九月 12

The Awesome 2が語るヒップホップ黎明期

ヒップヒップラジオのキングことSpecial KとTeddy Tedがヒップホップ黎明期の思い出を語った。

By Phillip Mlynar

 

Special KとTeddy Tedはヒップホップラジオのキングと言える存在だ。Awesome 2としてコンビを組んだ2人は105.9 WHBIでアンダーグラウンドヒップホップをプレイする深夜番組をホストした。この番組は1982年から2004年まで続き、ヒップホップ番組としては最長記録となっている。当時ニュージャージーに住んでいた2人はバスに乗ってマンハッタンへ向かい、放送を収録すると、あとは始発バスが出るまでニューヨーク市内に留まり、様々な交流を持った。

 

Audio 2の「Top Billin’」をはじめ、数々のトラックをブレイクさせた2人(2人の関係は従兄弟にあたる)は、世間の評価を利用し、ラジオ局の近所にあったLatin Quarterで毎週火曜日にCelebrity Tuesdaysを開催した。このような活動から豊富なコネクションを培った2人は、その後アーティストマネージメント業にも進出し、Big Daddy Kane、Nice & Smooth、Edo G and Da Bulldogsなどゴールデンエイジ・ヒップホップのアーティストたちを支えた。30年以上に渡り、ヒップホップのアンバサダーとして人々の記憶に残り続けてきたSpecial KとTeddy Tedに今回は当時を振り返ってもらった。

 

 

WHBIでの最初の放送はいつでしたか?

 

Teddy Ted:1982年5月18日だな。

 

最初にプレイした曲を憶えていますか?

 

Special K:憶えてないな。

 

Teddy Ted:凄い昔だから。

 

Special K:当時はどんなアーティストがいたっけ?

 

Teddy Ted:CD IIIはビッグだったな。「Get Tough」がヒットした。あとはRockmaster ScottやJerry Blood RockのDynamic Three。JerryはニュージャージーのWHBIでラジオ番組を持っていたから、俺たちが番組を始めた当初は色々面倒を見てくれたんだ。

 

Special K:Fearless FourやGrandmaster FlashみたいなSugar Hillのレコードもよくかけていた。その後はFat Boys、Whodini、Run-DMC、LL Cool Jなど、Fresh Festのアーティストがお気に入りになった。最初はCold Crush Brothersなどで、そこから徐々に移行したんだ。

 

シーンがSugar HillのようなサウンドからRun-DMCのようなよりハードなサウンドへ移行した際、問題は生じませんでしたか?

 

Teddy Ted:自然な変化だったし、問題はなかったね。俺も抵抗はなかったよ。(しばらく考えて)いや、あったな。Treacherous ThreeやFearless FourたちはLL Cool Jに突っかけていたね。LL Cool Jは派手な新人だったし、ビーフもあった。T La Rockを始め、みんながLL Cool Jと揉めていたよ。でも俺たちからの文句はなかった。ベテランが新人を気にしていたって話だからね。

 

 

LL Cool Jは番組に出演しましたか?

 

Teddy Ted:ああ。LL Cool Jは番組に来る前から知っていたんだ。最初に番組に出た時は偉そうだったね。

 

それは良い意味で?

 

Teddy Ted:いや、そうじゃない。奴は最低だったよ。俺は奴のことは大好きだし、友人だけど、あの頃、嫌っていた人は多いと思うね。あっという間にスターになったのがあの態度の原因だろうな。

 

Special K:だと思うね。確かに当時は偉そうな奴は多かったけど、みんなアーティストだったし、本人たちに悪気はなかったと思う。でもLL Cool Jはその中でも特に偉そうだったな。

 

Teddy Ted:今と比べると別人だった。みんなガキだったんだ。地元で知られている程度の奴が突然世界中からリスペクトされる環境に放り込まれたら、その環境が自分に影響を与える部分は必ず出てくる。だから責められないね。こちら側がその存在を受け容れて、扱い方を学ばなければならないんだ。

 

他のラジオ番組と良いライバル関係を築けましたか?

 

Teddy Ted:俺たちはあまり関係なかったね。元々俺たちはアンダーグラウンドだったから他とは勝負にならなかった。だけど、それ故にリスナーから愛されたんだ。俺たちに楯突いてくる奴はいなかったね。(Hank Love & DNAの)DNA位かな。

 

Special K:俺たちは彼らより早い時間帯に放送していたし、自分たちで「新人です!」って周囲を煽っていたからな。

 

Teddy Ted:でも奴ら位だった。Red AlertやChuck Chilloutは応援してくれたし、Afrika Islamも番組の後に立ち寄ってくれて挨拶してくれた。

 

当時新曲を楽しみにしていたアーティストはいましたか?

