五月 10

90’s CG Artworks of Phil Wolstenholme

1990年代前半にWarp Recordsを中心に数々のCGアートワークを手掛けたグラフィックデザイナーが当時を振り返る

By Oli Warwick

 

テクノロジーが音楽の発展に大きく寄与してきたことは誰もが知っている。

 

テクノロジーはレコーディングの誕生、エレキギターのアンプ、シンセサイザーや機材の共通言語MIDIの開発までを促してきた。1980年代後半から1990年代前半、コンピューターが一般化し、音楽制作の現場が高額な費用が必要になるトップスタジオから一般市民の家庭へ移った。この文化大革命はその後も音楽の世界に数々の衝撃をもたらしていくのだが、衝撃がもたらされたのは音楽の世界だけではなかった。他のクリエイティブなアートの世界もこのテクノロジーと手軽さのコンビネーションを熱烈に受け容れ、その中で特に大きな反応を示していたのが、ヴィジュアルアートの世界だった。

 

1987年、英国・シェフィールド出身のアーティストPhil Wolstenholmeは、クリエイティブな才能をキャリアに結びつけたいという情熱と共に、アートを専攻したシェフィールド・ポリテクニック(現シェフィールド・ハラム大学)を卒業した。自分の周囲で一大ブームになりつつあったエレクトロニック・ミュージックシーンを見ていた彼は、ピュアなエレクトロニック・ミュージックにはピュアなエレクトロニック・アートワークが必要になるはずだと考えると、補助金を手に入れてAmiga製コンピューターを購入し、当時台頭しつつあったコンピューターグラフィックス用アプリケーションを使った実験を開始した。

 

シェフィールド周辺に位置するレーベルやアーティストのアートワークを手掛けていったWolstenholmeは、そのユニークな作風で高い評価を得るようになり、やがて、1990年代初期の時代精神を捉えたアートワークを808 StatePop Will Eat ItselfStrictly Rhythmなどに提供した。当時の音楽プロデューサーたちが音声合成やサンプリングを駆使して新しいサウンドの世界を生み出していったのと同じように、Wolstenholmeもデジタルレンダリングされたオブジェクトやエフェクトで変化させた素材を使って斬新で奇妙な世界を生み出していった。

 

光沢のある彼の3D CGは、今見直すと古臭く感じるかもしれないが、そこには、ベッドルームからヒットチャート、さらには世界各地のレイブパーティへとトラックを送り込んでいた当時のエレクトロニック・ミュージックシーンが持ち合わせていたDIY精神が反映されていた。

 

Cabaret VoltaireThe OrbShamenなど錚々たるアーティストのアートワークを手掛けたことで知られるWolstenholmeは、Warp Recordsと組んでCGアニメーションの台頭を促した人物としても知られている。彼がDavid Sladeが『Artificial Intelligence』シリーズの一環としてリリースしたVHS映像作品『Motion』は、レイブとヴィジュアルが手を組み始めた時代が確認できるタイムカプセルとして捉えることができる。

 

現代の基準から判断すれば非常に原始的なクオリティだが、1994年当時、この映像は最先端だった。『ジュラシック・パーク』や『ターミネーター2』、Pixarの作品群などが3D CGをメインストリームに持ち込んだこの時代、Wolstenholmeはソフトウェア3D Studio Max(現3ds Max)を学び、それを駆使しながら、そのど真ん中に立っていた。

 

1990年代を通じてテクノロジーが進化していくと、Wolstenholmeはホームコンピュータだけで時代の流れに対応しながら、グラフィックデザインを仕事にしていくことを高コストで面倒なものに感じるようになり、やがて自分の才能を他の分野に活かすようになった。常に自分のアートを “実用化” しようとしている彼は、現在は英国北部にある未踏の洞窟群を撮影するフォトグラファーとして活動しているが、音楽業界との繋がりも維持しており、Cabaret VoltaireのRichard H. Kirkと組み、未発表音源や再発音源のアートワークを手掛けている。

 

今回は、Wolstenholmeにインタビューを行い、コンピューターベースのヴィジュアルアートの世界に初めて足を踏み入れた頃や当時存在した技術的問題、またテクノロジーと共に進化していったクリエイティブムーブメントの旗手のひとりだった自分について振り返ってもらった。

 

 

 Artificial Intelligence ©Phil Wolstenholme

 

 

アートワークの初仕事は誰から依頼されたのでしょう?

