなストリップモール(編注:全店舗がオープンエアの小型ショッピングモール)にHigh Fidelity Sound Systemsという名前の店がオープンした。窓から店内を覗くと、棚の上にスピーカーやアンプなどがずらりと置かれていた。ハイエンドなオーディオ機器を扱う店だったんだ。当時の私はまだ何も分かっていなかったが、そのオーディオ機器類に目を奪われ、「あれはなんだろう? 中に入って見てみよう」と興味を持った。

 

 

それである日、スクーターを店の外に停めて店内に入ってみた。そして、置かれていた美しいオーディオ機器類を眺めていると、経営者がやってきて「やあ、少し聴いてみるかい? 何かかけてやろう」と言って、レコードをかけてくれたんだが、あの瞬間に私の人生が変わった。分厚い雲が割れて光が差し込んできたような感じだった。そのサウンドの素晴らしさに私は心底驚いた。信じられなかったよ。唖然とした。

 

経営者がかけてくれたレコードはLeroy Andersonの楽曲だった。クラシックなポップさ。もちろん、モノラルだった。1950年代中頃の話なので、おそらくニューリリースだったはずだ。また、当時はサウンドクオリティが良くなり始めていた。この日を境にして、私はレコードとオーディオ機器にあらゆるお金を費やすようになった。レコードの世界に魅了されたんだ。

 

 

ジャズとビートニク

 

毎週土曜日になると父親がフェニックスの中心部まで車で連れて行ってくれたので、私はそこをひとりで歩き回っていたんだが、そこには大きなレコードショップがあった。その店は私が知っている音楽をほとんど全て揃えていた。父親が持っていたようなビッグバンドのレコードをね。それである日、その店のエサ箱を漁っていると面白そうなレコードを1枚見つけた。ジャケットの裏側にミュージシャンたちの写真が掲載されていた。私はそのアートワークに独特の美学を感じ取り、「このアルバムを買って聴いてみよう。ジャケットから判断するにかなり面白そうだ」と思った。

 

当時の私のサウンドシステムはいくらか良くなっていた。スピーカーが1台しかない小さなシステムだったがね。それで、その買ってきたレコードをかけてみると、あの店で初めて聴いた時に得たような素晴らしい感覚を得ることができた。聴いた瞬間に魅了された。そのレコードはビバップだった。Clifford BrownとMax Roachのアルバムだったんだ。偶然、ジャズの歴史に燦然と輝く名盤『Study In Brown』を買っていたんだ。あのアルバムは私に大きな衝撃を与えたよ。その日以来、私はEmArcyのバックカタログを探し回るようになった。その頃の私は、ビバップが何なのか、そのエッセンスが何なのかについてある程度理解できるようになっていた。

 

 

もちろん、あのアルバムのような優れた芸術作品には、初めて触れた時には気付かない “耐久力” と “奥深さ” が備わっているわけだが、初めて触れた時にも何かを感じられる。そして、その何かに惹かれて繰り返し触れていくにつれ、より多くのものを得るようになる。このような芸術作品から得られる経験や気付きには終わりがないように思える。クラシックも同じだ。また、ポップスの中にもそういう作品がある。

 

やがて私はビートニク系の人たちと仲良くなった。彼らはカフェに集まってポエトリーリーディングを開催していて、全員がジャック・ケルアックの小説『路上』を読んでいた。もちろん、流行に乗っている感じも多少あったが、私はとにかく音楽が好きだった。それで、フェニックス市内の数多くのミュージシャンと知り合いになった。その頃の私はレコーディング機材を所有していたので、市内を巡って彼らの音楽をレコーディングするのを楽しんでいた。カクテルバーに出向いてマイクを設置して音楽をレコーディングしたあと、それを自宅で聴き直していたんだ。当時の私は少しスノッブだったと思う。ジャズは他の音楽よりも優れていると思っていたからね。

 

 

マスタリングとエモーション

 

ここで、私の音楽哲学における非常に重要な側面をひとつ話しておきたい。長い時間の中で、私は音楽に対する考え方を見直していった。ひと言にまとめれば、音楽は非常にエモーショナルな体験だ。音楽は、私たち人間の体験をエモーショナルに表現したものなんだ。私たちは誰もが同じ感情を持っている。音楽のスタイルや国・地域によっては、特定の感情が自分には親しみのない形で表現されることもあるが、その感情自体は誰もが持っている共通のものだ。

