十二月 03

A Guide to Keiji Haino

オーストラリア人音楽ライターが解説する、灰野敬二を知るための15枚のアルバム

 By Jon Dale

 

「私は何よりもまず、シンガーなんです」と、日本のサイケデリック・アンダーグラウンド・シーンから現れた、最も刺激的で謎めいた人物の1人である灰野敬二は言う。既に40年以上に渡り、極めてパーソナルなヴィジョンに基づいたサイケデリック音楽のあり方を追求し続けてきた。Billie Holiday、The Doors、Blue Cheer、Munir Bashir、Hossein Alizâdehといった、音楽を無限へと押し進め、押し広げるという灰野と同じ使命を持つたくさんの音楽からの影響を受けながら。

 

灰野は時に、自分自身でも矛盾を感じるという。世界で最も破壊的なサイケデリック・ミュージックを生み出しながら、厳格な禁酒家だ。ロックの世界でも最もラウドな演奏家でありながら、彼の曲はこぢんまりとした静かな空間でも映える。

 

幼い頃から反抗心が強く、厳格な学生時代にさらに権威に対する不信感を募らせた灰野は、まず芝居に興味を持ち、アングラ演劇の役者を志すことを考えた。しかしJim Morrisonとの出会いが、彼のその後の人生を変える…ロックこそが歩むべき道であると決心させたのだ。初めて結成したバンド、ロスト・アラーフはEdgar Allan Poeの詩から名付けられ、70年代前半の日本のアンダーグラウンドの一端を担った。彼らが初期に出演したライブの1つで、頭脳警察やブルース・クリエイション、高柳昌行のニュー・ディレクション・フォー・ジ・アーツと共に出演した1971年の「幻野祭」では、会場から石が投げ付けられたという。灰野は70年代の数年間、自らの音楽の極限を探求するためにしばらく姿を消した。再浮上したのは70年も終わりに近づいた頃で、バンド不失者を率いて伝説のライブハウスMinorを中心としたシーンで活躍するようになる。

 

灰野の音楽における美学は、世界のあらゆるものを雑食に吸収することで形成されているが、同時にしっかりと彼の祖国にも根ざしている。日本のロック・ミュージックがずっとワイルドだった時代 ——突然の激しいフィードバックで切り裂くような「Hey Joe」のカバーをしたグループ・サウンズのゴールデン・カップス、内向的な終末論を展開したジャックス、全くもって不可解だったバンド、裸のラリーズなど—— においてさえも、さらにその予想を裏切るようなものだった。彼はまた「間(ま)」という日本的概念の、独自の解釈も提示している。Alan Cummingsが、「音と音のあいだの、亡霊のような隙間」と説明した概念だ。灰野はこの空っぽの、何もないスペースの中に、絶妙なバランスの瞬間を見いだす。しかもそれは、ブルース奏者Blind Lemon Jeffersonからサイケデリック・シーンの異端児Syd Barrettまで、一見全く異質に思えるものから導き出されている。

 

ゆうに100を超える作品の中から、今回は灰野敬二という1人のアーティスト像を浮かび上がらせる15枚を選出した。ソロ・アーティストとしての灰野が明確に分かるように、あえて彼が多く携わってきたコラボレーション作品は省くようにした。

 

 

灰野敬二『わたしだけ?』

(ピナコテカレコード 1981年;再発盤 PSF Records 1993年)

 

『わたしだけ?』は、意味深な歌詞、仄暗い楽曲、細胞組織のような構成を備えたアルバムだ。灰野が、初めて深夜の冥界へと足を踏み入れた作品だと言える。この暗く美しい音楽は、漆黒のアートワークそのものだ。静かで黙想的なメランコリーと正統派ギター・ノイズという2つの側面を持つ。静の灰野のギターは、まるで囚人の鎖のように軋むが高音域はかき消され、金星人のブルースのように静かに鳴り響く。

 

一転、灰野が攻撃的にアンプに立ち向かえば、彼のギターは鋭く変化し、耳に急下降爆撃をされたかのような攻撃的なトーンに変わり、彼のヴォーカルも肺病患者のうめき声からArtaud(アントナン・アルトー)のラジオ放送のような叫び声を行き来する。PSFの再発盤には28分に及ぶ忘我の境地のギター・ソロが追加収録されており、長時間のパフォーマンスを得意とする灰野が徐々にその才能を解き放つ様子を聴くことが出来る。