 

808 Stateを知っている知人がマンチェスターにいた。それで「808 Stateに僕のやっていることを話してくれないか?」と頼んだんだ。すると連絡が来て、「こっちに来て作品を見せてくれよ」と言われた。当時手元にあったのは、私が初めてコンピューターで作ったアートワークのひとつだった『The Sheffield Jazz Album』というタイトルの海賊版LPと、Amigaを学ぶために制作した大量のサンプルイメージだけだった。

 

作品を見せると、808 Stateからは「いいじゃん! 今丁度 “Pacific State” っていうタイトルのシングルの制作中なんだ。そのアートワークをやってみるかい?」と言われた。それで、簡単な説明を受けたあとアートワークを制作すると、月曜日に連絡が来て「悪いな、レコード会社がアートワークをすでに用意してるみたいだ。次のシングルでやってくれよ」と言われた。それから3ヶ月後に『The Extended Pleasure Of Dance』EPのアートワークのオファー届いたので、808のゴールドロゴを並べたイメージを作った。彼らはかなり気に入ってくれたよ。最終的にマンチェスターのG-MEX Centreで開催された彼らのライブのスライド用にもいくつか作品を提供した。

 

 

808 State - The Extended Pleasure Of Dance ©Phil Wolstenholme

 

 

当時は何からインスピレーションを得ていたのでしょうか?

 

私は昔から1960年代後半のサイケデリックなイメージと音楽に興味を持っていたので、イメージのアイディアを得るのにさほど苦労はしなかった。作品には特に意味は込めていなかった。ビデオスキャナを買って、素材をAmigaに取り込んでいた。フラットベッドスキャナが登場するずっと前の話だ。取り込んだ素材に色々な処理を加えていた。要するに、"イメージ" はデザイン作業に入る前の時点で用意できていたんだ。これは丁度良かった。なぜなら、当時は音楽業界にサンプリングの波が来ていたので、ヴィジュアルでもその手法を用いるのは適しているように思えたからだ。

 

シェフィールドという都市はあなたの作品にどれだけの影響を与えたのでしょうか?

 

シェフィールドは自立している都市だった。巨大なレコーディングスタジオが音楽を次々と生み出していたし、Warp Recordsのようなレーベルも生まれていた。それで突然、シェフィールドに注目が集まるようになったんだ。しかし、シェフィールドはセレブリティが好んで住む都市ではなかったので、奇妙な文化的対立が生まれていた。

 

世界の半分が自分たちの知り合いになりたがっていた中で、私たちは家の中で「なんだって世間はシェフィールドに興味を持っているんだ?」と不思議に思っていた。私たちがやっていたことと言えば、家の中で音楽を聴きながらマリファナを吸うだけだったが、私たちがやっていること全てが厳かな儀式として扱われているように感じられた。1970年代の炭鉱労働者ストライキ(編注:日本では1984年が有名だが1970年代も複数回起きている)を見ながら育ったのに、突如としてシェフィールドで数少ない成長産業のひとつに自分が加わることになったのは、かなり不思議な感覚だった。

 

 

 

“より優れたコンピューターを買う必要が出てきた頃、ある人物から「Warp Recordsに行って話をしてみろよ。ナイスな連中だからさ」と言われた”

 

 

 

当時、CGアートワークを手掛けていた他のアーティストはいたのでしょうか?

 

Future Sound of Londonと仕事をしていたBuggy G. Ripheadという男がいたんだが、あとになってシェフィールド・ポリテクニックの同級生だったMarkだということが分かった。同じ学校で学んだあと、彼はロンドンに出たんだ。だから、シェフィールドでCGを商売にしていたのは私だけだった。シェフィールドでAmigaを手に入れていたのは私だけだったと思う。

 

Amigaは優秀なコンピューターだったが、定期的にアップデートしなければならなかった。メモリやハードドライブ、プロセッサを積み替えていた。より複雑な3D CGを手掛けていた頃は、ひとつのイメージのレンダリングに2~3日を見る必要があった。

 

そのような技術的問題をどのように乗り越えたのでしょうか?