 

Teddy Ted:De La Soulだね。いつも新曲を待っていた。あとはLL Cool Jもそうだな。

 

Special K:俺は当時Rakimが好きだった。彼は他とは違って、尖っていたからね。次に何をしてくれるんだろうって楽しみにしていたよ。

 

 

番組が有名になった後、アーティストマネージメントを始めましたが、その経緯について教えてください。

 

Teddy Ted:今俺たちがやっていることは、昔からやっていたことなんだ。ただ自覚していなかったってことなのさ。他のアーティストと同じだよ。アーティストがビデオクリップのアイディアを持っていても、結局クレジットはそのビデオの監督に与えられるだろ? それと同じで、俺たちは昔からアーティストのケアやブッキングをしていたが、それがアーティストマネージメントだってことを知らなかったのさ! Audio 2やKid ‘n’ Playに電話し、「ライブのオファーがあるけど、カナダに行くつもりあるか?」なんて伝えていた。始めたのは自然な流れだった。

 

正式に契約した初めてのアーティストは誰でしたか?

 

Teddy Ted:多分1985年のThe Real Roxanneだと思う。UTFOが「The Real Roxanne」をリリースして大流行した。あんな騒ぎはヒップホップシーンで初めてのことだった。20人位の他のアーティストたちが「Roxanne’s Revenge」や「Roxanne’s A Bitch」など、大量のアンサーソングをリリースしたんだ。UTFOはその状況を見て自分たちで女性を用意して、「The Real Roxanne」をレコーディングしたのさ。最初のライブはUncle Lukeと共演したフロリダだった。1985年頃だな。

 

ライブはどんな感じだったのでしょう?

 

Teddy Ted:クレイジーだったよ。当時の俺は他の都市に行ったことなんてないに等しかったから、寒いニューヨークの気候に合わせてレザーパンツを履いてマイアミへ向かった。空港までは良かったが、外へ一歩出た瞬間、熱風にやられた。「何だよ!」って思ったね。Lukeたちに笑われたよ。Lukeとは数多く共演した。彼はアーティストになる前はプロモーターだったからさ。

 

Roxanneの中でお気に入りの曲は?

 

Teddy Ted:最初の曲だな! Howie Teeとの2作目「The Bang Zoom Let’s Go Go」も好きだね。当時は革新的だと思った。

 

 

Audio Twoとも仕事をしたようですが、その経緯について教えてください。

 

Teddy Ted:Audio TwoはNat Robinsonがリーダーで、彼らは「I Like Cherries」というレコードを作った。だが、俺たちはその曲の代わりに裏面の「Top Billin’」をプレイしたんだ。これは俺たちがブレイクさせた沢山のレコードの中の1枚さ。この曲は大ヒットして、俺たちはリミックスを頼まれたよ。

 

Special K:あの曲は他とは違った。キャッチーだけどヒップホップなんだ。ビートが特徴的だったな。

 

Teddy Ted:当時俺たちはLatin QuarterでDJをしていて、ああいうレコードをプレイしていたんだ。Eric BとRakimの曲を初めてプレイしたのもLatin Quarterだったね。

 

その経緯について教えて下さい。

 

Teddy Ted:Latin QuarterでEric Bに会った時、彼から「Eric B Is President」を受け取った。彼は俺たちに曲のプロモーションをしてもらいたかったのさ。その場でヘッドフォンを使って聴くと、凄くドープなトラックだったから「今かけるよ」と言ってプレイした。Rakimも「Remember That」を初めてプレイしてくれたのはTeddy TedとSpecial Kだ」と言ってくれたが、あの曲を初めてプレイしたのはLatin Quarterだったね。 当然ラジオでも初めてだった。

 

 

プレイした時のフロアの反応はどうでしたか?

