九月 24

グラフィックデザイナー長岡秀星の足跡

今年逝去した日本人グラフィックアーティストの作品群を振り返る

By Nate Patrin

 

バンドがビジュアルアーティストを抱えていた1970年代なら、成功していただろう。当時の商業イラストレーター、グラフィックデザイナー、アート系の学生たちは、ポップやR&B、ロックのアーティストたちと同義になることで、広告やポップアートの世界に留まるよりも有名になった。Hipgnosis、Roger Dean、Neon Park、Barney Bubbles、Pedro Bell、Peter Savilleなどはそれぞれ有名な存在となり、スタジオエンジニアと同様、リスナーのバンドに対するイメージから切り離せない存在となった。2015年6月23日にこの世を去った長岡秀星もその中のひとりだったが、彼の作品はひとつやふたつのバンドだけを表現するのではなく、短命に終わったSFポップアートの時代そのものを表現していた。

 

 

1970年、長岡はハリウッドにスタジオを設立すると、アルバムアートの制作に取りかかった。Jefferson Starshipの1976年のアルバム『Spitfire』のアジア風のフェイク・エキゾチシズムが彼の最初の作品群のひとつだったが、その後すぐに彼のスタイルは独自の特徴を備えたオリジナルなものへと変化していった。フロリダ出身のフュージョン系プログレッシブロックバンドFlightのセカンドアルバム『Incredible Journey』は、のちに長岡のトレードマークとなる特徴が明確に表現された初期作品のひとつで、色鮮やかなグラデーションの宇宙に浮かぶ太陽の前に描かれた奇妙な宇宙船は楽器を混ぜ合わせたような形をしている。ホーンは未来のエンジンの排気口のように輝き、まばゆい曲線の船体には鍵盤が広がり、その横にはバンド名がスーパーカーのロゴのようなクローム処理を施されて配置されている。

 

 

 

彼のこの美学は、彼が手がけた最も印象的な2枚のアルバムで更に広がりを見せた。1977年秋に世界各国の何百万ものレコード店で彼のイラストを披露することになったその2枚のうちの1枚目は、Electric Light Orchestraのアルバム『Out of the Blue』で、これは前作『オーロラの救世主』(『A New World Record』)でJosh Koshがデザインした光り輝くロゴを、長岡がスタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』から抜け出してきたような宇宙ステーションにアレンジして、シャトルを付け加えたアートワークだった。航空宇宙用スティールでしっかりと組まれた外殻の上に光り輝くネオンライトの内側に目を向けると、ELOのゴールドのロゴの周囲に琥珀色のガラスが張られているのが確認できるが、そのガラス窓の内側にはエンジニアのコントロールパネル − スペースエイジ・パワーポップの司令室 − が描かれている。

 

 

 

この『Out of the Blue』のリリースから1ヶ月後にリリースされたのが、長岡の数々のコラボレーションヒットの中で最も長きに渡り知られている最初の一大作品、Earth, Wind & Fireの『太陽神』(『All ’N All』)だった。両者間に存在した可能性がある言葉の壁は、すぐにEW&Fが求めているイメージに対する相互理解によって乗り越えられた。EW&Fのリーダー、Maurice Whiteは形而上学、エジプト学、神哲学を学んでいたが、それらがすべて長岡によって組み合わされ、「Helios」と名付けられた巨大な絵画に盛り込まれた。

 

ゲートフォルドだったこのアルバムのフロントカバーには山肌に埋め込まれたラムセス王風の神殿と、頂上が光り輝くピラミッドがその上部に描かれている。そしてその風景はそのまま西側(アルバムのバックカバー)へ続いており、光り輝く構造物と宇宙に飛び立つシャトルが描かれている。また、ゲートフォルドの内側には1970代の精神性そのものが描かれており、エジプト学(スフィンクスと目が頂上付近に描かれたピラミッド)が押し出されつつ、世界各地の宗教や星座と、EW&Fの初期楽曲群で使用され、彼らのルーツであるアフリカへ結びつくトーテム崇拝の楽器カリンバが描かれている。

 

 

 

長岡の死に際し、Whiteは「私たちはお互いに違う言語を話していたが、ヴィジョンは共有できていた。彼の才能と創造力はコラボレーションをより印象深いものにし、私たちの音楽に含まれていたメッセージを色彩のハーモニーとシンボルによるヴィジュアル・ビークルに変える助けとなった」と投稿している。今でもEW&Fは長岡の作品として一番良く思い出されるバンドだ。長岡はEW&Fのアルバムのアートワークを『太陽神』のあとも1979年の『黙示録』(『I am』)から、1983年のウィトルウィウス的人体図をコスミックに表現した『創世記』(『Powerlight』)まで手がけ続けた。尚、1978年の『ベスト・オブ・EW&F』(『The Best of Earth, Wind & Fire』)では彼らの初期作品群を遡及するロゴも手がけている。

 