 

たとえば、クラシックのように長大で感動的なストーリーを語ってくれる音楽がある。このような音楽は、私たちを壮大なエモーショナル・ジャーニーへ連れ出してくれる。その一方で、非常に細かくて小さな感情だけを表現している音楽もある。しかし、両者の重要性は変わらない。そのような音楽は、ダンスやパーティだけのためだけに存在するのかもしれない。しかし、その音楽を専門にしているアーティストたちは、みんなを踊らせたいという強い感情を持っている。その意味では他の音楽と価値は同じだ。共生しているんだ。

 

 

 

“マスタリングとは音楽のエモーショナルなメッセージをリスナーがより簡単に受け取って体験できるようにすることだ”

 

 

 

私のようにマスタリングの世界に身を置きたい人は先入観を持ってはいけない。ミキシングエンジニアになりたい人も同じだ。特定の音楽を好んでいても、手元に届いた音楽をその好みに基づいた先入観で判断してしまえば、その音楽と繋がれなくなる。その音楽をベターな音楽にできなくなる。先入観があれば、その音楽を理解するまでにかなりの時間が必要になるだろう。また、理解できるできないを問わず、その音楽とリスナーの間に生まれるエモーショナルな繋がりをさらに良くする仕事はできないだろう。

 

私に言わせれば、マスタリングとは音楽のエモーショナルなメッセージをリスナーがより簡単に受け取って体験できるようにすることだ。言い換えれば、その作品の感情表現の重要な要素をリスナーのために引き出すことだ。そして、それらを引き出す方法は、自分がその感情を理解しない限り分からない。ノブに触ったり、ツールを使ったりしながらサウンドを変える際には、自分の作業がその音楽の感情表現にどのような影響を与えるのか知っておく必要がある。その音楽をオープンに感じ取り、その音楽が自分とどういうコミュニケーションを取っているのかを理解するんだ。

 

長い時間をかけて、私はその理解を深めていった。どんな音楽でも、その中に含まれている感情とコミュニケーションが取れるようになった。たとえポルカでも、それを作ったアーティストは自分の音楽を信じているのだから、自分もその音楽を信じなければならない。その音楽を信じられなければ、おそらくマスタリングしたあとのサウンドに違和感を覚えるだろう。なぜなら、自分が情熱を持てていれば、その音楽と繋がれていれば、必ずそこに何かを加えることができるからだ。プロデュースの段階でも、ミキシングの段階でも、そのようなアプローチで取り組めば、リスナーとの繋がりを強められる何か、リスナーにより大きな体験をさせる何かを加えられる。マスタリングも同じだ。

 

だから、たとえポルカでも、オープンに構えて、どんな貢献ができているのかを判断できなければならない。たとえば、先ほど少し話した、誰かを踊らせたりパーティを盛り上げたりするための音楽なら、そこにクラシックと同じマスタリングを施してしまえば、音楽として機能しなくなるだろう。オーケストラはダンスミュージックのようなリズム感を表現できない。なぜなら、オーケストラは大きくて複雑すぎるからだ。クラシックは、リスナーを壮大な旅へ連れ出すには最適だが、リスナーを椅子から立たせてブギーさせるのには適していない。そういう意味で、ダンスミュージックは非常に重要な音楽だ。この音楽は私たちの人生の一部であり、人間の表現なんだ。

 

 

マスタリングメソッド

 

私が講義をする時は、生徒たちに「コンソールの前に座っている君たちのところへある人物がやってきて、君たちが一度も聴いたことがない音楽を渡したら、君たちはその音楽の扱い方をどうやって理解するだろうか? いきなりノブを触り始めたり、音量を上げたりするだろうか? それはマスタリングと呼べるだろうか?」と疑問を投げかけている。

 

多くの人が、マスタリングを "音楽をラウドにすること" と捉えているが、これはマスタリングの競争的側面だ。多くの人が音量の大きさに反応するからね。前に聞いた音楽よりもラウドなら、その傾向は特に強まる。とりあえず気付いてもらえる。しかし、マスタリングはこれだけではない。重要なのは "より良くする" ことだ。しかし、それをするためには経験が必要だ。