 

より優れたコンピューターを買う必要が出てきた頃、ある人物から「Warp Recordsに行って話をしてみろよ。ナイスな連中だからさ」と言われたので、Warp Recordsに出向いて「新しいコンピューターを買う予算をもらえるなら、無料で3作品のアートワークを手掛けます」と話を持ちかけた。すると、Steve Beckettが1,000ポンドの小切手を渡してくれたんだ。

 

私が初めて手掛けたWarp Recordsの作品は、The Stepの12インチ「Yeah You!」だった。それから、Unique 3の作品ともうひとつ別の作品も手掛けたが、正直に言えば、実際にリリースされたのはThe Stepの12インチだけだった。だが、Warp Recordsは気にしなかった。彼らからは「君が3枚手掛けたことに変わりはないからね。もう1枚どうだい?」と言われた。それで手掛けたのが『Pioneers Of The Hypnotic Groove』だった。

 

 

The Step - Yeah You! ©Phil Wolstenholme

 

 

『Pioneers Of The Hypnotic Groove』は、あなたがWarp Recordsと共に体験した “3D CG時代” の始まりだったように思えます。

 

Warp Recordsから3D CGでサーキットボード(基盤)を描いてくれという具体的なリクエストがあったんだ。それで、レジスタを含む様々なコンポーネントを3Dで描いたんだが、そのイメージを、グラフィックデザインを担当していたDesigners Republicに渡すと、彼らはその一部だけを使った。頭にきたよ。彼らは私の作品を素材として扱い、自分たちの好きなように変えてしまったんだ。

 

 

Pioneers Of The Hypnotic Groove ©Phil Wolstenholme

 

 

『Pioneers Of The Hypnotic Groove』は、あなたの代表作のひとつ、Warp Recordsのコンピレーション『Artificial Intelligence』のアートワークに繋がりましたね。このアートワークのデザインの意図は?

 

Warp Recordsとどういう作品にするかについて長時間ミーティングをした。彼らはある種のロボットのようなものを求めていた。そこで私は、シルバーサーファーのようなキャラクターを用意した。すると彼らは「最高だ! これをもう少し詰めよう」と言ってきた。それで、マリファナを吸いながら音楽を聴いているあのロボットのような男が生まれたんだ。私たちはただ笑えると思ってやっただけだったが、やがて大きな話題になっていった。

 

面白いことに、ドイツのレーベルのテクノコンピレーションがこれを真似たんだ。彼らもアームチェアに座ってマリファナを吸っているロボットをデザインしたんだが、かなり酷いクオリティだった。Warp Recordsのオフィスでそれを見ながらみんなで大笑いしたよ。だが、同時に嬉しくもなった。「まさか真似されるなんてね。実にクールじゃないか」とね。

 

The Evolution Of The Groove ©Phil Wolstenholme

 

 

Tequila Slammers And The Jump Jump Groove Generation ©Phil Wolstenholme

 

 

The Orbの『U.F.Orb』は、当時あなたのアートワークが人気だったことの証左だと思います。

 

あの作品がリリースされた時は恥ずかしい思いをしたよ。なぜなら、アートワークがオリジナルにはなかった茶色がかった色に仕上がっていたからだ。当時のAmigaとMacの仕様の関係で、Amigaでフィルムにプリントアウトしたあと、Macでスキャンしなければならなかったのだが、そのスキャンの段階で茶色がかった色になってしまった。オリジナルのスペースシップは銀色に輝いていて、アートワークの色味とは全然違う。

 

 

The Orb - U.F.Orb ©Phil Wolstenholme

 

 

The Shamenの『Different Drum』もあなたの代表作のひとつでしたね。

 

あれは突然のオファーだった。近未来的なアフリカンドラムをデザインしてくれと頼まれたんだ。面白いオファーだったよ。なぜなら、バーチャル空間で彫刻を作るようにオブジェクトをデザインしなければならなかったからだ。だが、楽しかったよ。新しいテクニックを試せたからね。

 

こうして私は徐々にCGを上手く扱えるようになっていったんだが、それよりも重要なポイントは、同時にソフトウェアも良くなっていったということだ。この頃、Imagineという、それまで使っていたSculpt 3Dの性能を遥かに上回る新しいソフトウェアが登場した。このソフトウェアを使えば、ある程度ちゃんとしたタイムフレームの3Dアニメーションを短時間で制作できた。このソフトウェアが、映像作品を制作するというアイディアに繋がったんだ。

 

 

The Shamen - Different Drum ©Phil Wolstenholme

 

 

映像作品というのは、『Artificial Intelligence II』のボックスセットに同梱されていたVHS映像作品『Motion』のことですか?