 

 

不失者『無題 (Double Live)』

(PSF 1989年)

 

1989年の『Double Live』第1作は、彼をよく知る人たちにさえも新たな衝撃を与える作品となった。後にトリオ構成になる不失者だが、本作では4人体制となっており、セカンド・ギタリスト三浦真樹による灰野の影武者の如きプレイが、灰野に66年のBob Dylan風ハーモニカという新たなプレイを披露する余裕を与えた。

 

実際、この時の不失者は、世界に衝撃を与えたDylan & The Hawksのコンサートが押し出していた「自由」を取り入れ、ロック・ムーヴメントにしっかりと根ざしながらも、攻撃手段を柔軟に変化させていた。不失者はその後のアルバムの数々を通して更に領域を広げていくことになるが、本作はロック・パフォーマーとしての灰野のパワー、そして彼と共鳴するミュージシャンと共演した時の彼の輝きを示す格好のアルバムと言えるだろう。

 

 

三上寛、灰野敬二 & 吉澤元治『平成元年ライブ 上・下 (Live In The First Year Of Heisei Volumes One & Two)』

(PSF 1990年)

 

『わたしだけ?』のリリース後、灰野は3年間の闘病生活を送った。そして復活を遂げた1980年代中期は、偶然にも東京のサイケデリック・アンダーグラウンドへの関心の高まった時期と重なり、灰野はサイケ・モーター・ロックのバンド、High Riseなどと交流するようになった。このバンドのヴォーカル兼ベーシストだった南条麻人が、レコード・ショップ Modern MusicとPSFレーベルの経営者であった生悦住英夫と灰野を引き合わせ、結果として不失者の『Double Live』2作や、フォーク・ブルース界の伝説で俳優としても活動する三上寛とフリー・インプロ・ベーシスト吉沢元治とのコラボレーションである本作『平成元年ライブ』など、初期灰野を代表する作品の多くがPSFからリリースされることになった。

 

実はこのアルバムのタイトルには偽りがあり、実は上下ともにレコーディングされたのは1987年(昭和62年)である。そのような指摘は置いておくとして、このアルバムは灰野の初期コラボレーションのピークを象徴するものだ。三上の楽曲は硬い皮膚で覆われた野獣のようにタフで、その悲痛な声は、灰野のリヴァーブまみれの強烈なギター・プレイを見事に引き立てている。それでいながら、同時にこのアルバムは多分に繊細でもあり、特に灰野の激しいギターと、三上の飛び出しナイフのように鋭くも無愛想な爪弾きの隙間に綺麗に収まっている、吉沢の流麗な弓弾きベースは実に見事だ。

 

灰野は『下』の数曲で再びハーモニカを手にし、Dylanが最も勇敢だった時代への探求を継続しているが、ここでの灰野は、ライターのDavid Keenanが近年、「まるで音を味覚で味わっているかのような、肉体的表現の究極形態」と評したDylanの往年のハーモニカ・プレイに憑依した演奏を披露している。灰野と三上は、後にドラマーの石塚俊明と共にフォーク・ブルースの力強い3人編成バンドVajraを結成するが、本作はそのきっかけとなった作品だ。

 

 

 

灰野敬二『滲有無』

(PSF 1990年)

 

『滲有無』は灰野のディスコグラフィーの中で最もダークな作品の1つ。この時代の彼の作品の多くと同様、本作はリスナーからやや距離を取った、まるで深い藍色のリヴァーブに覆われた遠大な空間の反対側で行われているパフォーマンスを聴いているかのようだ。また、『滲有無』の難解な楽曲群は、初めてThomas Binklyのレベック(ヴァイオリンの原型と言われる楽器)の響きを耳にした70年代初頭以来、灰野が愛し続けている中世音楽に本人が最も接近したものでもある。

 

本作で灰野は中世音楽の単旋律を取り入れている。繊細なギターと声のエチュードで幕が開くと、やがて灰野がカーテンの裏でため息をつく中、遠くからメタリックな摩擦音が響いてくる。だが、『滲有無』の真の核となっているのは、アルバムの中盤を支配している風変わりなストリングスによる長大なドローンだ。灰野の声はそのドローンに寄り添いながら、Popol Vuhの創始者Florian Frickeによる祈祷「歌えよ、狼を追い払う歌のごとく…」のような力強さで、不明瞭な賛美歌を繰り返す。