 

 

 

“私の仕事は、プロデューサーやアーティストが思い描いていた完成形の具現化を助けることだ”

 

 

 

私はこの仕事を長く続けてきた。誰もが思い浮かべることができる最高の音楽のいくつかを自分のコンソールで聴いてきた私にはアドバンテージがある。良いレコードなのか、正しく鳴っているかを判断できる。ありとあらゆる音楽と一緒に長い時間を過ごせば、そういう判断できるようになるんだ。

 

世の中には、非常に大きな影響力を持つ突出した音楽になる音源が存在する。自然にそうなるんだ。優れた音源は全てそうなる。そして、そのような音源は自分の中の基準になる。たとえば素晴らしいヒップホップの音源を聴けば、私はそれがどんな音楽に仕上がるのか、どれだけパワフルで大きな影響力を持つ音楽になるのかが分かる。しかし、その音源が良いのか悪いのかを判断できるようになるためには、様々な作品を数多く聴いておく必要がある。宿題のようなものだ。自分のコンソールでそのような作品を聴くのは勉強になる。しかし、その最中にもっと良くできる可能性を見出せる時がある。常に上を目指している。これは非常に重要なポイントだ。

 

 

自分を上手く結びつけられない音楽でも、私は「これも人間の表現なんだ」と考えるようにしている。このような音楽に取り組む際は、ベストソリューションを知っていると思い込まない方が良い。サウンドを多少調整して、プロデューサーがイメージしていなかった別の方向を示すことはできるだろう。しかし、それが正しい方向とは限らない。自分が受け取った感情はプロデューサーの望んでいた感情よりアグレッシブかもしれない。プロデューサーはもう少しロマンティック、またはスムースなサウンドを求めているのかもしれない。

 

私の仕事は、プロデューサーやアーティストが思い描いていた完成形の具現化を助けることだ。彼らは、自分たちの作品が思い描いていたようなパーフェクトなサウンドではないことを分かっている。さらに良くできる可能性があることを知っている。なぜなら、ミキシングなどの前段階で苦労したからだ。ミックスダウンのあと「オリジナルのイメージに近いが、そのものではない」と思うわけだ。私は、オリジナルのイメージにさらに近づける手助けをするために存在しているんだ。

 

私はクライアントに立ち会ってもらいたいタイプだ。彼らが横にいれば、いくつか試しながら向かうべき方向を見極められる。彼らが元々持っていたアイディアに近づけることができる。クライアントが立ち会っている時は、「あなたが持ち込んだサウンドはこうだが、ここをこう変えれば、リスナーのエクスペリエンスをより大きくしたり、彼らをさらに引きつけたりできると思う。どうだろう? この方向で正しいかな?」などと言って、フィードバックを得ようとしている。

 

最近はただファイルが送られてくるだけのケースが多いので、立ち会いなしでマスタリングをして、テストバージョンをクライアントに送り返している。大半はそれでOKだが、同じ方向をさらにプッシュしてくれとリクエストされることもある。これもマスタリングプロセスの一部だ。ミキシングと同じで、何回かトライするケースもある。マスタリングもトライ&エラーで、様々な実験を重ねていく。具体的なアイディアが見えてこない時は、いくつか試してみて、自分のどんな感情的な変化が生まれるのかを確かめていく。機能するアイディアもあれば、機能しないアイディアもある。また、手を加える必要がないという判断が必要になるケースもある。そのままで全く問題ない時があるんだ。

 

 

マスタリングがもたらす変化

 

マスタリングをしていくうちに、全く別の音楽に変わっていったアルバムが1枚ある。その時の私は、自分が手を加えたあとの音楽とオリジナルの違いの大きさに心底驚かされたが、アーティストは私の仕事をかなり気に入ってくれた。

 

そのアルバムは、Sérgio Mendes & Brazil ’66の作品で、アコースティックサウンドが大量にレコーディングされていた。音源のミックスは問題なかったが、ブラジル音楽最大の魅力と言える要素をいくつか消してしまっていた。特定の帯域に拘りすぎていたんだ。低域にパンチ力を持たせようとしてね。それで、私がその目立っていた低域をリアルでナチュラルなサウンドに変えていくと、自分で自分の仕事に舌を巻くことになった。ここまで良くなるのかと驚いたよ。