 

Special K:「何だこれ!」みたいなリアクションじゃなかったね。みんな理解しようとしていたな。

 

Teddy Ted:当時は新曲をプレイしても、フロアがついてきてくれた時代だった。今はJay-Zの新曲をプレイしても、フロアがその曲を知らなければ、何の反応も返ってこない。昔は違った。当時はフロアで新曲をプレイできた。でも今はRoxyやFunhouseがあった時代とは違うね。Big Daddy Kaneの「Set It Off」を初めてプレイしたのもクラブだった。

 

Special K:Funhouseのサウンドシステムは最高だったな。

 

Teddy Ted:あそこのサウンドシステムには耳をやられたね! Funhouseは色々な人たちが来ていた。まだ無名のMadonnaもいた。Madonnaって名前になる前の話さ。当時彼女が付き合っていたのがJellybean Benitezで、彼はFunhouseでDJをしていた。ヒップホップはまだ新しい音楽として扱われていたから、ブレイクするきっかけを掴むために、みんなシーンに加わっていたんだ。

 

「一番集客が悪い日は?」と訊ねると、「火曜日だ」と言われたから、「その日にプレイしていいかい?」と頼んだ。それでCelebrity Tuesdaysがスタートした – Special K

Special K:クラブでクールなトラックを聴けば、翌週にそのトラックをプレイしたいと思う。そんな感じで多くの人から、俺たちがプレイした曲なら間違いないって言われていたよ。 Latin Quarterをダンスクラブからヒップホップクラブへ変えたのは俺たちだ。Latin Quarterと俺たちのラジオ局は近かったから、よく近所をうろついていた。それでクラブのオーナーの所へ出向いて、「一番集客が悪い日は?」と訊ねると、「火曜日だ」と言われたから、「その日にプレイしていいかい?」と頼んだ。それでCelebrity Tuesdaysがスタートした。Latin Quarterはこのパーティーがきっかけで有名になったんだ。

 

Teddy Ted:当時俺たちは大量のデモを受け取っていた。だからCelebrity Tuesdaysで、Freddie Foxxx、Super Lover Cee、Casanova Rudなど、これだと思う新人を紹介したり、彼らの新曲をプレイしたりしていた。 沢山のアーティストがパフォーマンスをしたし、Andre Harrellを始めとしたマネージャーたちも沢山いて、彼らと契約をしようとしていた。俺たちはとにかくヒップホップが露出する機会を増やしたいと思っていたのさ。

 

Special K:これがきっかけでLatin QuarterでNice & Smoothと一緒に仕事をすることになった。

 

Teddy Ted:ああ、グループを結成しようという話になったが、元々Smooth Bは構想に入っていなかった。June Loveという奴が入る予定だったが、撃たれて死んでしまったんだ。だからGreg (Nice)がSmoothを見つけてきたのさ。奴は当時Bobby BrownやNew Editionを抱えていたMaurice Starrと関係があったから、Gregは好都合だと思ったんだ。

 

Special K:こんな感じで俺たちは色々やっていたが、何をやっても弱者側だった。俺たちが放送を始めた頃は24時からの放送だった。ライバルはRed AlertやChuck Chillout、それにMarley Marlだったが、彼らは21時から24時までの番組だった。だから良いトラックは彼らが先にプレイしてしまったんだ! そんな状況で俺たちの番組を聴きたい奴なんていないだろ? だから俺たちはあえてアルバムの収録曲やB面のトラックをプレイしていた。だが、それで人気が出たんだ。

 

 

そういう難しい状況を楽しんでいましたか?

 

Teddy Ted:ああ。例えばPublic Enemyがアルバムをリリースすれば、Chuck Chilloutは「Rebel without a Pause」をプレイして、Redも他のトラックをプレイした。だから俺たちはそうじゃなくて短い「Show ‘EM Whatcha Got」をプレイしたのさ。他と差別化を図りつつも、関連しているトラックをプレイしていたんだ。

 

Special K:電話は鳴りっぱなしだったね。朝の4時、5時になっても鳴っていた。バスに乗って帰る時も、「最高だったよ!」と言ってくる奴がいた。お陰で続けられたね。

 

アーティストから電話がかかってきたことは?

 

Special K:Chris Rockが一度かけてきたね。クールだったよ。奴はブルックリンにいたんだ。あとはMalcolm-Jamal Warnerもよく電話してきた。映画『Krush Groove』でRussell Simmons役を演じたBlair Underwoodも電話をしてきたね。

 

Teddy Ted:俺たちの番組はアンダーグラウンドだったが、世間は俺たちを知っていた。俺たちはMalcolm-Jamal Warnerのことを知らなかったが、彼はラジオを聴いて俺たちを知っていたんだ。『Cosby Show』に招いてくれたよ。こうやって俺たちの評価は固まったんだ。ラジオ番組は凄く大事な存在だった。