 

そうだ。『Motion』は前作『Artificial Intelligence』の頃から制作をスタートさせていた。なぜなら、その頃すでにあのマリファナを吸っているロボットのアニメーションが存在し、Warp Recordsから「凄いじゃないか! これを使って映像作品を作ろう」と言われていたからだ。私が「映像を作るためにはもっと機材が必要だ」と言うと、彼らは必要な全機材を揃えてくれたよ。

 

レンダリングが終わるまで9ヶ月ほどかかった。できると思っていたことをスケジュール上の理由から制限されてしまったのはかなりストレスが溜まった。綿密なスケジュールに沿って動く必要があった。1年以内にリリースしなければならないということで、やりたいと思っていたことの多くをレンダリングの時間的問題で諦めなければならなかった。『Artificial Intelligence』で得た勢いを逃したくなかったので、『Artificial Intelligence II』と同時期にリリースする必要があったんだ。

 

完成後はロンドンのICA(Institute of Contemporary Arts:現代美術複合センター)で上映したんだが、ひと晩で3回上映することになった。かなり多くの人が集まったからだ。上映が終わると大きな拍手で迎えられたが、私は「ちょっと安っぽいな」と思っていた。私は完全主義者だったので、自分ができること以上のことを求めていたんだ。

 

 

Warp Records - Motion

 

 

『Motion』のあと、あなたは急速にアートワークの世界から離れていったように思えます。

 

ソフトウェアデザインの方向に進んだんだ。アニメーション制作と柔物体モデルの開発に力を入れている小さなソフトウェア会社に入社した。そういう時代が次に来ると思ったからだ。『Motion』はワンオフの企画だった。当時のWarp Recordsには映像作品をフルタイムで続けられるだけの余裕がなかったからだ。アニメーションスタジオのために機材を買い続けるのは彼らにとって馬鹿げたことだった。Aphex Twinが大ヒットしていた頃も、彼は自分で映像を制作していたし、他のWarp Recordsのアーティストたちも自分たちのアートワークを持ち込んでいたので、私がWarp Recordsから定期的に仕事を得られなくなるのは分かっていた。

 

 

Artificial Intelligence II ©Phil Wolstenholme

 

 

1995年にリリースされたドラムンベースのコンピレーション『Artcore』のアートワークが、あなたが1990年代に手掛けたCGアートワークの最後のひとつだったのでしょうか?

 

Richard Kirkとは時折仕事をしているし、アートワークから完全に手を引いたわけではなかったが、メインの仕事としては『Artcore』が最後のひとつだった。これは3Dという意味ではかなり複雑な作品だった。なぜなら、この頃はそれまでよりも遥かに多くのオブジェクトを作れるようになっていたからだ。メモリもプロセッサもアップグレードしていたので、他のオブジェクトよりも複雑な処理が必要になる植物系をデザインできるようになっていた。しかし、同時に3D CGの制作に苛立ちを感じるようになっていた。

 

長時間を費やさなければ満足できるレベルのリアル感が得られなかったからだ。私がアートワークから手を引く決定打になったのは、ドイツ人の誰かが300種類の植物オブジェクトを収録したCDを30ポンドで販売しているのを知った時だった。やがて、植物をスムースに描けるソフトウェアも登場し、制作が簡単になっていく一方、価格も上がっていった。

 

当時の私は、自分が求めているレベルのディテールとクオリティをCGとして生み出すことができなかった。自分の作品をどこか安っぽいと感じていた。しかし今なら、当時を簡単に振り返ることができる。ノスタルジックな感情と共に「かわいいもんだ」と思える。もちろん、顔を両手で覆い、指の隙間から覗き見るような酷い作品もある(笑)。しかし、それも時間の移り変わりに過ぎない。他人からは「最高じゃないか!」と言ってもらえるよ。

 

Artcore ©Phil Wolstenholme 

 

Header Imaage:©Phil Wolstenholme