 

 

音源の中に埋もれていたものを私が見つけ出した。それが、作品全体を活き活きとさせた。音楽性が高まり、音楽体験が向上した。ナチュラルでリアルなサウンドに変わったんだ。これは、私たちが使っていた機材によるところも大きかった。私たちは自作した機材を使っていた。サウンドのクオリティを損なわないために自分たちで組み上げた機材をね。世の中にはサウンドマニュピレート用機材が沢山あるが、それらには不自然なサウンドを加えてしまうというデメリットがある。

 

そこで、私たちは使用機材の多くを自作している。プロセッサは全て自分たちでチェックして、オリジナルのラインアンプを組み込んでいる。電源部分もオリジナルだ。小型化のために色々と省略して、サウンドクオリティを犠牲にしてしまっている製品は多い。また、私たちは常に自分たちの耳で判断している。これが良い製品かどうかを判断できる唯一の方法だ。仕様書やデータだけでは判断できない。周囲の評価さえ参考にはできない。自分たちの耳で何回も比較検討する必要がある。自分が何を聴いているのかを教えてくれるシステムやテスト用機材は存在しないからね。

 

 

 

“新しい世代のエンジニアの多くはコンピューターに頼りすぎていて、テクノロジーに毒されている”

 

 

 

機材テストの内容は非常に原始的だ。変調歪みや全高調波歪みなどをいくつかのベーシックなテストでチェックするだけだ。これらのテストは対象のシステムがどれだけクリーンなのかを私たちに教えてくれるが、そこに複雑な情報を通した時にどうなるのかまでは分からないので、全ての機材で複雑な情報を通すテストをする必要が出てくる。2つの機材を用意して、音楽のような複雑な情報を通してテストすると、テスト結果がほぼ同じでも、実際の聴こえ方は大きく異なるケースがある。

 

処理や操作を加えれば加えるほど、音質は下がっていく。どれだけ高価な機材でも、私たちの自作システムでさえも、使用すればその対価を支払わなければならない。ただし、私は音質だけを重視しろと言っているわけではない。そこだけに拘ってしまえば、自分が狙っている音楽的効果が得られなくなるからだ。

 

クオリティを求めているなら、音楽のクオリティを意識しなければならない。ジャズやクラシックは楽器と環境の鳴りが全てだが、ポップミュージックはそうではない。楽器をあえて自然な鳴りとは違うものにする時がある。「リスナーの注意を引く新しいサウンドを生み出したい」、あるいは「興味深いサウンドやリスナーを魅了するサウンドが欲しい」というアイディアが幾重にも重なっているという特徴が、ポップミュージックをユニークなアートフォームにしている。このような音楽を扱う時は音質だけを重視するわけにはいかない。

 

感情を大きくする、印象的な歪みを得るなど、自分が求めている音楽的効果をさらに高めるために何かサウンドに手を加えたいと思った時は、迷わずそうすべきだ。何の問題もない。ルールは存在しない。

 

より多くを引き出すためにやっているということを意識する必要がある。そして、慎重に取り組む必要がある。なぜなら、最近は機材の種類が増えていて、ありとあらゆることができるようになっているからだ。シンガーのピッチを変える、テンポをパーフェクトにするなどをコンピューターでできるようになっているが、簡単に音楽の “命” を奪い、機械的なサウンドに変えてしまう可能性がある。新しい世代のエンジニアの多くはコンピューターに頼りすぎていて、テクノロジーに毒されている。彼らは、自分たちができることの素晴らしさに魅了されすぎていて、実際に自分たちのしていることがどんな変化を音楽に加えているのかを聴いていない。

 

 

全体を捉える力

 

もちろん、オリジナルの音源の歪みが非常に大きな効果を生み出しているケースもある。先日、DJが手掛けたMichael Jacksonの古いレコードを使っているアルバムを扱ったんだが、「Dirty Diana」の中盤のチェロサウンドがわざと歪ませてあって、それが非常に大きな効果をもたらしていることに改めて気が付いた。

 