 

 

不失者『無題 (Double Live II)』

(PSF 1991年)

 

本作『Double Live II』は、シンプルなリズム、楽器の伝統的ヒエラルキー、整然とした型通りのダイナミクスなどのロックの典型を見事に解体している。ここでの灰野はベースに故・小沢靖、ドラムに小杉淳を迎えており、小杉の激しくも正確なドラミングが楽曲のリズムに渦を作り出している。一方、灰野のギターは扇情的で、無意識の、言葉にならない感情を解放するかのような彼の演奏は、物語としての音楽という考えは大いなるまやかしであり、音楽は予想不可能な「今」にのみ存在し得ることを体現している。

 

『Double Live II』は欧米で灰野の作品が本格的に注目を集めるきっかけとなった作品の1つで、アメリカの同人誌『Forced Exposure』の最終号には絶賛のレヴューが掲載された。しかし、評価されたのは灰野ではない。Royal Truxの『Twin Infinitives』、Richard Youngs & Simon Wickhamsmithの『Late』、The Dead C.の『Harsh '70s Reality』など、後に彼らのキャリアを決定づけた、多種多様なジャンルを横断するダブル・アルバムをリリースした他の多くのアンダーグランド・アーティストたちと並んでの評価だった。どれもが素晴らしい作品だが、その中で一際強い輝きを放っているのが『Double Live II』だ。

 

 

 

灰野敬二『慈』

(PSF 1992年)

 

1991年12月30日、東京のGospelでレコーディングされた『慈』は胸を締め付けるようなアルバムだ。一聴したところ儚いパフォーマンスの長い1曲のような作りだが、確実に複数の楽曲によって構成されている。初めの20分間、ギターはシンプルに聴こえるコード進行を繰り返す単純なフォーク・ソングを爪弾く以外に殆ど使われておらず、その姿は殆ど見えてこない。

 

ギターのヴォリュームが上がっても、その大半は瞬間的なもので、機械的なリフを生み出す時か、後に続く真珠のように美しい楽曲を引き立てるために、激しさをレヴェル・アップする意図で用いられる1分間のエネルギー放出の時だけだ。比較的物憂げなこの作品は、大音量のヘヴィーなキックだけを求めるようなロック・オーディエンスを時として困惑させるが、灰野が最も大事にしている「自らの声が」生かされているのは、『慈』のようなアルバムなのだ。

 

 

滲有無『悲翼紀』

(PSF 1993年)

 

バンド名が示す通り、『悲翼紀』は1990年にリリースされたアルバム『滲有無』で行われた探求を更に押し進めた作品。ただし、今作の灰野は High Riseの南条麻人など、前作とは異なるミュージシャンを起用し、またセッションもリヴァーブが強いスペースで行っている。そこでは演奏の個性はあえて消し、その全てにおいて"グローバルな古代音楽"のエッセンスを抽出するという集団としての意志が優先されている。

 

10曲の収録曲は、濃い青色の重たい空気で作られた雲のように漂い、重量感のある轟音ベースによる塊のようなサウンドが、萎れたようなストリングスの長いフレーズを際立たせている。時として灰野は、ひどく元気のないファルセットで歌いながら、その風景の端から現れ、上空へと飛び去っていく。サウンドはヘヴィーで聴きづらく、Ben ChasnyやSteven R. Smithといった現代のサイケ・アーティストたちが本作のファンを自称しているというのも頷ける。

 

 

灰野敬二『Tenshi no Gijinka (天使の擬人化)』

(Tzadik 1995年)

 

『Tenshi no Gijinka』は、古代ギリシャ音楽の"音の爆発"のように鳴り響く、パーカッションの強烈な一打で幕を開ける。そしてその後に続く55分間の大部分において、灰野は自身の声と小型パーカッションの演奏に専念している。このアルバムの大半を占めるその剥き出しのサウンドは、ドラムの一連の動きと相まって、非常にアブストラクトで儀式的な響きをこのアルバムに与えている。本作に代表されるような灰野の優れたアルバムは、聴く者を新たなる体験ゾーンに導く。

