六月 23

ビーカー&ビート:Boylan

教師とフットワークアーティストという2つの顔を持つ男の魅力

By Ezra Marcus

 

Nate Boylanは現在38歳。結婚して2人の幼い娘がいる。彼は生化学と教育学の修士課程を修めており、シカゴのサウスサイドにあるThornwood High Schoolで10年以上にわたって教鞭を執っているが、放課後になればすべてが変わる。「Boylan先生」から世界的に知られているシカゴのフットワーククルー、Teklifeのメンバー「Boylan」になるのだ。アーティストであり教育者でもある彼は、ビーカーとフラスコを扱う昼の顔とフットワークシーンに関わる夜の顔という2つの顔を持つ。

 

そしてその境界線は時として曖昧になる。

 

「俺は高校でプレイできるだけのクリーンで健康的なトラックを作っているから、授業と授業の間の時間を使って1日に2度プレイしてもらえるんだ」SkypeのインタビューでBoylanはこう言って笑った。「その中の1曲がMigosの『Brand new day and the birds they chirpin』(新しい1日だ。鳥たちも歌っている)ってフレーズを使ってるんだけど、この元ネタが実はドラッグ売買についてのトラックだってことを知ってるキッズはほんの少しだけさ。とりあえずまだ校長は分かってないね」

 

Boylanのフットワークへの愛情は2000年代初頭から続いている。「MySpaceが流行っていた時があっただろ? 俺はミシガンに住んでいた2003年頃からトラックを作っていた。その頃からRashadと連絡を取るようになって、俺のトラックを送っていたんだ。まだクオリティは全然ダメだったけど、Rashadは光るものがあるって言ってくれていた」

 

 

 

“DJ Elmoeの成績には「D」をつけた。授業の半分は寝ていたからさ。良い生徒だったけど化学の授業はサボってたね”

 

 

 

BoylanはKnox Collegeで生化学を専攻して2000年に同校を卒業すると、しばらく代理教師として働いていた。その後、2004年にシカゴに移るとRashadの母校であるThornwood High Schoolで専任教師として働き始めた。この高校は都市部に位置する多種多様な生徒が通うマンモス校で、フットワークのプロデューサーやダンサーを多数輩出している。

 

BoylanがThornwood High Schoolで働き始めた頃、この学校はシカゴのシーンの中心的な役割を果たしており、やがてBoylanもフットワークシーンで名前を見かけるアーティストたちが自分の授業を選択していることに気が付いた。「DJ Elmoeの成績には “D” をつけた。授業の半分は寝ていたからさ。良い生徒だったけど化学の授業はサボってたね」

 

Boylanは朝から午後にかけて怠惰なフットワークアーティストたちに勉学を教えていたが、いざ放課後になると、今度は逆に彼らから学ぶことになった。2005年にDJ Rashadと出会ったBoylanはすぐに彼と親友となり、放課後に化学室を閉めるとすぐにRashadのスタジオへ向かった。「奴は高校から5kmも離れていない場所に住んでいたんだ。だから学校が終わるとそこへ向かっていた」BoylanはDJ Spinnや当時はGhetto Teknitianzと呼ばれていたクルーの他のメンバーとも仲良くなったが、仲間として認められメンバー入りを果たすまでには時間と努力を要した。「俺が正式にメンバーになったのは2009年頃さ。色々頑張ったね」

 

Boylanのファーストリリースが世に出たのは2011年のことだ。DJ Rashadとのコラボレーションとしてリリースされたその6曲入りEP「Look to the Sky」のゴージャスなタイトルトラックは、RashadとBoylanが滑らかなRoy Ayersのヴォーカルに熱いビートを加えたものだ。このEPの他のトラックでもLil WayneやWaka Flockaがサンプリングされている。このEPの制作過程について、Boylanは「俺はある意味時代遅れなんだよ。全部ハードウェアで作った。サンプルはAcidを使ってトリミングした。制作はサンプルから始める時が多いね」と振り返った。また、ハウスミュージックの肝が低音にあるとするならば、Boylanにはそれが十分に備わっている。彼は『Chicago Reader』のインタビューで「俺はノシノシ歩く巨漢だろ。それにドラムの音もでかいし、クラップもうるさいんだ」と答えている。

 

しかし、Boylanははた迷惑な乱暴者ではない。彼にはサンプルを丁寧に料理し、フットワークの文脈に落とし込む見事な手腕が備わっている。2011年にPlanet Muからリリースされたコンピレーション『Bangs & Works Vol. 2』に収録されている「Bullet Proof Soul」を聴けば、彼がSadeのヴォーカルをガラス職人のように丁寧に扱い、誰も真似できないような美しく繊細なものへ変えているのが分かるはずだ。

 

 

 

 

2000年代中頃に撮影されたTeklifeクルーの集合写真を見ると、Boylanは浮いているように思える。20代そこそこの黒人の中に混ざって写っているこの30代の白人は誰だ? と思う人もいるだろう。しかしBoylanは、その質問は的外れだと考えている。彼にとってTeklifeはファミリーなのだ。「Teklifeは俺たちのライフスタイルなんだよ。トラックもそうさ。俺たちがTeklifeなんだ。分かるだろ? 俺たちはTeklife、Ghetto Tekinitianzそのものなのさ」

 