このような古い作品を聴くと、サウンドに変化を加えていることで素晴らしい効果が生まれているのが確認できる時がある。非常に効果的である上に、感動的でもある。音楽体験として非常に優れている。これが何よりも重要だ。どんな手が加えられていても私は構わない。優れた音楽体験をもたらし、誰もが共感できるようになっている方が重要だからだ。様々なセクションに変化を加えたあと、全体の音楽体験はどうなったのか - ここが重要だ。なぜなら、変化を加えたことで音楽が機械的になってしまう可能性があるからだ。フィーリングが何も感じられない、正確すぎるサウンドになる可能性がある。それはもはやただの機械でしかない。

 

 

サウンドステージについて話をしよう。自分が手を加える音源を聴くと、レコーディングで使用された全ての楽器とヴォーカルがミックスの中で “配置” されていることが理解できる。私たちはこの配置をサウンドステージと呼んでいる。そこにはリスナーに届けたい全てのサウンドが用意されている。

 

優秀なミキシングエンジニアは、サウンドステージを音楽が躍動できる環境・空間として用意し、リスナーをそこへ引き込む必要があることを知っている。音楽のためだけに存在するプライベートエリアだ。彼らは、自宅の椅子に座っているリスナーを別の空間、つまり、音楽と対面できる魔法の空間へ連れて行く。これが最終目標なのだが、この目標に到達するのは非常に難しい。世界最高のミキシングエンジニアなら、リスナーをミュージシャンの目の前に連れて行ける。そしてリスナーはその空間の中を自由に動き回り、その空間の雰囲気や奥行きも感じることができる。目の前にミュージシャンがいるという実感を得ながら、空間全体の雰囲気も味わえるんだ。

 

 

 

“音楽との距離が近すぎると、全体的な音楽体験として楽しめなくなる。常に一歩下がって、全体像を聴けるようにしておく必要がある”

 

 

 

これを実現するのは本当に難しい。なぜなら、リバーブやエコーを使うと、サウンドステージがぼやけて、全ての楽器やヴォーカルがてんでんばらばらになってしまう可能性があるからだ。私はミキシングエンジニアではないので、トップレベルのミキシングエンジニアたちがどんな作業をしているのかは分からないが、彼らならリスナーを全く別の空間へ連れて行くことができる。私たちをスペシャルな空間へ連れて行くんだ。

 

Michael Jacksonのアルバムの大半でミキシングを担当したBruce Swedienは、世界最高のミキシングエンジニアのひとりで、『Thriller』はベストワークのひとつだ。このアルバムを聴くと、まるでMichaelが目の前にいるように感じられるが、同時にその空間の中を自由に歩き回ることができる。彼が生み出すサウンドステージは本当に素晴らしい。あのアルバムと、『Off The Wall』のようなMichaelの他のアルバム群の音楽体験は非常にスペシャルだ。Quincy(Jones)が関わっていたというのも大きいがね。『Thriller』はこれまでに1億1,000万枚売れているという事実が、それを如実に物語っている。

 

私が一緒に仕事をしてきたアーティストの中には、細かく指示を出してくるアーティストが何人かいたが、Joni Mitchellのようにそうではないアーティストもいた。マスタリングの方向性のアイディアの多くは、エンジニアとの会話から生まれてくる。もしくは、私が機能するだろうと思った方向にひとりで進める。Princeの場合は後者だった。

 

 

Princeの初期アルバム群のマスタリングを担当していた頃、彼はほとんど指示を出さなかった。私が機能するだろうと思った方向に進ませてくれた。ちょっとしたリクエストを伝えてくる時も何回かあったがね。私は自分のモニタースピーカーとシステムを熟知していたので、どのアイディアが機能するのかについて理解していた。Michael Jackson『Thriller』のマスタリングは、ひとりも立ち会わなかったんじゃないかな。私ひとりで進めたはずだ。

 

あのアルバムがあそこまで売れるとは思っていなかったが、素晴らしいアルバムだということは分かっていた。オーディオマニアの視点から言わせてもらえば、サウンド自体は『Off The Wall』の方が優れている。これにはいくつかの技術的な理由がある。たとえば、レコーディングに使用されたテープが異なる。『Off The Wall』のサウンドの方が自然でリアルだ。しかし、『Thriller』はとにかく強力なアルバムだった。

 

 

休憩の重要性

 