 

John ZornのレーベルTzadikからリリースされた『Tenshi no Gijinka』は、(生悦住英夫と三上寛の紹介によって出会った)Zornと灰野の90年代を通じて培われた友情が生み出した作品群の1つだ。Zornは灰野関係のアルバムを多数リリースすることになるが、中でもこのアルバムは最高傑作。

 

 

灰野敬二『手風琴 The 21st Century Hard-Y-Guide-Y Man』

(PSF 1995年)

 

偉大なミュージシャンでもダジャレを言うことくらいある。このアルバムのタイトル『The 21st Century Hard-Y-Guide-Y Man』もその一例で、灰野が初めて何世紀にも渡り多くの人々が演奏してきたフランスの古楽器、ハーディ・ガーディ(一般的には物乞いの楽器として考えられている。 尚、17世紀には宮廷の娯楽用として使われていた)に全編を捧げた作品だ。ここでの灰野の興味は、そのかすれたようなドローン・サウンドだけでなく、楽器構造にも向けられている。灰野がハーディ・ガーディに魅せられたのは、この楽器がハンドルを回して演奏する唯一の楽器であると考えていたからだ。(これに対し、批評家Clive Bellが「どうやら灰野はまだバレル・オルガン(手回しオルガン)を知らないようだ」と小馬鹿にしたこともある。)

 

灰野がこの楽器を使って生み出す音楽は、古めかしくもあり、現代的でもある。このアルバムではハーディ・ガーディの複雑で騒々しいドローン・サウンドに比重が置かれているため、灰野はこの楽器の能力の限界に挑み、結果として松ヤニが塗られたハンドルの回転ごとに奇妙な響きの音色を生み出している。そして迫力の結末では、灰野は積み上げたアンプと大量のエフェクターにハーディ・ガーディを繋ぎ、電気によってストリングス楽器としての威力を発揮させた。

 

 

灰野敬二『The Book of “Eternity Set Aflame”』

(Forced Exposure 1996年)

 

70年代から80年代にかけての失われた時間を取り戻すかのように、90年代中頃の灰野は数多くのアルバムをリリースしていた。大量のリリースがあれば、その内容の善し悪しが分かれるのは当然のことだ。しかし灰野の作品の中でも、本作ほど包括的な印象を与える作品はあまり無い。収録曲「Eternity Set Aflame I」では、灰野の最もエキサイティングな、内臓が飛び出しそうなギター・ソロが聴ける。その過剰で歪んだ信号は、スピーカーから極めて高密度の情報として放たれ、聴く者を処理不全に陥れる。元来ギターはこう鳴るべきだったが、そこへ到達するには多少の時間が必要だった、ただそれだけのことだ。

 

幽玄な『天乃川』(1973年にレコーディングされ、その20年後にリリースされた)のスタイルを継承するエレクトロニクスの薄暗い楽曲が続いたあと、灰野は再びギターを手にし、無限の漆黒を目指す長い旅へ出る。『The Book of “Eternity Set Aflame”』は完全なる灰野敬二だ。

 

 

 

不失者『Origin's Hesitation』

(PSF 2001年)

 

ドラマー高橋幾朗の不在は灰野をジレンマに陥れた。バンド史上最高のドラマーの代わりをどう見つければ良いのか?これに彼は、特有の現実主義的で自信に満ちた答えを導きだした。自らドラムを叩けばいいのだ。

 

その結果本作は、灰野の作品の中で最も頑固で難解なものの1つとなった。このアルバムは、冒頭こそ仕掛けられた罠を完全破壊しているかのような勢いだが、大半は単発のドラム・サウンドのレゾナンスの探求や、スネアへの急激なカットオフなど、楽器をリスナーの期待から遠ざけるような、よろめきやつまずきが盛り込まれている。この作品の灰野のヴォーカルは、はらわたを抉るようなとりわけ衝撃的なもので、時として生々しい叫びを繰り返しながら、絶望と憤怒のクレッシェンドへと進んでいくが、それに呼応する小沢靖のベースはいつもよりもためらいがちだ。「ふたつ ありき」では、ベルのような単音をネックの高い位置から奏で、その音を注意深くスタジオの床に並べている。逆境を乗り越えた勝利の教訓として、「前に出ること」を選んだ本作には、灰野のパンチやボディブローが詰まっている。