一方、長岡は他のアーティストとの作品群では、『Incredible Journey』で垣間見せた宇宙船の作風を更新していった。彼のこの作風は、映画『スター・ウォーズ』の成功が無数のポップカルチャーの周縁作品をディープスペース・ファンタジーへ引き込むと、そのカルチャーの中でしっかりと地盤を築くことになった。長岡の作品は、Ralph McQuarrieやSyd Meadのような、未来の都市や乗り物を描き出すネオフューチャー系コンセプチュアルアーティストのヴィジュアルと強い一体感を保っていた。また、隅々まで細かくエアブラシで描く長岡の手法は、彼特有のアイディアの信憑性を高めていた。

 

 

 

この頃の作品としては、踊るロボット2機に挟まれたヌードの女性が裏面に描かれたMunich Machineの『A Whiter Shade of Pale』、バンドロゴの形をしたロケットがメンバーを乗せて雲の上を飛ぶSlyversの『New Horizons』、近未来の派手な水上飛行機が水面を走りながら映画『007 私を愛したスパイ』的な水中の隠れ家へ向かうSpaceの『Just Blue』、そして光り輝く巨大な宇宙探査船が描かれたDeep Purpleの『パープル・ロール』(『When We Rock, We Rock, and When We Roll, We Roll』)などがある。

 

 

 

長岡のアートワークが1970年代後半から1980年代初頭にかけて人気を博した理由は理解できる。当時は、変異しつつあったオーディオヴィジュアル体験における技術進歩とディスコフロアへの強い意識が、まるで『OMNI』(科学雑誌)から抜け出してきたように感じられる新しい音楽を生み出していたからだ。長岡が担当したアートワークと一致しない内容のアルバムはレアだった。Giorgio MoroderやMandréのようなシンセサイザー・ウィザードたちは、ウィリアム・ギブスンがその後すぐに執筆するようなサイバーパンクのプロトタイプのようなハイテクな衣装を身にまとい、P-FunkのスピンオフユニットParletの『Pleasure Principle』ではフェミニンな魅力と莫大な予算を注ぎ込んだ新種の母船のラウンジの様子を描いている。そしてMazeの『Inspiration』は、月が周回している惑星の詳細については描かれていないが、クワイエット・ストームのソウルのような月明かりを演出している。

 

 

なんとも皮肉なことに、「未来」を描く名人だった彼の「過去」については情報収集が非常に難しい。彼のバイオグラフィーは本人のウェブサイト(訳注:現在は閉鎖)で公開されている以外、そこまで広く知られていない。ウェブサイトには、アルバムのアートワークやポスターを手がける前は、雑誌『中学生の友』の挿絵を手がけていたことや、1958年に武蔵野美術大学を中退して商業イラストレーターとして独立したこと、そして大阪万博準備グループに参加したことや、1970年にハリウッドにスタジオを設立したこと程度しか記されていない。

 

長岡は幼い頃出身地長崎が原爆によって破壊され、壱岐島に移り住んでいたが、彼の作品がどこまで「パーソナル」だったのかも明確になっていない。少なくとも、彼のSF的ユートピア指向はその時代への回答だったのではないかと考えるのは難しくない。そして少なくとも、彼はその問題に正面から向き合ったことがある。1984年のNHK特集『世界の科学者は予見する 核戦争後の地球』の中で、長岡は東京が核爆発によって破壊され、炎のような放射能の熱波が不気味なほど鮮やかな色彩で地上を襲っているイラストレーションを描いている。

 

 

また、1980年代中盤以降の彼のアート及びイラストレーションの世界への貢献を把握するのも難しい。彼のアルバムのアートワークがレコード棚に与えていたヴィジュアル・インパクトは、レコードレーベルがポスト・ディスコクラッシュ期を迎えてダンスミュージックにカテゴライズされる可能性があるすべての作品のリリースを渋ったことで、弱まってしまったように思える。1981年以降、彼のメジャーレーベルにおける作品群でビッグアーティストはEW&Fと日本人アンビエント/ニューエイジアーティスト喜多郎の2組しかいない。

 

しかし、これは低迷の一部にしか過ぎなかった。アナログレコードのパッケージングには、カセット、そしてCDが市場のシェアを拡大していくのと共に不吉な前兆が訪れはじめ、サイズが大きくしかも細部まで描かれている長岡のような作品は持ち味を十分に発揮できなくなっていった。そして1980年代後半に入ると、長岡は商業イラストレーションの道へ進み、車の広告無名のSF小説のカバーイラスト、1985年のつくば万博のイラストなどを手がけた。

 

1990年、元TBS記者の秋山豊寛が日本人初の宇宙飛行士となり、宇宙ステーション・ミールから中継をした時、彼は長岡の作品のひとつを持ち込んでいた。それがどの作品だったのかはあまり知られていないが、それがあの名曲「Serpentine Fire」が収録されているアルバムに描かれた、時を超えた宇宙との霊的な繋がりを示す『Helios』だったのではと想像するのは面白い。