聴覚疲労に苦しんでいないのはラッキーだと思う。ミキシングエンジニアの多くは音楽を大音量で聴いているし、アーティストも大音量で聴いて、自分の作った音楽に興奮したがる。私たちマスタリングエンジニアは、そこまで大音量では聴いていないので、音楽を聴くことに疲れていない。肉体的にもね。大音量で音楽を聴くと疲れてしまうし、長時間聴いていると正確な判断ができなくなってしまう。

 

自分が取り組んでいる作品から、自分が望んでいるものが引き出せていない時やアイディアが枯渇している時、次に何をしたら良いのか分かっていない時は、一旦作業を中断してスタジオの近所を散歩する。ブラブラと歩き回ったり、他のエンジニアたちと話したりしたあと、また作業に戻る。そのあとでまた音楽を聴くと、「この作品に何が必要なのか分かったぞ!」と思えることが多い。

 

音楽との距離が近すぎると、全てがバラバラに聴こえてくるようになり、全体的な音楽体験として楽しめなくなる。そこに詰め込まれているサウンドや、含まれている要素については細かく具体的に把握できるが、音楽全体として成立しなくなる。客観的に聴けないということだ。客観的にも具体的にも楽しめる音楽にする必要がある。常に一歩下がって、全体像を聴けるようにしておく。音楽全体がどう鳴っているのかが分からなければならない。

 

ミキシングエンジニアもこの問題を抱えている。彼らは楽器、エフェクト、ヴォーカル、ループなど、個々のサウンドを細かく聴いていくわけだが、同時にそれらをひとつにまとめなければならない。だから、彼らにも休憩が必要だ。一歩下がる必要がある。私には、ひたすら作業を続けても満足できず、結局満足できないまま終わった楽曲を1ヶ月後にラジオで聴いて「素晴らしいサウンドじゃないか! あの時の私は何を考えていたんだ?」と思った経験がある。作業中の私は「まだできることがある」と信じ込んでいたんだ。

 

 

Dr. Dreとの仕事

 

私には、Dr. Dre『The Chronic』のようなメジャーヒップホップアルバムを数枚手掛けた経験がある。ヒップホップのマスタリングで私が注意しているのは、リズムとフロウからグッドフィーリングを得られるようにするということだ。ヒップホップは、途切れないグルーヴと言葉が全てだ。そこに気持ち良い流れがなければならない。

 

『The Chronicle』は革命的なヒップホップアルバムのひとつだった。Dr. Dreがこのアルバムのマスタリングの方向性についてアイディアを持っていたのかは分からない。楽曲は用意できていたが、マスタリングをどうすべきか、私たちが何をすべきかについて彼にアイディアがあったのかは分からない。具体的にどんなマスタリングをしたのかについては今はもう思い出せないが、2人で一緒に作業をしたこと、2人が機能すると思ったアイディアを試したことは覚えている。かなりの時間を費やした。他の作品とは一線を画すサウンドにしようと努力したが、同時にそこまで手を加えたくなかった。なぜなら、音源のクオリティが非常に高かったからだ。私たちは、その良さをさらに引き出し、力を貸したいと思っていただけだった。

 

 

50年のキャリアを振り返ってみると、とことん情熱を注げることを仕事にできた私は本当に幸運だったと思う。このようなチャンスを得られない人や、情熱を見つけることができない人は数多くいる。自分に適した何かを見つけることができれば、あとは情熱がどんな状況も打破して自分を前に進めてくれる。自分の目標を実現できる状態を維持できるようになる。常に集中できているんだ。

 

スタジオで作業している時は、誰にも邪魔されたくない。意識が削がれるような物を周りに置いておきたくない。クライアントが立ち会う時でさえ、彼らがいる間にエディット、アセンブリ、フェードなどの機材操作は一切やりたくない。ただサウンドを聴いて、サウンドがどうやってリスナーとコミュニケーションを取るのかを理解したい。私の仕事は大きく2つに分けられる。ひとつは技術的な仕事、もうひとつはクリエイティブな仕事だ。その両方で、音楽の感情と自分がしっかり繋がっていたい。機材を触っている時もその繋がりを失いたくない。その繋がりを切り、エディットやクライアントのリクエストに応える作業をしたあと、次の楽曲に移るというような仕事の進め方はしたくない。常に音楽と繋がっていたいんだ。

 

 

Photos:©David Goggin