 

 

 

灰野敬二『まずは色を無くそうか!!』

(PSF 2002年)

 

灰野についての議論の多くは、彼の究極の表現は大音量の演出にあるというところに留まりがちだが、それではまるで味気ない風刺画を見て、彼の人物像を把握したつもりになっているかのようだ。この『まずは色を無くそうか!!』のようなアルバムはそれとは対照的に、灰野の真の才能は、暗がりの中に1人で座って声とギターを絞り出すという、煙たく親密なブルースの儀式の中で発揮されることを裏付けている。

 

本作は灰野が『慈』や『滲有無』で残した糸をまた拾い上げながらも、鏡の宮殿を作り上げていくようにループを用いる手法や、囁くような近距離のヴォーカルが、作品全体を次なる次元へと引き上げている。夜闇に深く迷いんだ時のために、Skip Spenceの『Oar』やJandekのエレクトリック・ブルース、またはLoren ConnorsやSuzanne Langilleのアルバムなどと一緒に並べておくと良いだろう。

 

 

灰野敬二『 "C'est parfait" endoctriné tu tombes la tête la première (真っ逆さまに落ちてゆく洗脳された「これでいい」)』

(Turtle's Dream 2003年)

 

2002年に行われた、ヴォーカルとリズムマシンによる熱のこもったライブの驚くべき記録である『C’est parfait…』は、灰野の真の武器が彼の感情的な深い声であることを1枚で十分に証明している作品だ。初めて聴いた際は、シンプルなループを使い複雑に編まれたリズムと歌によって、催眠状態に陥るかもしれない。だが、聴き込んでいくうちに、音と音の間にある「間(ま)」の深い意味、特に灰野のヴォーカルが入る前の美しい「ため」、増幅されていく高揚感をビルド・アップしていくさま、極めてパーソナルな持ち味のソロ・ヴォーカル、そしてヴォーカルとリズムマシンが原始的なノイズへと溶解していくラストなどが理解できるだろう。本作は灰野敬二の真髄に最も接近できる作品であり、敬意と慎重さを持って聴くべきアルバム。

 

 

 

不失者『光となづけよう 』・『まぶしい いたずらな祈り』

(Heartfast 2012/2013年)

 

『Origin's Hesitation』の後、不失者の新作はアーカイヴ作品以外リリースされておらず、また、2008年に長年ベーシストを務めてきた小沢靖が逝去したこともあり、バンドは解散したかのように思われていた。しかし、当然ながら灰野の中で不失者の存在は大きく、2010年に灰野率いるトリオ・バンド静寂として『Mail from FUSHITUSHA(不失者の秘儀伝授)』をリリースしている。いずれにせよ、この2枚のアルバムが1ヶ月も間隔をあけないうちに突然リリースされたときは、喜ばずにはいられなかった。

 

灰野の飽くなき探究心を考えれば、新たな燃料補給をしたこのバンドが、本作で時として強烈に歪み、時として唸りながら直球を放り込んでくるような、灰野のキャリアを通じて最も強烈なロックを演奏しているのは当然と言える。『光となづけよう』は、簡潔さとは何かを教えてくれる。普段なら長めの演奏を好むこのバンドには意外な、36分間しか尺がない短く鋭い衝撃のような作品。リズム・セクションが互いに円を描くように回り続ける中、灰野のギターが歪んで尖ったリフを奏でる。

 

『まぶしい いたずらな祈り』は、曲そのものの縫い目を裂いていくような「とぎすまされるのは…」の螺旋状のパターンと似た領域を網羅している。このアルバムにはずっと多くの隙間があり、驚くほど余裕がある構造になっている。ここでも灰野は、日本の伝統的コンセプト「間(ま)」を再解釈しており、今回の静寂は重く、濃密だ。そして最後の曲「ぼくになっている」で聴ける、天から降りてくるような最も美しいコードが鳴る瞬間、灰野にとっては不変性こそ全てなのだと再確認させられる。灰野は節操無くシーンやムーヴメントを飛び回ってメディアを目詰りさせるような不誠実なアーティストたちとは違う。灰野は灰野であり、灰野なのだ。