十二月 28

カウントダウンDJセット ベスト10

電子の海に残されているカウントダウンパーティDJセットのベスト10を紹介する。

By Michaelangelo Matos

 

ダンスミュージックファンにとって、カウントダウンパーティは欠かせない存在だ。今回はDJカルチャーの歴史を振り返りながら、数々のカウントダウンパーティのDJセットを紹介していく。大晦日の夜か元旦の朝に現場でプレイされたセットであるということ以外ルールを決めずに選んだため、最初は大量の候補が挙がったが、最終的にはミレニアム以前のパーティから選ぶことにした。尚、今回のリストは年代順となっている。カウントダウンパーティ前にこれらを聴いて気分を盛り上げておくのも良いだろう。

 

 

Bobby Viteritti

『New Years Eve Countdown (Poop Deck, Marlin Hotel, Ft. Lauderdale, Florida)』 

1976年12月31日

Part 2

 

Donna Summer、Dr. Bruzzard’s Original Savannah Band、Double Exposureなどがヒットを飛ばした1976年はディスコの歴史において重要な1年だった。この2時間半のセットでは、これらのアーティストをはじめとする様々なディスコヒットが収録されている。フロリダ州フォートローダーデールのMarlin HotelのPoop Deckで21時半頃からスタートしたこのセットは1977年を迎えるカウントダウンから「蛍の光」に繋がって終わっている。このセットのViterittiは、当時トップレベルのスキルを誇っており、「Don’t Leave Me This Way」から「Down to Love Town」、Glitter BandからDonna Summer、そしてDr. BuzzardからEl Cocoと見事な展開を披露している。また、Salsoul Orchestraの「Also Sprach Zarathustra」が、この時代がまだ『スター・ウォーズ』以前だったことを思い出させてくれる。

 

 

Roy Thode

『The Saint, New York City』

1981年12月31日

 

Roy Thodeは、Alan DoddとJim Burgessと共に1980年9月20日、ニューヨークの伝説のディスコSaintをオープンさせた。ファイヤー・アイランドにあったディスコ、Ice Palaceの元レジデントDJだったThodeは繊細な完全主義者として知られており、Saintの元レジデントDJのRobbie Leslieは「ブースにいる彼に向かって誰かが『へたくそ』と言えば、その晩の彼の残りのプレイはボロボロになった」と振り返っている。結局彼はこのカウントダウンでのDJプレイを最後にDJから引退することを決意。朝方のプレイとなったそのロングセット(今回紹介しているのはPart 2。フルセットはこちら)は、当時の "朝を過ぎても遊ぶ" 客層に好まれていたミッドテンポでスリージーなセットの好例だ。ミックスよりも1曲ずつドロップするスタイルの彼のセットは、緊張感こそ薄いものの、前後のトラックがしっかりと共鳴しており、Candi Stantonの「Victim」からTracy Weberの「Sure Shot」への展開で分かる通り、音楽的にもテーマ的にも繋がっている。悲しいことにThodeは1982年5月に自殺、またはオーバードーズとも言われる謎の死を遂げたため、これが彼の真のラストプレイとなった。

 

 

DJ Sy

『Fantazia - Takes You Into 1992』

1991年12月31日

 

脳が酸欠状態に陥るようなオールドスクールレイブを好む人にはこの47分間のセットを聴くのが良いだろう。MC Robbie DeeのMC(11分42秒頃には「20ポンドくれれば、Eをやるよ! ハハハ! エナジー! EはエナジーのEさ!」と吠えている)と共にスタートしたDJ Syは、Manixの「Oblivion (Head in the Clouds)」からスタートしてShut Up and Danceの「£10 to Get In」からProdigyの「Everybody in the Place」へと繋ぐと、そこから遠慮することなく右肩上がりに強烈なプレイになっていくが、このあと、ジャングルではなくハッピーハードコアへ移行していった彼のスタイルを振り返れば、そこまで驚くことでもないだろう。

 

 

Cool Hand Flex & Brockie

『Live at Telepathy』

1995年12月31日 

 

1990年11月にオープンしたストラトフォードのクラブTelepathyは、ドラムンベースに繋がる新種のブレイクビーツを初めてフィーチャーしたクラブのひとつだった。しかし、ようやく “ジャングル” と呼ばれるようになっていた1995年当時、このジャンルはより洗練されたミニマルなスタイルに変わっていったため、このKool FMのFlexとBrockieのプレイも、Dillinjaの「Sovereign Melody」やFire Fox & 4-Treeの「Warning」など、この頃に人気だったシンプルなトラックが重視されたスタイルになっている。ややミックスが粗い部分もあるが、それをカバーするムードに溢れている好ミックスだ。

 

 

Sven Väth

『Live @ Omen, Frankfurt』

1995年12月31日

 