自宅の裏庭にクルーが集まって仲良くバーベキューをしていた頃を振り返るBoylanの表情は明るかった。「昔はよく自宅の庭でバーベキューをしたものさ。マカロニ&チーズを食べて、ドリンクを飲んで、トラックを作ってね」しかし、彼の人生には転機が訪れた。「子供が生まれてさ。そういうことができなくなったんだ」

 

 

現在Boylanは2歳と4歳の娘2人の父親であり、もうすぐ3人目も生まれる予定だ。筆者もSkype中に彼の家族を見る機会に恵まれた。Boylanがスマートフォンのカメラをぐるりと控えめな部屋を一周させると、夫人から挨拶され、娘2人はアニメを見ている顔をカメラの方へ向け、笑顔を見せた。また、Boylanは階段下の小さなクローゼットに機材を詰め込んだスタジオも見せてくれた。スタジオにはシンセ類とモニター、そしてTeklifeのステッカーが貼られた旧式のラップトップが置かれていた。

 

Boylanは長女に音楽制作を教えていると言うと、「娘は手が小さくてパッドが押せないから、俺が代わりにRecボタンを押してやるんだよ。トラックは誰でも制作できる。長女はFugeesのサンプルを使って俺よりイカしたトラックを作ったしね」と続けた。

 

 

 

“DJ Rashadのことは良く思い出す。学校のロッカーには奴のポスターを貼ってあるんだ。親友のひとりだった”

 

 

 

Boylanの家族が大きくなっていく中、Teklifeファミリーにはトラブルとチャンスが訪れた。昨年4月、DJ Rashadがこの世を去った。彼の死はクルー全員に大きなダメージを与え、また世界各地のフットワークファンがこのジャンルの道標だった彼の死を悼んだ。

 

「奴のことは良く思い出すよ。学校のロッカーにはDJ Rashadのポスターを貼ってあるんだ。親友のひとりだった。俺の人生で出会った中で最高のひとりだった。俺がそう言えるのは、奴とSpinn、それに小学校の同級生数人と家族くらいさ」

 

Rashadとの一番の思い出は何かと訊ねると、Boylanは「危なくて言えないよ。ノーコメントだね」と笑い、次のように続けた。「でも、Jukefest 2010は最高のパーティだった。奴がサングラスをかけて腕組みをしている写真が残ってるよ。超満員で室内も異常に暑くてやばかった。クレイジーだったね。でもひとつだけには絞れない。奴と一緒に過ごした時間がすべてが最高の思い出だからさ。ワイルドなパーティだけじゃなくて、音楽に関係ない時間もね」

 

BoylanはRashadとの思い出を「He Watchin’ Us」というトラックにまとめ、Hyperdubのコンピレーション『Next Life』に提供した。メタリックなスネア、細切れのブレイクビーツ、力強いシンセフレーズ、伸びやかなパッド、そして液体のようなヴォーカルが旋回するようなヒプノティックなサウンドにまとめあげている。筆者はBoylanをアニメ『アバター 伝説の少年アン』の主人公、火・土・水・気の4元素を自分の周囲に浮かばせているアンとつい重ね合わせてしまう。

 

 

Boylanはこのトラックについて次のように解説した。「使っているヴォーカルはRashadが俺のスタジオで録った最後のものなんだ。奴らしいクラシックな部分を使った。あとはE-Mu MK6のパッドも使ったね。これは最高のシンセさ。昔ながらのフットワークサウンドなんだ」

 

Rashadの死は、Teklifeが世界的な人気を獲得して始めていた頃に起きた。それまでの数年間で、Teklifeクルーはニューヨーク(Tripletrain)やベルグラード(FeloneezyとJackie Dagger)など世界各地からメンバーを集め、同時に創設メンバーたちがヨーロッパやアジアまで足を伸ばしてツアーするようになっていた。「世界から『お前らの順番だ」って呼ばれたのさ。今は世界のものになっているよね」

 

「最近はみんなで顔を合わせることも少なくなった。Rashadがこの世を去り、Spinnは常にツアーしている。ヨーロッパのメンバーの中には会ったことさえない奴もいるよ。みんな自分たちのことをやっているのさ。Rashadの葬式で数人のメンバーに会ったくらいさ」

 

世界各地を回るクルーの話をする時のBoylanは少し寂しそうだ。彼は一度も国外に出たことがない。それは家族の希望であり、また学校のスケジュールがタイトなため、ツアーに充てられる時間はほとんど残されていないからだ。しかし、それでも彼は自分が出来ることを続けている。最近の彼はThornwood High Schoolのフットワークダンスチームを指導することで、地元のフットワークを守ろうと努力している。

 

「とにかく出向いて、キッズたちにやらせないといけないのさ」彼はため息をつく。「Thornwood High Schoolのフットワークを死なす訳にはいかない。ここから始まった訳だからさ。RashadとSpinnはこの学校に通ったんだから」Boylanはインターナショナルな音楽としてフットワークが成長していく姿を見守り、またそこへ参加してきた。また、Thornwood High Schoolの卒業生である自分の仲間たちが海外のフェスティバルへ出演する姿を見てきた。つまり、彼はこのシーンがスローダウンすることを一切望んでいないのだ。しかし、ひとつ疑問が残る。フットワークは今のまま注目を集め続けられるのだろうか?

 

「今まで以上に大きくなると思うよ」彼は落ち着いて考えながら答えた。「世界各地に存在するようになるだろうね。でもそのあとどうなるかは分からない。誰にでも日が当たる時があるけれど、日が当たらなくなる時も来るからさ」