Interference Festival 1994のオーガナイザーのひとり、Uwe Raineckeは今年初めのインタビューで、このイベントに飛び入りした上で超ロングセットをプレイしたSven Väthについて、「Sven Väthって男は止められないのさ」と振り返っている。1988年にMatthias MartinsonとMichael Münzingと共にSven Väthが立ち上げたクラブOmenでのこの90分のセットを聴く限り、その話は本当のようだ。

 

Brisk

『Club Kinetic』

1996年12月31日

 

この1時間の極彩色の高速ハッピーハードコアセットは心臓が弱い人には向いていない。このセットは、ソウルやファンクなどをはじめとしたあらゆる人間臭さが排除されているが、狂気を通り越して笑えてしまうほどの高速ビートやふざけたリフ、瞳孔が完全に開いているシンガーが歌っているかのようなヴォーカルサンプル、そしてキラキラのシリアルボウルの中で発生した台風の目で何かに必死にしがみついて叫んでいるようにしか聴こえないMCが少しでも好きな人なら楽しめるはずだ。

 

 

Pierre B2B Karotte

『Live @ Stammheim, Kassel』

1997年12月31日

 

このPierreは、Phuture名義でアシッドハウスを生み出したシカゴのDJ Pierre(Nathaniel Pierre Jones)でもなければ、ブリュッセルのクラブFuseで20年以上に渡りレジデントを務めているDJ Pierre(Noisiez)でもない。Pierre Blaszczykはドイツ・カッセルのクラブStammheimで1990年代中盤からレジデントを務めていたDJで、彼が23歳の時にプレイしたこのカウントダウンパーティは、彼のキャリア初期に相当する。若きKarotteとのB2Bとなったこのセットは、いわゆる当時の “テクノ” をプレイしているが、Azymuthの「Space Jazz Carnival」のGlobal Communicationsリミックスや「Circus Bells」のHardfloorリミックスなどの名曲も確認できる。

 

 
 

Cari Lekebusch

『Orbit, Leeds, England』

1998年12月31日

Part 2 & Part 3

 

スウェーデン出身のテクノレジェンドCari Lekebuschは10代の頃からシーンに加わっているベテランのひとりだ。1990年代後半はテクノがよりループ重視となり、良くも悪くも洗練されていった頃だが、今回紹介するLekebuschの20分、74分、25分に分けられたDJセットからは “静” がほとんど感じられず、独特のざらつきが時代も感じさせる。尚、Lekebuschがポップシーンのソングライター/プロデューサーとして名を馳せた故Denniz Popと同じプロダクションチームSweMixの出身という事実は誰も信じられないだろう。 

 

 

Terry Mullan

『Live at Get Down Again (Better Living Centre, Toronto)』

1998年12月31日

フルセット

 

ここ数年、Terry Mullanの昔のDJプレイを聴き直してきたが、結論から言うと、彼は1990年代中盤におけるベストDJだった。「New School Fusion Volume 2」(1995年)や「Live at Equal, Milwaukee」(1996年1月19日)のようなセットは時代を超える強さがあり、彼のセットはスタジオでも現場でも異常なほど幅広い。そして今回紹介しているカナダ・トロントでのしなやかな2時間のセット(MullanはDarren Jay & MC GQに続き2番手でプレイ。その後はBarry Weaver、Christopher Lawrence、Misstress Barbaraがプレイした)もまた彼の類い希なるスキルを見事に表現しており、たとえばPaul Johnsonの「Feel My M.F. Bass」をThe Chemical Brothersの「It Doesn’t Matter」の中に組み込んでプレイしている。まさにエンターテイナーだ。

 

 

 

Frankie Knuckles

『Stars X2』

1999年12月31日

 

正確にカウントダウンパーティとは表記されていないが、Armand Van Heldenの「U Don’t Know Me」をプレイ中の26分8秒にFrankie Knucklesが「ハッピーニューイヤー」と呼びかけていることから、このセットがカウントダウンパーティでのプレイだったことが理解できる。このセットは英国・コベントリーのEclipseでレコーディングされたDJセットで、プレイ直後にこのクラブのマネージャー、Stuart Reidによってブートレグとしてリリースされた。ちなみに彼はその後Stars X2の収入のマネーロンダリングとドラッグ販売で逮捕され、4年間投獄されている。いずれにせよ、Reidがこのセットを無断でリリースしたことについては責められない。1990年代後半のハウスが凝縮されているセットはFrankie Knucklesのキャリアのピークのひとつで、Van Heldenの「U Don’t Know Me」からのアンセム3連発は鳥肌ものだ。全体的にもジャジーで非常に洗練された印象で、シャンパングラスでの乾杯が似合う、言い換えればカウントダウンに実にふさわしい内容になっている。